第65話 花開くとき
さて、昼食は……フォークやナイフを大量に使うような料理が出てくるのかと思っていたが、違った。席についた俺たちの目の前に並べられたのは、いわゆる箸で食べられる料理。箸使いは厳しく躾けられていたので、少しだけ自信があったのだが。
しかし、別の意味で緊張感を増した。それは決して庶民的なものではなく、俺からするととんでもなく豪勢なものだったからだ。こういうのは何料理というのだったか、さまざまな形の器の上に、品よく、かつ彩り鮮やかに数多くのおかずが並べられている。いろいろなものを少しずつ楽しむスタイルのようだ。
中でも、霜降りの肉と大きすぎる海老天に目が釘付けになっていた。俺はいわゆる食べ盛り、やはりパッと見て分かりやすいものに心を奪われがちなのだ。だめだ、お行儀が悪いぞ。背筋を伸ばし直す。
「ふふ、おかわりもありますから、どうぞ遠慮なさらないで。男の子だからたくさん食べるでしょう。さあ、冷めないうちにどうぞ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
横に控えていたメイドさんではなく、透子のお母さん自らがおひつからご飯をよそい、差し出してくれた。相変わらず真っ黒なドレスをお召しになられているが、笑顔でこうされると意外と普通のお母さんに見えなくも……いや、うーん、どうなんだろう。なんせ、ここまでしゃもじが似合わない人もそういないだろう。
右手に置かれたお椀の蓋をそっと開ける。中身は俺もよく知っている味噌汁と呼ばれるものかと思われるが、ここは敵の要塞なので決して油断してはいけない。おそるおそる口をつけると、まごうことなき味噌汁だった。しかし、今まで食べたものの中で一番美味しいかもしれない。もちろん味噌汁だけではない、何を食べても美味しかった。
ともに食卓を囲んだのは、透子と透花さんと、透子のお母さん……あと、透花さんの下に年の離れた双子の妹さん。
髪や目の色、顔はお母さんに似ていて、名前は
お父さんは、仕事の都合で今は海外にいるらしい。写真を見せてもらったが、透子に笑ってしまうほどそっくり。性格もよく似ているらしく、いつか親子並んでいるところが見てみたいものだと思った。
◆
双子ちゃんはお稽古ごとの時間、透花さんも家庭教師の方が来られたとのことで、昼食の後は透子と二人、例の『趣味の部屋』で過ごすことになった。
御曹司スタイルではどうにも落ち着かなかったので、着替えさせてもらった。ゆったりとしたシャツとズボンに変わったので気が楽になったが、実は着てきた服ではない。元の服はどうしたのか尋ねたら、洗濯をしてくれているのだという。
「お嬢様、失礼いたします」
目の前に、お茶とお菓子が運ばれてきた。メイドさんにお礼を言って、部屋から出るのを見送る。ドアの外にはあのお兄さんたちが控えている。いくら友達とはいえ、お嬢様と野郎を二人きりにしておくわけにはいかないということだろう。部屋の中にまで入ってくることは透子が止めていたが。
「とりあえず、先にお茶だけいただこうかな」
「うむ、何も入れずにそのまま飲んでくれたまえ」
よく冷えたアイスティーを一口飲んで息をつく。シロップを入れていないそうなので甘くはないが、苦くも渋くもなくてとても飲みやすい。これもきっと高級なものなのだろうな。
あらためて、昼食の時を思い出す。
『うちには女の子しかいないからよくわからなくて』と笑いながら、空になった茶碗に容赦なく白飯を盛り付けてきた透子のお母さん。『男の子はたくさん食べる』というのは別に間違いではないと思うのだが、おかずもかなりボリュームがあったので、食べ切るのがちょっと大変だった。
その後に双子の妹さんたちにねだられ、軽く身体を動かして遊んだが、それでも腹はだいぶ膨れたままだ。
「前によしのちゃんを別宅に招いたのだが、その時に食事のことでたいそう緊張させてしまっての。とりあえず今日は肩肘を張らなくても良さそうなものをと、わたしが頼んだんだ」
「それでも緊張するくらい豪華だったかな……あんなおいしいもの、今まで食べたことないぞ」
「そうか。それはよかったぞ。ああ、それと妹たちがすまんな。疲れてはおらんか」
