第37話 告白

 本城さんは『道に迷った』と言うが、そもそもここは道ではない。道を外れ、草木をかき分けてわざわざ入り込まなければならない場所で……バス道の方からだと、急ではないが少々斜面を上がる必要もある。


 まあ、俺が編み出してしまった『探査魔術のようなもの』の結果はちゃんと当たっていたわけだ。しかし、寮を飛び出した時は必死であまり深く考えなかったが、彼女に会えたことで急に冷静になり……やっぱり、こんなところにいるのはおかしい。まあ、尋ねるしかないか。


「本城さん。なんでまた、こんなところに」


「ちょっと遠くまで行きすぎちゃって、帰りのバスがなくなっちゃって。携帯も忘れちゃったし、タクシーも捕まらなくて。だからバス道を歩いて戻ろうとしたんだけど、ちょっと」


 うろたえている、といった様子だ。そりゃこんなところにいるのに突然、同級生が目の前に出てきたら驚くに決まっている。俺も昨日、透子と林で遭遇した時は呆然としてしまったし。


 しかし、バス道沿いを歩いていたのならばこんなところに迷い込んでいる理由がわからないし、タクシーが捕まらなかったと言うのも不思議だ。俺は昼間に駅前で、タクシーが大行列をなしているのを見ている。……ああそうか。夜は帰る人が多くて全て出払っていたのかな?


 それで俺が真っ先に思いついた『真っ直ぐ最短距離を行く』という選択をしたということか? なかなかにたくましいな……いやでも、それにしても少し場所がおかしいが。彼女の行動は、なんだかおかしなことだらけである。


「そうだったんだ……大変だったな。みんな探してるから一緒に帰ろう」


「いや、その、えっと、足、くじいちゃって、歩けなくて」


 その声はなんだか震えている。足をくじいているそうだから、痛さからなのか、それとも暗くて怖いからなのか。どちらにしても、早く連れて帰らないと。そう思って本城さんに手を伸ばした。


「とにかく帰ろう。歩けないなら、背負っていくから」


「ご、ごめんなさい。大丈夫だから。放っておいて」


 なぜか座ったままでじりじりと後ずさりをされている気がする。だんだんと、涙声に変わっていっているような気がして、首を傾げた。その声の様子はとても大丈夫そうには思えない。もしかして体重がとか、そんなことを気にしているのだろうか?


 なんだか、可愛いな。でも、俺は男だから仮に少々重たくったって平気なんだけどな。少し距離を詰めた。


「別に、女の子ひとり背負うくらい平気だから。気にしないで」


「やめて! 来ないで! 触らないで!」


 初めて聞く本城さんの荒らげた声に驚いて、今にもその肩に触れそうだった手を、あわてて引っ込めた。


「ど、どうした?」


「ごめんなさい。私、男の人が、怖いの。だから、触らないで……危害を、加えるかもしれないから」


 震える声だが、キッパリと放たれた言葉に血の気がみるみる引いていく。『危害』という言葉に雪寮での騒ぎが頭をよぎる。


「道のところにいる人たちに、見つからないようにこっそり帰ろうとしたけど、足をくじいて動けなくなっただけだから」


 彼女の捜索のために道沿いにいるのは、ほぼ全員が男性だ。それにしても、こんなところに逃げ込んでしまうなんて、怖がり方が尋常ではない気がする。


 ああ、そうか。そう思った俺は唾を飲んで、一歩下がった。心臓の鼓動が、嫌な意味で加速する。


「香坂くんのことも……本当は、初めて会ったときからずっと怖かった」


 俺は、突然の告白をなすすべなく聞いていた。森の中は不気味なほど静まりかえって、俺の心だけがざわざわとしていた。


「勝手に怖がってる私が悪いんだから、頑張って、平気にならなきゃって。それに、いい人だから、冷たくして傷つけたいわけでもなかったんだけど。やっぱり……ごめんなさい。だからもう、私のことなんか放っておいてほしいの」


 そうか。最初に俺が正真正銘の男って聞いて、震えながら驚いてたのが本城さんの今も変わらない本心で、あとは全部。握った手が妙に冷たかったのは、怖かったからなのかもしれない。絶望的な気分になったが、それでもなんとか言葉を絞る。


「……俺に、ついてくるのは、やっぱり難しい?」


「うん……寮を抜け出してるんだよね? だったら、見なかったことにして、早く戻って。朝になったら、なんとかして帰るから」


 本城さんは相変わらず震える声。足をくじいていて歩けないと言う彼女を、見なかったことにしろなんて、そんな。足は早く手当てした方がいいだろうし、これ以上の大ごとになったら、彼女も無事じゃ済まないかもしれないのに。


 なあ、少しくらい我慢してくれても、いいんじゃないか? そもそも、俺はなにもしていないのにどうして。


 ああ、俺はなにやってるんだろうな。ばかみたいじゃないか。来なきゃよかった、かも…………。


 思わず口に出しそうになったのを飲み込んだ。だめだ。そうじゃないだろう。ちゃんと見つけられて、とりあえずは無事だった。俺は人を助けたいと思っているんだから、これでいいんだ。


 男が怖い、どうしてそんな事を思うようになったのかはわからないし、確かめるつもりもない。彼女が悪いとも思わない。


「そうか」


 もし、本城さんを見つけられたら、俺がついてるから大丈夫、なんてかっこつけて言おうとしていた。もし、彼女を助けることができたら、もう少し近づけるかな、仲良くなれるかも、もしかしたら、もっと、なんて思っていた。


 そう、心のどこかでは、彼女からの見返りを求めていた。そんな自分に気づいて、情けなくなった。


 彼女は俺のことが初めて会ったときから怖かった、と言った。それなのに、仲良くしようと言ってくれて、遊びに行こうという時には頭数に入れてくれて、会えば笑顔で手を振ってくれた。


 平気になろうとしてくれていた。恐怖を感じながらも、目を瞑らずに俺を見て、わかろうとしてくれたんだ。きっと。


 やっぱりこのまま見捨てたくなんかない。そう思って、立ち上がった。


 一刻も早く、ここを立ち去らなければ。このまま道に出て、出会った人に彼女の無事と事情と居場所を伝える。男性教員や警備員には引いてもらって、女性教員か上級生に迎えに来てもらうように頼む。


 それが、俺が今やるべき事だ。


「足、痛いんだろ? 俺、人呼んでくるから。ちゃんと、女の人に来てもらうように頼むから。暗いし、怖いと思うけど、ここから動かないで」


「でも、そんなことしたら、香坂くんが」


「……大丈夫だよ」


 あたりを見回した。月明かりと向こうの方、道沿いに見える外灯の灯りだけで、他には明かりはない。そして、耳が痛くなるほどの静寂。暗くて静かだが、心地よさとはほど遠いと俺は思う。こんなところに本城さんを一人取り残して去らなければならないのが、つらい。


 本当は無理やりに、引きずってでも、担いででも、早く連れて帰りたいと思ったし、そうしようと思えばできる。でも、そのことで彼女をさらに深く傷つけてしまうことになるかもしれない。


 せめて近くに光があれば、安心するのに。でも、本城さんは今日は携帯を忘れてきたという。はっと気がついて、ポケットの中のスマホを取り出した。これは、使い始めてまもないものなので、本城さんに見られて困るようなものはまだ入ってはいない。


 これを貸して、迎えに来てもらえるまでの明かりにして貰えばいい。と思ったのだが……電池が切れていた。昼間たくさん使ってその後、充電するのを忘れていた。俺は自らの詰めの甘さを呪い、うなだれた。


 明かりか。ああ、蛍でもいたらな。


 唐突に、昨日の話を思い出した。森戸さんも本城さんも、蛍を見たことがないから一度見てみたい。そう言っていた。でも、今はまだ蛍が光る時期ではないし、近くには蛍のいそうな川などない。そもそもこの辺りに生息しているのかもわからない。


 ああもう、何が蛍だ。なんか、怖いと言われたショックからなのか、何もかもがうまく行かなかったからなのか、考えることがむちゃくちゃになってきた。早く誰かを呼んでこようと、踵を返す。



 ……あれ? 蛍? そういえば、なんか、前に。


 頭の中にぼんやりと何かが浮かび、足を止めた。その瞬間、また頭痛に襲われ、目の前の景色がぐにゃりとゆがんだ。足がもつれそうになる。


 よりによって、こんな時に! 健康優良児と呼ばれてきた自分が、なぜこのような現象に襲われるのかもわからず、とにかく倒れないように踏ん張ろうとした。しかし、


 暗いところで、ふたりきり。そこで、蛍のことを言ったのは誰だっけ?


 そこで、ぷっつりと、意識が途切れた。

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