歩いた道、目指す場所・2

 ほたる姉さんは、魔力にはあまり恵まれていない人だった。だからあまり大きなことは起こせなかったけど、魔術学校の卒業後は人命救助の最前線を志願して働いていたんだ。


 仔細は省くけど、災害現場で上司の制止を振り切り、取り越されてしまった人たちを助けたところで限界を超えてしまった。要するに気を失い動けなくなってしまったところで……急なことで、助けも間に合わなかったらしい。


 魔力の源である魔術師の命は重い。こればかりは他に替えの効かない力だから。だから魔術師は自らの生命を最優先するように教えられる。そのために他人を見捨てることになったとしても、だ。


 だから姉さんのしたことは褒められたことではないんだけど、僕は姉さんを誇りに思ったし、同時に死なずに済む方法があったのではないかと考えるようになった。


 自然と魔術の本を手に取っていた。しかし非魔術師が触れていいものはたかが知れているから、僕は実家に帰るたび、夜中に母の書斎に忍び込むようになっていたんだ。


 本棚の端から端まで、貪るように魔術書を読んでメモを取った。本当はやってはいけないことだけど、男である僕が魔術を学ぶ手段はないから、そうするしかなかったんだ。


「燈、ちょっと話があるんだけれど」


 とうとう母にこう言われ、叱られることを覚悟した。俯いた僕に、外国語で綴られた冊子が差し出された。黙って受け取った。


「これは……何?」


「そこは世界で唯一男子学生を受け入れてくれる魔術学校よ。そうね、たとえば、魔術の理論や歴史を教える先生や研究者になれる。この国にはまだ前例はないけれど、世界には男性の先生や研究者もいるわよ」


「堂々と勉強することができるということ?」


 母は静かに頷いた。突然、扉が開いた気がした。


「できるけど、おそらく茨の道になる。何があっても揺らがないという覚悟を決めないといけない。もしかするといずれ……いえ、なんでもないわ。とにかくその気があるならば、急いで向こうの言葉を覚えなさい」


 入学試験自体はそんなに難しくはないと言われたけれど、専門的なことを学ぶわけだから、求められる語学レベルは相当に高かった。それに、魔力を持たないものは、成績不振だと容赦なく追い出されると聞けば、必死になるというものだよね。


 茨の道だと言われても構わない、僕は魔術の道に進みたい。先生に、魔術師の卵たちを教え導くものになる。


 そう誓った僕は二年後、念願かなって魔術学校に入れた。この国の学校とは違って飛び級制度があるから、少しでも早く卒業して夢を叶えたいと必死に勉強した。たまにはルームメイトとバカなことをしたり、サボったりもしてたけどね。まあ、息抜きは大切だということで。


 卒業する時にはなぜか成績は一番。あちこちから声をかけられたんだけども、全て断って帰国した。あくまでも僕の目標は先生になって、教壇に立つことだったから。


 母の縁で東都に就職したけど、まだ免許をもらえなかったものだから、最初は教官の補助や校内の雑用からだった。それでもがむしゃらに頑張ったよ。


 銀川先生と仲良くなったのもこの頃だね。空いた時間に一緒に校内の草むしりをして、花の名前をたくさん教えてもらった。今でも僕のことを紺野くんと呼ぶのはそのせい。姉たちもお世話になったから、どちらかと言うと学生に接する気持ちだったんだろうね。


 そうやって一つずつ積み重ねて二年が経った頃、この国で初の男性の魔術の先生になることができたんだ。初めて教壇から見た景色は忘れられない。若い男が出てきたことに、みんなびっくりしていたからね。今は四、五年生に魔術の理論と、術式や呪文を読み解き調整する方法を教えているよ。


 あと、これは在学中からだけど、ほたる姉さんのような人を出さないために既存の魔術の改良にも取り組んだ。より少ない力で同じ効果を得られるように術式の無駄を削り、時には書き足したりもして綺麗にする。もしくは代わりのものを新しく開発する。使う魔力が少なくて済めば、より多くの人を助けられることになるし、魔術師の命も守ることになるからね。これは簡単なことではなくて、今でもうまくいったり、いかなかったりだけども。


 けれど思い知ったこともある。僕には自分で書いた術式や呪文を自分で使うことができない。魔力を持たない以上は僕は紛い物。それでも十分に満足だった。だって僕は最も近づいたと自負していたから。





 その矢先、十四年も前にが現れていたことを知らされ、はっきりと動揺した。僕がなによりも欲しかったものを持っている人間男の子がいる。絶対に信じたくはなかった。


 そのは遠く離れた田舎町で、そのことを隠して普通に暮らしているらしい。原因は不明。遺伝子の解析なんかもしたらしいけど、特に変わったところはないと言う。


 僕は彼が目の前に現れることを恐れた。でも、魔力を持つ女子でも全員が魔術師を志願するわけではない。力のことを隠しているというのならなおのこと、こちらに来るがわけないと思い込んでいた……というより、来てほしくはなかった。自分は紛い物だということを、はっきりと突きつけられるような気がして怖かったんだ。


 しかしそんな僕の願いも虚しく、彼は魔術師を志願。各校の話し合いの結果、東都ここで受け入れる方向で話が決まりかけていることを聞かされた。もちろん男子学生の受け入れを反対する職員もいた。僕も声をあげそうになったけど、それは自分を棚に上げることになる。表立って反対なんてできるわけがなかった。眠れない日々が続いて、飲めないお酒を飲んだりもしたな。