俺にきょうだいはいないが、友達の弟妹と遊んだことがあるので勝手はなんとなくわかっていた。庭に出て、二人を順に
「おにいちゃんすごい!」
「とーこちゃんもはやいけど、もっとはやいよ!」
初見の迷路をあっという間にクリアした俺を、双子ちゃんがキラキラした目で見つめてきた。別にタネも仕掛けもなく、生垣が低すぎて俺の身長だと何もかもが丸わかりだっただけだ。子供に尊敬されると、得意な気分になる。いつか自分の子供にも……いや、なんでもない。
「いいよ、結構楽しかったし。でもいいな、きょうだいがいて、ご両親がいてさ。俺はずっと母親と二人暮らしだったから、賑やかなのに憧れるな」
透子のケケッという笑いが返ってくる。そこからはたわいもない話に花が咲いた。学校での思い出だとか、男子寮での暮らしの話。透子は放課後、習い事漬けだったと言うのを初めて知った。お嬢様の嗜みというやつか。
透子は東都でできた初めての友達だが、思えばこうやってじっくりと話をしたのは初めてだった。
「たったひとりの魔術師の卵……そんな君と共に学べるなんて、短い間だが貴重な体験をさせてもらった。本当に、本当に不思議な存在だ。どうしてなのだろうな。なぜ、君は魔力を持っているのか、魔術を使えるのか」
俺を見つめキラキラと輝く瞳は、まるで夏の日差しを受けたラムネ瓶だ。最初に出会った時から、その印象は変わらない。この綿菓子は無限の好奇心でできている。
「前にも言ったけど、偉い人たちが隅々まで調べても結局わからなかったんだよな。だから自分でもわからない」
「ああもう! やっぱり知りたくて仕方がないぞ。そうか、これからも魔術を学ぶ目標はそれにしよう。まずは魔術を極め、それで足りなければ他のことも学んで解き明かしてみせよう。魔術を使うことができなくても、それならできるだろうからの」
「あはは、それは楽しみだな」
すくっと立ち上がってニヤリと笑った透子が、なんだか頼もしく思えた。そうだ、俺も知りたいのだ。どうしてたったひとりなのか、いや一昨日、林で会ったあの男もか……また刺すような頭痛。やはりどうしても繋がらない。ため息をつく。
「何をしけた顔をしているのかね、さて、また君を着せ替えて遊ぶぞ」
「はあー。なんなんだよそれ」
また着替えなければならないのか……再びため息をついた俺に、いつものように透子の手が伸びてきた。ケタケタ笑いながら髪を混ぜてくる。またいつものように押し戻そうとした、その時だった。
突然バキッと何かが割れる音がして、目の前で火花が散った。
「あっ!! 痛ッ!」
叫んでしまった。いっそ殺してくれとすら思うほどの頭痛、たまらず床に転がってしまう。まるで身体の中をぐちゃぐちゃに混ぜられたように……強烈な吐き気を覚え、せり上がってくるものを必死で押さえこむ。
「たまきくん!? どうしたのかね!?」
頭の中にある何かが壊れ、せき止められていたものが一気にあふれ出す。何もかもを押し流し、飲み込んでいく。これは、今まで忘れさせられていたというより、思い出せないようにされていたもの。自分が消えてなくなる、本能が叫ぶ。
「たまきくん!!」
透子の呼びかけが遠くに聞こえる。どうして、突然こんなことになったんだ。流れ込んできた記憶に溺れながら、かけらを必死でつなぎ合わせる。そういえば、今までも、透子が…………。
「とうこ、おまえ、なにを」
遠く飛んでいきそうな意識の中で必死で言葉を紡ぐも、視界が白く埋め尽くされていく。そして、返事が聞こえてくることはなかった。
◆
全てが繋がった。
理由は、
俺の頭の中には、仕掛けがされていた。小さい頃の記憶を封じた上で、いくら考えても父親に繋がらなくなるような。そのせいで……今思えば不思議なことだが、記憶の中にいた男性が
透子の願いで編まれた魔術によって、母親が幾重にも重ねがけしたであろう封印が少しずつ剥がされ、とうとう完全に壊れた。まるで芋づるを引くように、小さい頃の記憶が次々蘇ったのだ。今まで固く封じられていたからなのか、風化することもなく、昨日のことのように鮮明に。
膝に抱えられて、いくつもの魔術を教わっていた。上手にできると頭を撫でられ、たくさん褒めてもらった。夜になれば手を繋いで歩き、秘密の話をした。甘えれば、ある時は抱きしめられ、またある時は肩車をされた。父親は、確かに俺のそばにいたのだ。
