6月〈1〉呪いは解けていく・3

 あの子が、どんないきさつで私の持ち物だったのかは、もう思い出せない。記憶にある姿はすでにすっかりくたびれていたから、相当昔から一緒だったのか、それとも誰かのお下がりだったのか。今となっては知ることはできない。


 私が生まれたのは、この国古来の魔術を現代に受け継ぐ、由緒あると言われる家のうちの一つ。世界共通の言語が使われる現代魔術の出現で消えつつある、昔ながらの魔術を守る数少ない家である。


 …………表向きは。本当の顔は別にあったけど、私も全てを知っているわけではない。


 私は魔力もそんなに強くないし、とにかく不器用で、性格もをするのにあまりにも向いていなくて。虫も殺さぬ役立たずと呼ばれて、家族にすら蔑まれていた。


 だから、命も心もないから決して抱きしめ返してはくれないけれど、黙って寄り添ってくれていたあの子は、私の唯一の心の支えだった。でも、ある理由で燃やされてしまった。


 激しい炎に焼かれ体があっという間に灰になって、最後に残った綺麗な目が涙を流すように融けていく光景。それはまるで呪いのように、ずっと私を縛り付けていた記憶だ。









 ある時から、私は実家に出入りしている『お世話になっている』家の人間に、何度も踏みにじられていた。痛くて、苦しくて、悲しかったけど、ここには味方なんかいない。物言わぬ唯一の友達を抱きしめて、ずっと日々に耐え続けた。


 そんなある日呼び出された部屋に、そいつと両親が三人並んで座っていた。揃いも揃って、不気味なほどに晴れやかな笑みを顔面に貼り付けて。この状況がどう言うことなのかさっぱりわからない、わかりたくないのに、全身から血の気が引いて震えが止まらなくなった。


 要するに私は両親によって、そいつに売られていたということ。あまりのことに固まってしまった私に母が、出来損ないなんだから、せめてはしてくれないと……………そう言って笑った。


 そこからは、記憶があいまいだ。母にもっとひどいことを言われた気はするけど、詳しくは思い出せない。


 具体的に自分が何をしたのかはわからない。突然、赤い飛沫しぶきが飛んだ。切り裂くような母の叫び声が屋敷中に響く。あっけなく床に沈んだそいつは、今までに何度も聞いたうめき声を上げた。


 ……あの時の声と同じなんて変なの。


 真っ白になってしまった頭に、なぜかそれだけが浮かんできた。畳の染みは徐々に広がって、私の靴下にじわりと染み込んでくる。そこで我に返った父が私に掴みかかってきたけど、何もかも抜け落ちてしまったかのように何も、何も感じなかった。


 落ちこぼれと呼ばれていた私は、奇しくもそのときにの形で目覚めてしまったのだ。


 これで捕まれば、ここから逃げられるのかも。そう思っていたのに、いったい何の力が働いたのか。私のしでかしたことは、なかったことにされた。相手は死ななかったとだけ聞かされたけど、その後どうなったのかはわからない。


 その日から、私は小さい頃から教え込まれていたはずの魔術すら、うまく操れなくなった。


 暴走という形でだったけど、あれは私に求められていた事だし、ましてや相手は私を手折った人。確かに殺したいほど憎んではいた。でも、人を傷つけてしまった事実には変わりないし、何よりもあの光景を見ても何も思わなかった、自分が怖くなった。


 そして、炎の記憶につながっていく。


 私を追い込んで、再び目覚めさせようとしたか、もしくは心を壊したかっただけなのか。使用人の人に命じて庭に集めさせた私の持ち物を、次々と炎の中に投げ込んで行った。両親は泣き叫ぶ私を見て、楽しそうに笑っていた。


 今まで生きてきた証が全て灰になっても、何も起こせなかったことで、私は心のどこかでは安心していた。もうどんなことがあっても私にまともに魔術を使うことはできないかもしれない。それは私にとって砂粒ほどの希望だった。


 いずれ両親から本当に諦められて、このまま魔術から離れることができれば、いずれ力は消えてしまう。そうしたら、自由になれるかもしれないと。


 こうして、唯一の友達もいなくなって、本当に一人ぼっちになってしまった。実家から逃げるように学校には休みなく通っていたけど、もともと誰とも深くは関わらないようにしていた。当たり障りなく接してはいたから、特にいじめられたりはしなかったことは幸いだった。


 昨夏のとても暑い日。同じ家にいるはずなのに、会うことがなかった両親から、再び呼び出された。


 来春、中学を出たら実家を出て魔術学校に行き、魔術師の資格を取れと命令された。力を持っているがいるのに、そのことを世間から隠すようなことをしては、痛い腹を探られて本当の仕事に差し障ると。


 表向きだけは、きちんとしておかなければね。そう言って、両親はニコニコと笑っていた。私はなんの表情も込めず、わかりましたと返した。


 人を傷つけるのは嫌で、魔術師にだけはなりたくはなかった。そんなことを言うくらいなら、いっそ私のこともひと思いに殺して欲しい。目の前の両親を見つめたけど、なしのつぶて。


 私は役立たずの落ちこぼれ。でも、この身に流れる、古くから脈々と受け継いだ血は、この人たちにとっては大切なものなのだろう、そう考えた。


 どちらにしても、私はまだ一人では生きていけない歳。両親の命令に逆らうという選択はなかった。何もかもを忘れるためにひたすら勉強をした。


 全国に六校のある学校のうち、実家の最寄りと、国の治安維持や防衛を担う人材を育てる学校以外を希望するように言われた。前者は実家からほど近いので入寮するのは不自然だという理由で。後者は入校の際の身分調査が特別に厳しいため、という理由だった。


 ……私にしたら都合の良いことだった。実家から離れた学校ならば家のこともあまり知られてはいないかもしれない。それに、有名だった本来の名字はもう何代も前から隠している。ここから抜け出すことさえできれば、やり直せるかもしれない。生まれ変われるかもしれない。


 砂粒ほどだった希望が、ひとつまみくらいには増えていた。


 無事に合格したあとは、あまりにもみすぼらしいと家名に傷がつくからと、持ち物や服ははすべて新しいものを揃え直された。割と高級なものばかりだったけど、私好みのものは何一つなかった。でも、やっとここから抜け出せるのだから、もはやそんなことはどうでもよかった。


 実家を出発する日の朝。両親から、ここの敷居は二度と跨がせないと言われた。手続きで必要なことがあるならば、全て書面で対応するということだった。


 異端である私がこの家にいることで、上々の出来である姉妹たちを腐らせてしまうかもしれないから。母はそう言って笑った……姉妹たちにも二度と会いたくないから、ちょうどよかった。


 は肌身離さず持つこと、死ぬまでここの秘密を誰にも漏らさないことを約束させられて、それと引き換えにだと渡された通帳には、とんでもない金額が記載されていた。


 小遣いと名ばかりで、手切金とか、口止め料ってやつなのかな。親からこんなものをもらう人なんか、なかなかいないよね。もし魔術がダメで学校を辞めることになってしまっても、これだけあれば当分の間は生きていけるのかな。


 ……そんなことを間抜けに考えられるくらい、私は落ち着き払っていたし、それなりに笑うこともできるようになっていた。


 そして、誰にも見送られることなく、私は実家から旅立った。


 清々しい気分ではあったけど、一生を使って見張られ続ける。それに状況が変われば呼び戻され、利用されることもあるかもしれない。それならそれで良い。一度でも外に出られることに、意味があると思った。


 でも、これができれば今生の別れであって欲しい、そう願いながら、私は学校を目指した。たったひとりで。

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