 学業成績はかなり優秀で、入学試験は余裕で突破してきた。資料を見ると持っている魔力量もかなり多い。今年の合格者には規格外の子がひとりいるから霞んでしまうけれど、例年なら一番でもおかしくない逸材。もう、誰も反対する人なんかいなかった。


 そんな彼の受け入れに関することを話し合う会議の席に僕はいた。すでに何度か開かれていて、淡々といろいろなことが決まっていたんだけど、その日の会議室は珍しく揺れていた。


 なんと事務担当が学生寮への入寮案内を間違えて彼のところに送付してしまい、そのうえ彼の母親から入寮希望の返事があったと。


「さすがに学生寮に男子を入れるわけには行かないでしょう。だいいち男子用の設備もありませんし。間違いだったと謝罪して、今からでも下宿を探していただくということで」


 話がまとまりかけた頃、ふと僕はあることを思いついた。言うだけでも言ってみようと、手を挙げた。


「……あの、ちょっとよろしいでしょうか」


「紺野先生、どうされましたか?」


「私が彼のことを引き受けますので、この学校に『男子寮』を作るというのはいかがでしょうか。教職員宿舎の空き部屋を使い、三年生まではルームメイト兼寮監の私と一緒に住んでもらい、四年生になったらルームメイトから隣人になってもらう。という感じで」


「……なるほど。良い案だとは思いますが、紺野先生はそれでよろしいのですか」


 一ノ瀬先生からそう問われ、僕は必死で笑顔を繕った。そう、ほとんど演技だった。本当は心中穏やかなどではなかったからね。


「構いませんよ。私は元々あそこの住人ですし。『彼』もひとりだと何かと不安でしょうから。若輩者ではありますが三年間、責任を持って見守らせていただきます」


 こうして『男子寮』の案は満場一致で通った。仕事を終えた僕は自室でじっとこれからのことを考えていた。今住んでいる部屋もそのままにしておいていいとのことなので、まずは最低限必要そうなものだけを持っていくことに決め、空いているダンボール箱に適当に荷物を詰め始める。引っ越しはまだ先だったけど、何かをしていないと落ち着かなかったから。


 正直、あんなことを言い出したのは、見守りというよりも見張ってやるという気持ちからだった。生半可な覚悟、まさかとは思うけど女の子に囲まれてバラ色の学生生活を送りたいなんて動機だったら、何としてでもへし折ってやる。そう思っていた。


 そんな人間に超えられたくはなかった。僕が切り開いてきたものを、踏みにじられたくはなかったんだ。



 ◆



 今年の四月。桜舞い散る中で僕は初めて彼と対面した。中学を出たてにしてはしっかりとした体格をしていて、ひと目で女の子ではないとわかる。少し大きめの制服に身を包んだ彼は、頭ひとつ小さいお母さんの後ろに隠れ、不安そうに目を左右に動かしていた。


 世界にたったひとりの少年。要するに選ばれしもの……だから神々しかったり、特別な雰囲気を持っているのかと思っていたのに、彼はあまりにも普通だった。


 僕に挨拶をして頭を下げる姿は、むしろ気弱そうにすら見えた。勝手に期待していたこっちが悪いんだけど、正直がっかりしてしまった。まあ、環くんにしたら、本当に迷惑な話だよね。


 でも、彼は確かに特別な存在だった。僕の目の前で、不完全とはいえ魔術を使って人を救ったんだ。僕には魔力を感じることはできないけれど、その姿に心は強く震えていた。本当に男がという驚きもあったけれど、なによりも人を救いたいと願っていたほたる姉さんに重なった気がしたから。


 燃え尽きて昏倒したことで悔し泣きをした彼は、そのあとは努力を怠ることはなかった。学科の成績は優秀、なぜか魔術の実技に問題があるようだけど、佐々木先生のしごきに必死に食らい付いて、改善の兆しが見えてきたという話。本当に、よく頑張っていると思う。


 それに、紛い物でしかない僕のことを笑いもせずに、『自分の道を開いてくれた先輩』だと言ってくれたのが嬉しかったな。あんな真っ直ぐな目ができるのは、若いからというだけじゃない。だからこそ、彼は神様に選ばれたんだろうと思う。僕は、七つも年下の彼の姿にいつも教えられてばかりな気がするね。


 ……なにより素直に慕ってくれるから、すっかり香坂環という人間が好きになっているんだ。ああ、そういう意味じゃないよ。今は学生と先生という関係だけど、いつか本当の友人になりたいものだと思っているんだ。


 ああ、そういえば……やはりそういう年頃だからか、好きな子ができたようだね。突っついてみた時の反応から考えると……まず間違いないだろう。


 彼女のために規則を破って、門限の後に寮から飛び出して行ったこともあったっけ。最初はクラスメイトだからなのかなと思っていたけど、今思えば、そういうことだったんだろうね。


 近頃は暇さえあれば彼女のことを考えて、モヤモヤとしているようだけれど、彼女は彼女でまた複雑な事情を抱えている。どうもそのことを聞かされたからなのか、彼はなかなか前に進めないようだね。


 まあ、そんなごく普通の少年とはいえ、たったひとりの魔術師の卵。そんな彼を利用しようと、よからぬことを考えている者もいると聞く。これから彼が行く道は、悲しいけれど決して平坦なものではないはずだ。


 だから、僕は…………もし環くんが転んでしまった時、進めなくなってしまった時。すかさず手を差し伸べ、支える存在。彼が行く道を照らすともしびになりたいと、そう思っているんだ。

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