第46話 一日の終わりに・2
「それって、どんなものですか?」
おそるおそる返すと、先生が語り出した。
「うーん、記憶を消す、隠す、書きこむ。それと、その複合術。目的に応じて使い分ける感じかな。まあ、
……最難関の魔術学校の先生にも使えないほどの魔術か。膝に乗せた手を強く握った。
「消してしまうと、もう二度と戻らない。そして、記憶というのは複雑で、一部でも消してしまうと、他に思いもよらない影響を及ぼすこともある。施術も一発勝負になるから、かなり難しい。だから普通は隠す。蓋をして思い出せなくしてしまう。これでも、消えたようには感じるよね。しかも『思い出せなくなる』ことは普通にも起こりうるから、より自然ではあるし、蓋を取ってしまえば、また思い出せるようになる」
俺がうなずくと、先生はさらに続けた。
「でも、その範囲が大きすぎたりすると、不都合が生じる時もある。だから蓋の上に全く違う記憶を書き込んで、無理矢理つじつまを合わせることもある。まあ、うまく書き込むのはとても難しいから、これまたあまり使われる手ではないけどね」
……難しいとはいえ、書き込むこともできるのか。
「あの、それはどうやってかけるものなのですか?」
「魔術をかけるには、対象者と面と向かって、そのために事前に作り上げた術式や呪文を使う。遠隔では、様々な理由でちょっと厳しい。施術にはかなり時間がかかるし、対象者の意識がない方がやりやすいから、なんらかの方法で眠らせることが多い。それと、消す以外の操作は、時間が経つと必ず
対象者は眠らせる、という言葉にドキっとした。心当たりがある。それに入学式の日の雪寮での事件。あの日、森戸さんから漏れ出た魔力に当たった俺はひどい頭痛に襲われて、それで。
そうか、あの日からだ。あの日から俺は。カチリと、何かがはまる音がした気がした。
「長々と喋っちゃったけど、その手の魔術は存在はする。けれど、施術するのも、維持するのもそう簡単ではないってことだよ。これでいいかな?」
「ありがとうございます」
頭を下げると、紺野先生はにこりと笑って自室に戻り、椅子に座った。それを見て再び寝転がろうとした時だった。先生がぐるりと椅子をこちらに向けた。
「ああ、そうだ。最初の質問に関してだけど」
「へ?」
その話はもう終わったと思い込んでいたので、思わず間抜けな返事を返してしまう。先生は、考えながら話そうとしているのか、顎の下に手を添える。
「たとえば、とある人間が持っていた記憶を全て消して、もしくは全て隠してしまったところに、作り物の記憶を書き込むことで、中身の違う別の人間を作ることも……できなくはないかな。まあ、情報が多すぎて、とんでもない時間がかかりそうだけど。ああ待って、小さい子供になら」
小さい子供になら? ああそうか、生まれてからさほど年月が経っていないんだもんな。作らなければならない部分や、書き込まなくてはいけないことが少なくて済むってことか。……ん? まさか、まさかな。少し背筋が冷えた。
「あ、そんなことしたら法律に思いっきり引っかかるよ。まあ、さすがにそこまでは難しすぎて、本当にできる人は世界に何人もいないだろうけど。理論上は可能そうってことで。ちなみに、許可なく人の記憶をいじったら犯罪だからね。だめだよ香坂くん」
「わ、わかってますってば」
俺がいつか何かをやらかそうと企んでいると思ったのか、苦笑いで答えた紺野先生に、何とか一言だけ返す。先生はまた椅子の向きを机のほうに変え、ノートパソコンに何かを打ち込み出した。
時計を見た。示している時刻は二十二時五十五分だ。
「あ、そういえば、もうそろそろ消灯時間ですね。俺はもう寝ます。おやすみなさい」
「ああ、そうだね。おやすみ、香坂くん。僕はもう少しやりたいことがあるから、まだ起きているよ」
先生は、こちらを見てそう言うと、引き続き作業を続けている。俺はそっと仕切りのふすまを閉じ、自室の明かりを消すと、布団に潜り込んだ。
頭から布団をかぶって身をギュッと縮めると、耳の辺りが脈を打っているのがわかる。ひたすら深い呼吸を繰り返す。鼓動はいつもより少し早い気がする。
そもそも、記憶に何か手を入れられているのではと考えたのは、やはりここ数日の出来事が大きかった。俺は、以前に魔術の使い方を誰かに教えられていたが、思い出せなくされているのではと考えたのだ。
今までやらかしたもの、全部がそうではない。でも、少なくとも空の飛び方と『蛍』の出し方は昔から知っていたような気がするのだ。
記憶をどうにかする魔術を施術できる人は少ないと、紺野先生は語った。しかし凄腕だとか、天才だとか、エリートだとか……思えば、今まで誰しもにそう呼ばれていて、他に魔術師のいない田舎町で、ありとあらゆる事態に一人で対応していた
それに、施術の際には対象者を眠らせることが多いというが、同じ屋根の下でずっと一緒に暮らしていたんだ。俺に全く知られることなく、自然な形でそのための魔術をかけることもできそうだ。なんせ対象者は、夜は目の前でたっぷりと寝ているわけだから。
やはり、
夕方に夢のようなものを見たことによって、思い出せないようにされているのはそれだけではない気がしてきた。そこには母親がいて、夢の中の俺を別の名前で呼んだ。そして、あの夢にはもう一人誰かが……そう思ったところでまたあの不自然な頭痛がして、目を閉じた。
やはり俺の頭の中には何かがある。おそらく、なんらかの理由で、記憶に蓋をされていることには間違いなさそうだ。今まで何も起こらなかったのは、母親が近くにいて、定期的に手を入れていたから。それが入学式の日の夜に、たまたま森戸さんの力に当たってしまったせいで綻んでいるのだろう。
いったい何を隠すためだ? あの人が俺に隠していること。もはや一つではない気がするが、父親に関しては確実にそうだ。昔から、これだけは聞いても答えてくれないからだ。
男性なのに魔力を持ち、魔術を使うことのできるのだって。本当に、遺伝子の突然変異や奇跡の偶然の結果なんだろうか? いつからか、そう言われるようになったのは母親が誰にも父親のことを語らないからで。
やはり俺からは見えなくなってしまっている父親が、何か鍵を握っているのではないか? どちらにしても、俺の生まれには何か大きな秘密があると考えていいと思う。
……血の繋がりがあってもなくても、
そこで、はたと思った。記憶の蓋とやらが完全に開いてしまったらどうなるのだろう? 何もかも全部思い出すということなのだろうか。
いや、待てよ。俺が、
……自分が消えてしまうかもしれない。それにもし状況が変わって『たまき』が必要なくなれば、消されてしまうかもしれない。そう考えると恐ろしくなってきて、助けを求めるように目を閉じた。
何も、教えてもらえないのも。いつか消える、いつでも消せてしまう存在に、大切なことを教える必要はないからなのでは。ひとかけらだった疑念が今は大きく膨らんで、今にも俺を覆い隠そうとしている。
まぶたの裏に、小さい頃からずっと大好きだった笑顔が浮かぶ。ほんの少し前まで、この笑顔を見ると嬉しくて、そして安心していた。それなのに今はそれが恐ろしく、底知れないものに感じてしまう。
布団の中でさらに身を縮めた。
だめだ。落ちてはいけない。心の中でひたすら、自分が消えてしまわないことを願うことしか、できなかった。
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