俺の本当の名前は『
ガラスを止めたのも、空を飛んだのも、蛍を出したのも。あれは、父親から教えられた、
◆
「たまきくん!」
景色が切り変わり、ラムネ瓶の色の瞳が目に飛び込んでくる。透子が俺のかたわらに座り込んでいて、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。
「ごめん、俺、どのくらい気絶してた?」
「ほんの一、二分だ。今、医者を呼んでもらっている。たまきくん、もしや、どこか悪いところがあるのかね?」
「ああ、いや、別に体調不良じゃないんだ」
「いやしかし、あんなに苦しんでおったではないか」
まずいな。人を呼ばれてしまったなら、さっさと話を済ませておかなければ。頭痛はおさまっていたが、乗り物酔いのような感覚がある。ふらつかないようにゆっくりと身体を起こし、もとの位置に戻ろうとした。透子も速度を合わせてついてきて、二人並んでソファーに腰を下ろした。
「大丈夫だよ……なあ、落ち着いて聞いてくれ。透子は今、魔術を使った」
「あな? 突然何を言うのかね君は……」
隣で俺の背中を支えるように手を添えたまま、うろたえている透子。反面こちらは冷静で、頭の中は妙なほどに静かで澄んでいた。
「たぶん不完全な魔術と呼ばれるものだけど、ちゃんと自分の魔力を使って、願ったことを起こせている。そのおかげで、俺は忘れさせられていた自分のことを思い出して、語れるようになった」
「でも、わたしは何も……君に触れただけだぞ」
「俺にも経験があるけど、自分が何したかわからないものなんだよ。でも透子は初めて出会った日から、ずっと考えてたんじゃないか?『俺のことを知りたい』って」
図星だったのか、息を呑む音。透子は自分の手のひらをじっと見つめ、かすかに震えている。しばらくの沈黙のあと、ゆっくりとこちらを向いた。首は縦にも横にも動かないが、手のひらを胸に押し当て、大きく見開かれた瞳で俺をしっかり捉えていた。
「……やっぱりな。だったらそうだ、最初に何かを思い出したのがその日なんだ。入学式の後に髪の毛ぐちゃぐちゃにしてくれただろ。たぶんあれがきっかけだ。その後も頭触られた後に似たようなことがあった」
「まことなのか……?」
「ああ本当だよ。あの日から、透子に触れられるたびに少しずつ崩されてたんだと思う。それで、さっきので
透子は丸まった目をゆっくり閉じた。吐息まじりに何かを小さく呟きながら、祈るようにこうべを垂れる。
自分の内を探っている姿を黙って見つめた。自らの魂を見つけ出し、魔力を外に出すための通り道を作る……とでも言えばいいだろうか。魔術を使えるようになるためには、まずこれが出来ないといけない。俺は子供の時に、他の子は最初の授業の時にここから始めた。彼女は、今度こそ見つけられただろうか。静かな時間は、とても長いものに思えた。
「やっと見つけた。ここに、ちゃんとあった」
どうやら道は開いたようだ。夏空のような色の目から涙がぽろぽろと落ちた。嬉し涙かと思ったが、どうやら違うらしい。透子はなぜか俺にくるりと背中を向け、悲しげな声を上げて泣いている。
「おい、どうしたんだよ。ここは喜ぶところじゃないのか」
「……喜べんよ。今さら見つけたところで、きっともう、手遅れだ。今から追いかけても、無駄なのではないか。やはりわたしは」
綿菓子はすぐにしぼんでしまうお菓子。こちらの綿菓子も意外と繊細らしい。細かいことは気にしなさそうに見えるが、透子は勉強を何年分も先取りしているような優等生だ。周りから遅れる事を、極度に恐れているのかもしれない。
「別に遅くないって。もしも透子にその気があるなら、今からでも先生たちが助けてくれるはずだし、俺もまだまだ落ちこぼれだから……まあ、とにかく一緒に頑張らないか」
「たまきくん……」
「まあ、佐々木先生の補講はちょっと厳しいけどな」
俺が笑いながら言うと透子は涙を拭い、笑顔になり頷いた。これからも、一緒に学校に通えることになれば良いのだが。顔を見合わせて笑っているとドアが開き、お兄さんと白衣姿のおじさんが転がり込んできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます