第46話 馬上槍大会③
午後の試合も勝ち進み、マックはついに準決勝まで上り詰めた。
初日はたくさん貼られていた名札も、四人を残すのみ。
ここで勝てば決勝に行ける、という最終戦。
対戦相手は中年の伯爵で、四年前の大会の優勝者だった。もともと名家の出の彼がこの大会に優勝したのは、有名な話だ。
「二回も大会に出るのはやめて欲しいわ。十分お金持ちなんだから、他の人に優勝を譲ればいいのに! 既婚者はメダルの乙女に奥さんを選ぶだけだから、表彰式も盛り上がらないし」
シンシアは文句を言いつつ、柵にしがみ付いて馬上のマックを見守った。
伯爵とマックの馬が走り出すと、息を止めてマックの動きを目で追う。
バキャっと互いの槍と盾がぶつかった音がすると、私とシンシアは悲鳴を上げた。
「いやぁあ、だめ!」
馬上のマックの体が振られ、鞍の上を滑って馬の背から転がり落ちそうになる。彼はなんとか手綱に捕まったが、馬が速度を落とすと手綱から手がズルズルと滑り、足と尻が地面に接触する。
馬が柵の近くまでやってきて止まると、マックの手も手綱から離れた。
ついに落馬したのだ。
勝敗が決し、拍手と歓声で場内が盛り上がる。
マックは、負けた。
ショックのあまり、声も出ない。
ここまで来て気が緩んだのか、少し彼らしくない調子で、伯爵の一突き目でその鎧に土をつけてしまった。
私たちは柵に縋り付いたまま、脱力してしゃがみこんだ。
――終わった。
学院時代から、ずっとマックの目標だったジョストの優勝が、ついに夢の数歩手前で。
意外にも颯爽と立ち上がるマックをよそに、彼の姿を見る私の目頭が熱くなり、振り向くとシンシアも目を潤ませている。
「ここまで来るのにたくさん努力して、準備も大変だったのに。……終わる時は呆気なく、一瞬でその時が来るのね」
シンシアと私は柵の下に座り、年甲斐もなくエンエンと泣いてしまった。
決勝は初日の下馬評通り、伯爵と黒騎士の対戦となった。
グリフィンと炎の模様が描かれた色鮮やかな盾を構えて柵の中に登場した伯爵とは対照的に、黒騎士の盾は黒く塗られた飾り気のないものだった。
「ここまで来たら、伯爵に優勝して欲しいわ。どうせならマックは優勝者に負けたと思いたいもの」
「そうね。でもあの黒騎士も、負けるところが想像できないわ。ここまで圧勝だったから」
「黒騎士の顔も見てみたいわね。優勝したら兜を陛下の前で外すでしょうし」
式武官の旗が上がり、試合が始まる。
二頭の馬が槍を構えた男たちを乗せ、走り出す。馬の脚元の芝が、土ごと蹴り上げられる。
ドカッ、ドカッ、と迫力ある足音を立て、二頭の馬が接近していく。
観客たちの歓声が最高潮に達し、声援でこちらの緊張も一気に高まる。
二頭がすれ違う瞬間。
伯爵の槍が黒騎士の盾を的確に突き、大きな衝突音が上がる。黒い盾が真っ二つに割れた刹那、伯爵の勝利を確信した。だがその判断は早過ぎた。
両者が離れ、馬で駆け抜ける中、伯爵の体が大きく左側に傾いだ。右手で必死に鞍に捕まろうとし、踏ん張ったようだが一度角度のついた重たい体を馬上で立て直すのは、容易ではなかった。
伯爵は黒騎士とすれ違ってから少し行った所で、槍を落として自身も馬から転がり落ちた。
一方の黒騎士は、割れた盾を地面に放り、真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま馬を止めている。
歓声が嘘のように静まり返っていた。そのわずかな静寂の後。
「勝者、『王都の騎士』!」
式部官が国旗を振り上げ、今大会の優勝者の方へ旗を向ける。
黒騎士を称える破れんばかりの拍手や声援が会場を埋め尽くす中、ゆっくりと国王が観覧席から立ち上がる。
急いでその場が表彰式へと模様替えされていく。
丸められた赤い絨毯が芝の上に広げられ、国王のいる観覧席まで赤い道を作っていく。
