第43話 綿菓子と、彼女と、

 そろそろ迎えが来るといった透子を見送るため、三人並んで正門へ向かった。本城さんの歩くスピードに合わせて、ゆっくりと、歩いていく。


 もうあたりはすっかり夕暮れの色。本部棟前広場に着いたあたりで、正門を入ったところにある小さな駐車場に、車が停まっていることに気がついた。


 それがただの乗用車じゃない。真っ白な、長い車だった。


 いわゆる限られた金持ちが乗るやつだ。これまたテレビでしか見たことがない……中がカラフルなライトで照らされ、後ろの席でみんなでシャンパンを開けて、街中を走りながらパーティーをするための車だ。


 何であんなもんが学校の前に停まっているんだ? 横を見れば、本城さんも似たようなことを考えているのか栗色の目をぱちくりと瞬かせている。


「あぁー。もう着いてしまっておるようだの」


「ん? あれは四宮さんのお宅のお車なんですか?」


 またもや俺の理解を軽々と飛び越こした透子の背中に思わず敬語で話しかける。いや、高校生が飲んじゃダメだろ、シャンパンなんて。そこはジュースかお茶にしないと。


 俺は透子が不良になってしまいはしないかと心配しているというのに、透子はくるりと振り向くとなんてことないような顔で俺を見た。


「ああ、まごうことなきわたしの車だ。しかし、話し方が若干おかしくなっているようだが、どうしたのかね、たまきくん」


 いや、話し方のことに関しては、透子だってどっこいどっこいじゃないか。それにだって、テレビでしか見たことないような車が、目の前にあって、しかもそれが友達んちの車だなんて……話し方もおかしくなるだろう。ん? 待てよ?


「え、『わたしの』って、別に透子が運転する訳じゃないんだよな?」


「ん? 何を言っておるんだ、たまきくん。我々はまだ運転免許を取れる年齢ではないのに、自分で公道を運転できるわけがないじゃないか。運転手がいるに決まっているだろう」


 さすがの透子でも運転はしないと聞き、いくらエキセントリック綿菓子といってもそこらへんの常識は弁えているのだなと安心した。まあ、『公道を』が若干引っかかるが。これは詳しく聞いてしまえば、また空を高く飛ぶことになりそうだからやめよう。と思ったところで、はたと気がついた。


「え、あれ、もしかして家の人ではないの!?」


 俺が視線を向けたことに気が付いたのか、車の脇に立っていたスーツ姿の初老の男性が微笑んで、こちらに向かって頭を下げてくれた。俺も慌ててそれに頭を下げ返す。先ほどから存在には気付いてはいたが、俺はてっきり透子のお父さんだと思ってた。えっ、運転手!?


「我が家に長年住み込みで働いておる者なので、『家の人』に間違いはない。しかしその表現が血のつながった家族のことを指すというのならば、答えは否だ。とはいえ、この者はわたしが幼き頃からの専属運転手だからな。家族同然の人間には違いない」


 透子は頷きながら、腰に手を当てて胸を張る。それを見る俺の目はおそらく点になっているだろう。


「う、運転手さんか……へえ、それは、すばらしい」


 それだけを懸命に絞り出した。自分専用の白くて長い車、おそらく車を乗り回せるほどの広大な私有地、そして幼い頃から仕えてくれているというお抱えの運転手……どこまでも自分には縁のない世界の話。想像するだけで、キリキリと胃痛がする。


「すごく、優しそうな方だね」


「そうだろう、そうだろう。心優しく、運転技術が素晴らしいことももちろんだがな。森羅万象を網羅していると言ってもいいほどに知識が豊富での。わたしは幼少の頃から……」


 本城さんに運転手さんを褒められた透子の大きな瞳は、ふたたびキラキラと輝き出した。運転手さんの話をする透子はとても楽しそうで、まるでお父さんの話をしているようだ。


 なんでも、仕事が忙しくあまり家にいないご両親の代わりに、運転手さんが話し相手になってくれたりしていたそうだ。


 ……しかし、透子のご両親はどんな方なのだろう? めちゃくちゃ気になる。透子は父親と母親、どっちに似たかとか、それとも、俺みたいに突然変異なのだろうかとか。きゃっきゃと盛り上がる本城さんと透子を見ながら、腕を組み考えた。


