第25章

 光彦は、翌日の朝早く起きて、近所の公園に行った。りんとスーパーマーケットに買い物に行った時に休憩しによく立ち寄った公園である。

 二人でベンチに座って、飲み物を飲みながら、何もせずにただぼうっと時を過ごしただけだった。しかし、安らぎに満ちたとても豊かな時間だった。

 そういえば、りんは目を細め、優しい笑みを浮かべながら、遊んでいる幼い子供達を見ていた。あの時、子どもが欲しいと思いながら見ていたのかもしれない。


 三月といってもまだ朝の空気は冷えていて、肌寒かった。が、それが光彦にはむしろ心地よかった。


 光彦はベンチに座り、りんと過ごした日々のことを考えた。

 あの刺激に満ちた生活。

 あれからまだ数ヶ月しか経っていないとは信じられない。もう何年も前の出来事のように思われる。


 りん、君はよく日陰の生活とか日の当たる生活とか言っていたけど、そんなものはこの世にはないよ。

 上等な生き方と下卑た生き方があるだけだ。

 何の仕事についているかなどは関係ない。

 欲望や虚栄や嫉妬のような、そういう負の感情に心を歪めることなく、自分の良心に従って正しいと思うことをする、それが上等な生き方だ。

 会社や家庭に縛られ世間体を気にして何も出来ない、いや、何もしようとしない僕の生き方より、自らの意思で正しいと信じた道を歩んでいる君の生き方の方がずっと上等だ。風俗をしているとか関係ないよ。人としての純粋さと良心を失わない君の生き方の方がずっと上等だ。

 りん、君は僕の色のない日常に、ある日突然、アゲハ蝶のような色彩豊かな衣装を纏って飛び込んできた。そして、僕は愛に身悶えし、苦しみ、悩み、邪な感情に支配されたこともあった。

 しかし、今思うと、あの時は生きているという実感に溢れていた。あんな苛烈な日々は生まれて初めてだった。そして、もう二度と経験することはないだろう。

 君と暮らした日々は生きているということがどういうことなのかを教えてくれたような気がする。ずっと昔に忘れてしまった子供の頃の純粋な気持ちを思い出させてくれたような気がする。

 今、僕は平凡な日常の中で、些細な煌めくものを大切にしようとしている、それが生きている幸せなのだと思う。

 いつかまた会える時が来るのをずっと待っているよ。時の流れが物を朽ち果て、分解し、再生するように、数年も経てば、この数ヶ月の出来事も笑って話せる思い出に変わっているだろう。その日が来ることをいつまでもいつまでも待っているよ。


 その時、不意に、微笑みを浮かべながら、どこかの小さな公園に佇んでいるりんの姿が脳裏に浮かんだ。

 りんは今日も逞しく、常識や規律に縛られることなく、闊達に前を向いて生きていることだろう。


 光彦はベンチから立ち上がり、大きく腕を広げて、深呼吸した。澄み切った冷気を胸腔いっぱいに吸い込んだ。

 


                 


 

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