一糸乱れぬ見事な行進で、トランペットを持った楽隊がやって来て、晴れた高い青空に向かって勇壮な音楽を吹き始める。
国王は拍手をしながら、珍しく満面の笑みで階段状の観覧席から下りて来た。
赤い絨毯の先で片膝を突いた黒騎士は、片手をその黒い鎧の胸部分に当て、国王がやってくるのを待っている。
国王が黒騎士の正面までやって来て、彼を言祝ぐために口を開けると、会場の拍手は一気に鳴り止み、再び静まり返る。
「『王都の騎士』よ、見事な試合を見せてくれた。そなたはこのレイア王国の誇りである!」
観客がここで再びワァッと盛り上がり、大きな拍手が起こる。国王は片手を上げてそれを制止した。彼に駆け寄った侍従が、紺色の小さな箱を手渡す。
国王は箱から金色に煌くメダルを取り出すと、観客の前にかざした。
「優勝者に『レイアの一の騎士』の証を授けよう。さあ、黒騎士よ。そなたはこの栄誉を授ける乙女を、今この場で選ぶがいい」
黒騎士は深く頭を下げると、立ち上がった。そして首を巡らせて辺りを窺い、誰かを探す素振りを見せた後、確かな足取りで歩き始めた。
国王の後ろに立つ観覧席には貴賓席があり、ご令嬢たちがたくさん座っていたが、そちらの方には見向きもしないので、観客がどよめく。いつもは優勝者なら、名門の女性を選ぶものなのだ。ここで優勝者に選ばれた女性は、領地と一緒に国王から授けられるのが慣しだから。
「誰を指名するのかしら? 貴賓席の女性を選ばないのねぇ。……あら、こっちの方に来るわね」
柵の上に肘を乗せて表彰式を見物していたシンシアが、戸惑いの声を上げる。数秒後、私達は言葉なく硬直した。
黒騎士は真っ直ぐにこちらへ向かってきたのだ。
そうして、そのまま一直線に柵の前へ向かってくると、
「ええっ!? リーセルを?」
声をひっくり返してシンシアが驚いているが、私はもっと仰天した。
それは観客も同じだったらしく、地味目な黄色いドレスを着て、食べかけのリンゴを持って柵に寄りかかる女を、ジョストの優勝者が選んだことが想定外すぎて、どよめいている。
完全に固まっている私に業を煮やしたのか、黒騎士は立ち上がって右手を伸ばし、私の手を取ると柵の内側に強く引いた。
「ほ、ほら、そこの娘。優勝者に選ばれたのだから、早くこっちに来なさい!」
黒騎士を追って来た式部官がうろたえながらも、柵を乗り越えるよう、身振り手振りで指示してくる。
どうして私が選ばれるのか、さっぱり分からない。黒騎士は人違いでもしているのか。
メダルの乙女に選ばれてしまうと、黒騎士に嫁がないといけなくなってしまう。これまでの大会で、そうならなかったことは、一度もないのだ。
たとえ婚約者がいようと、どれほど名門の令嬢であろうと、王女であろうと。既婚者でない限り、乙女はレイアの一の騎士の妻となるのだ。
それがこの大会の醍醐味でもあった。
(どうしよう。こんなの、凄く困るんだけど!)
見渡せば、詰めかけている全員が期待に満ちた眼差しで私を見つめている。
ある者は好奇な眼差しだったり、純粋な驚愕だったり、あるいは落胆の色だったり。
だが誰もが、私が動くのを待っていた。指名された乙女には拒否権がないのだ。
応じないわけにはいかない。
その場の視線に促されるようにして、私は柵に足をかけてよじ登り、乗り越えた。隣にいたシンシアが無言で私の手の中からリンゴを取ってくれる。
「あの、本当に私を?」
真意を確かめようと、正面に立つ黒騎士に一応尋ねてみる。
黒騎士は無言で首を縦に振った。兜の上の赤い飾り布が、動きに合わせて靡く。
彼は私に向かって、右手を差し出した。
「二度目に差し出された手は、同情からでもいいから、どうか取ってほしい」
「えっ、ええ。そう……ね。でも、」
「貴女を選べる私は、今日このレイアで最も誇らしい」
ハッと息を呑んで黒騎士を見上げる。
(この人が、なぜその台詞を!?)
声もなく喘いだ。
もう何百回も繰り返し、思い出していた王宮庭園でのあの夜の出会いを、その時の彼の台詞を、どうしてこの黒騎士が知っている?
重ねた右手を、無意識に強く握る。武装した黒騎士の手袋はあまりに分厚くて、温もりは伝わってこない。
けれど黒騎士がくるりと回れ右をして国王の待つ赤絨毯に向けて歩き始めると、私は大人しく彼について行った。
近づいてくる私を見て、国王は奇妙な表情で何度も瞬きをしていた。
王太子の近衛魔術師である私が、なぜ黒騎士に選ばれたのか解せないのだろう。
そして国王は顔色を変えた。
一転して険しい目つきで黒騎士を睨み据え、メダルを持ったまま呟いた。
「まさか、黒騎士ーー、そなたは、」
黒騎士は国王の前まで歩いてくると、両手で自分の兜に手をやった。そのまま下部を押さえると、首を振りながら黒い兜を脱いでいく。
観覧席が、ざわついた。それはさざなみのように広がり、やがて事態に気がついた人々が、黒騎士の正体を口に上らせた。
ーー殿下。あれは、王太子殿下じゃないか。と。
「父上、私もジョストに参加しておりました。黙っていて申し訳ありません」
脱いだ兜を脇に抱えると、王太子はその茶色い双眸を国王に向けた。
「どうか、リーセルをメダルの乙女に選ばせてください」
「な、ならん。王太子が大会のジョストに参加するなど、とんでもない! 何を考えておる」
だが国王はそう言い放った後で、激しく動揺した。
会場の観客たちが、歓喜溢れる声で、王太子の名を繰り返し呼んで、彼を称えたからだ。
「ユリシーズ様!! 我らがレイアの真の騎士!」
「我らが王太子殿下!」
うろたえる国王の前に、王太子は素早く跪いた。次いでその父親を見上げた茶色の瞳は、強い光を宿している。
「父上。私の生涯をこの国に捧げることを、誓います。皆の模範となるべく、清廉潔白な王になります。全てにおいて公を私より優先させます。……ですからどうか、かたわらに立つ妃だけは、私のわがままをお許し下さい」
国王の険しかった顔が、微かに緩む。その鋭い瞳が、心動かされたのか僅かに充血していく。国を背負ってきた重責と、それを王太子にゆくゆくは背負わせる宿命の重さを、彼自身が一番痛感しているのだろう。
王太子の必死の説得に、居ても立っても居られなかった。
私も王太子の隣に両膝を突き、胸の前で手を組む。
「陛下、どうかお許しください。心から殿下に寄り添い、一生お支えすると誓います」
額に手を当てて溜め息をつく国王の背後に、式部官がおずおずと歩み寄る。
「陛下。一の騎士とその乙女の仲を割くことは、誰であれできないのが伝統にございます」
「ああもう、いい。さっさと好きにしなさい」
諦めたように国王がそう呟くと、王太子は晴れやかな顔で立ち上がった。すぐに私に手を貸して立たせると、滲むような笑みを見せた。
「さぁ、リーセル。私にメダルを」
国王は渋々と言った様子ながらも、メダルを私に手渡してくれた。キラキラと眩しいほどに輝くそれを、頭を少し下げた王太子の首にかける。
「おめでとうございます。黒騎士様」
そう言うと王太子はくすりと笑ってくれた。
地を揺らすほどの拍手と声援が起こり、負けた伯爵も兜を取って小脇に挟み、満面の笑みで私たちに拍手をしてくれていた。
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