「お嬢様。ご歓談中のところ申し訳ありませんが、そろそろお時間が」


 いつのまにか、近づいてきていた運転手さんは、優しげな笑顔でそっと呼びかけた。お嬢様と呼ばれた透子は笑顔で頷くと、ラムネ瓶の瞳を細めた。


「ああ、そうだな。では、珠希さん、環くん、ごきげんよう。また明日」


 透子はそう言うと、両手でスカートをつまみ上げてお姫様のように会釈し、春風のように去っていく。運転手さんもこちらに改めて一礼をすると、透子の後ろについて歩いて行った。


「ごきげんよう」


「ご、ゴキゲンヨウ」


 透子と運転手さんを、そう言って見送った。本城さんの挨拶はなんだか様になっていたが、俺はあいにくお上品な育ちではない。そんな言葉を発したのは生まれて初めてで、少々ぎこちなかったが致し方ない。


 しかし、四宮シャーリー透子、やはり底知れないし、謎深き女だと思った。



 ◆



 透子お嬢様を乗せた白くて長い車が見えなくなるまで見送って、寮への道を二人で歩いていた。俺と本城さんの間にはちょうど透子一人分くらいの間隔が空いていた。


 嵐のように現れた透子に吹っ飛ばされたおかげで、さっきの重苦しい空気は若干うやむやになっている。しかし、お互いに何も言い出せず、気まずいままでしばらく歩いていた。


「うーん。噂には聞いてたけど、透子ちゃんちはやっぱりすごいなあ」


 本城さんが先に口を開いてくれたので、すかさず話に乗り込むことを選んだ。噂になるほどとは、やっぱりとんでもないお家の生まれなのか、あいつは。


「俺も、びっくりした。なんか、違う世界に住んでるんだなって」


 母子家庭だったとはいえ別に貧乏暮らしをしていたわけではないが、実家があるのは何もない田舎町。母親は車を持っていたけど軽自動車だったし、俺はもちろん自分で漕ぐ自転車、家は母親が中古で買ったらしい小さな平屋。まあ、裏の山はぜんぶ庭みたいなもんだったが。


「うーん、四宮家ほどのレベルとなるとそうそうないけど、代々魔術師ですってところは近しいお家がちらほらって感じ。貴重だからなのかな、ステータス? みたいな。よくわかんないけど」


「へぇ、そうなんだ!? も、もしかして本城さんちもそう?」


 本城さんも、もしやお嬢様というやつなのだろうか……と思い、何も考えずに口に出してしまい、すぐに後悔した。ついさっき、本城さん本人の口から『実家とは』って言われたところだろうが! 取り返しがつかない大失態を犯した。心の中で自分をボコボコと殴り付ける。


「わわわ! ごめん! 何でもない!!」


「まあ、経済的にはそんな大したことないと思うけど、名前は通ってると思うよ。古くてめんどくさいって。クラスの子にも私のこと避けてるなって子いるし。もしかして香坂くんって、身内には魔術師ひとりもいないかんじ?」


 内心はわからないが、本城さんのけろっとした反応に、胸をなでおろす。入学初日に、彼女の名前を聞いたクラスメイトが明らかに反応していると感じたのは、やはり気のせいではなかったようだ。


 そういえば、俺は魔術師が珍しい田舎で生まれ育ったため、身近にいる魔術師は母親のみ。きっと魔術師の世界の常識みたいなものもよく知らないんだろうなあと思いながら、彼女の疑問に答えた。


「いや、母親が魔術師そう。ここの卒業生」


「そうなんだ。お母さまが。あ、じゃあ、おばあさまは?」


 重ねられた質問に歩みを止められた。そのことに気づいたのか、本城さんも止まって振り返ってきて、首を傾げてこちらを見ている。


『おばあさま』とは、要するに祖母のことだろうが。でも実は、俺は自分の祖母を知らない。周りの同級生にも、すでに祖父母がいないと言う人は何人もいた。俺も勝手にそんなものだと思っていて、今まであまり気にしたことがなかった。


 でも、存在は……している、もしくはしていたはず。しかし正直、父親のことを考えるので頭が一杯で、『いない』以上のことを深く考える機会はなかった。俺は父親がどこの誰なのか知らないので、父方はともかくとして。母親はいるんだから、母方ならば知っていても良さそうなものなのに。


 俺はなぜか母親以外の血縁にあたる人間を、誰一人として知らないことに気がついてしまった。


 …………どうして、俺は、知らないのだろう?


『たまきくん、君はいったいどこから来なさったのだ?』


 先週、林の中で透子に言われたことがふっとよみがえってきた。何かを確かめるように、足もとに長く伸びている自分の影に目を落とす。


 …………俺は、いったい、どこから来たんだろう?

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