第45話 一日の終わりに・1

「香坂くん、もうすぐ夕食の時間だよ」


 紺野先生の声で目が覚めた。どうやらいつのまにか眠っていたらしい。ぼんやりした眼差しを掛け時計に向けると、時刻は六時五十五分。先生の今朝までの様子を思い出して身構えたが、俺を見つめるその表情は、いつもの優しげな笑顔だった。


「まあ、僕はいちおう、先生だからね」


 外に出るために靴を履きながら、紺野先生の話を聞いた。


 規則を破った俺の処分が決定するまでは、先生として厳しくしなければならないのではないかと考えた、と言うことだった。心苦しいとは思っていたと伝えられて、ほっと胸を撫で下ろした。


 しかし、先生に言われたことを破ってしまったのは事実だ。もしかしたら、そのせいで先生も注意をされたりしたかもしれないので、ちゃんと謝らなければと思った。


「本当に土曜はすみません。外に出るなと言われたのに、出てしまって。よく考えたら、先生の立場とか、悪くしたんじゃないかなって」


「ああ、それは大丈夫だよ。まあ、寮の外に出るくらいのことはしそうだとは思っていたかな。けど、正門にも裏門にも監視の目があったのに、校外にいたものだから。またんだと思い込んでしまってね」


 先生はすっかりニコニコとしたいつもの調子だ。ああ良かった。緊張からずっとこわばっていた身体から、ようやく変な力が完全に抜けた。


 しかし、俺は、なぜだかわからないが、願うだけで魔力を使ってそれっぽいことができてしまう。しかし、それは不完全な魔術で強い負担がかかるからと、『魔術で何とかしようと思ってはいけない』と先生から固く言いつけられている。


 ……それなのにやってしまったけど。気まずさから、横を歩く先生から目線を逃して、唇をギュッと結んだ。しかし、先生には嘘をつくことになってしまうが、あの時の探査もどきのことは話さないことに決めている。


 これに関しても、気になることは山ほどあるが……今日は、あまりにもいろいろなことがあり過ぎて、頭の中がパンクしてしまいそうだ。


「まあ、いなくなってしまった同じクラスの女の子のために。これぞ青春だなあって思ったよ。あ、こんなこと言ったなんて誰にも言わないでね。規則は規則だから。二度とないように頼むよ」


「青春……?」


「いいねえ、僕には全く経験のなかったことだよ」


 首を傾げた俺に向かって、先生はそんなことを言った。そして雪寮のドアを開けながら、意味深に笑って見せてきた。


 いつものように雪寮の食堂で先生とふたり向かい合って食べる夕食のあと。風呂と洗濯と、今日の課題を終わらせて、俺はベッドに横たわっていた。先生は相変わらずノートパソコンや本とにらめっこをしているようだ。


 俺は、天井の照明にたまった虫を見つめながら、ぼやっと今日のことを振り返っていた。


 ひたすら生きた心地のしなかった授業中。放課後は、土曜の件で先生たちに叱り飛ばされて……とりあえず首は繋がったから良かったが。それに、佐々木先生……紺野先生の目覚まし時計の音を、佐々木先生の声にしたら、一発で目覚めてくれるかも知れない。


 透子の家が、あんなお金持ちだったとは。何だよあの長い車。まあ宇宙船じゃないってことはこの星の生まれには間違いないっぽいが、住む世界は確実に違う気がする。


 それに、本城さんのこと。彼女はなんらかの秘密と、大きな傷を抱えていそうだ。秘密を暴こうなんて気はない。俺がその傷に寄り添いたいなんて傲慢なことも思わない。……でも。やっぱり。


『好き、かな』


 思い出したのは、本城さんのほんのり笑った顔。これはそういう意味ではないに決まっているのに、カッと熱くなった身体を無理やりなんとかしたくてもなんともならない。生まれてこの方、そういうこととは無縁だった俺には、あの言葉はあまりにも威力が強すぎた。


 違う違う違う! だって散々、怖いって言われただろ! 落ち着けよ!


 頭を混ぜながら悶えていると、紺野先生がこちらを見ていることに気がついた。さすがに動きが大きかったようだ。恥ずかしい。


「香坂くん? やっぱり頭が痛むのかい?」


「ち、違います! 大丈夫です!」


 さて、しばらくして息が整うと思い浮かんだのはやはり、俺自身のことだった。


 あの不思議な夢は何だったんだろう。母親がいて、もうひとり誰かがいて、子供がいて。子供は『めぐる』と呼ばれていた。でもこれはやっぱり自分の記憶にはないもの。名前だって自分のものとは違うし、俺には母親しか家族はいないのだから。だから、ただの不思議な夢だろう。


 それでも、母親以外の自分の血縁にあたる人間をひとりも知らないのは不自然だ。以前から、母親は父親のことを尋ねても何も答えてくれない。もしかすると自分は望まれない、母親にとっては忌々しい血を引いている子供なのかもしれないと考えては、打ち消して。


 また、が頭に浮かんだ。俺はあまりにも嫌すぎるそれを押さえつけるように、ゴロリと寝返って頭を押さえた。


「香坂くん。やっぱり具合悪いのかい? 顔色が良くない気がするね。それに、食事もあまり進んでいなかったようだけど」


 紺野先生から声をかけられた。先生はいつのまにか俺のベッドの横に立っていて、片手にはいつものコーヒーを持っている。俺は、身体を起こした。


 そういえばこの人は魔術師ではないが、魔術の先生だということを思い出し、思い切って尋ねてみることにした。


「いえ、大丈夫です。ところで紺野先生、ちょっと質問があるんですけど」


「質問?」


 俺は頷いた。どれどれ、と言った紺野先生は俺のベッドの横にゆるやかに腰を下ろした。


「魔術を使って、人間を生み出したりできるんでしょうか」


 思いもよらぬ質問だったのか、先生は目を丸くし、顎の下に手を当てた。しばらく考えるような顔をしてから、話し出した。


「うーん。あれやこれやと用意した材料を、フラスコの中で混ぜ合わせたものに、魔力をかけながら動物の血を与え、体温ほどの温度で温めると……みたいな話が有名だけど、まあ、現代では再現されていないねえ」


「……再現されているものでは?」


「ないよ。材料を用意して溶かして組み立てて、似たようなものを作ることはできるけど……まあ生命は吹き込めないしねえ。命を持ったものをゼロから生み出すというのは、今のところは魔術をもってしても夢物語とされてるね」


 先生はそう言うと、手に持ったコーヒーをごくごくとラッパ飲みする。相変わらず、男性とは言っても豪快からはほど遠い、柔和で綺麗な顔立ちには似合わない仕草で、見ていると無理やりにほぐされてしまう気がする。


 ……魔術で人間は作れない。と言うことは、俺は何もないところから作られたというわけではないと考えてよさそうだ。ならば、これはどうだろうか。


「他人の記憶を操作する魔術ってあるんですか?」


「ん? それならあるよ」


 今度は即答だった。ペットボトルのキャップを締める先生を見つめる。どちらかと言うと、こちらの方が可能性が高いかと思っていたので、俺は静かに息を呑んだ。

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