第30話 科学と魔術、そして夢

「ただいま!」


 紺野先生はいつもより少し遅く、夕食の時間が始まる時間に帰ってきた。課題を進めていた手を止め、急いで外に出る支度をする。靴を履き玄関で待っていると、ネクタイを外しシャツの襟元を緩めただけの先生が出てきた。


「待たせてごめんね。ちょっと仕事が押してしまったんだ。行こうか」


 早足で向かった雪寮の食堂。中に入ると、順番待ちの列はまだあるものの、すでに食事を始めている学生がほとんど。いつものように大変賑わっている。


 ここではまず、入り口を入ったところにあるカードリーダーに寮生カードをかざす。認証されたら、目の前にあるトレーを取り、順に供される食事を受け取るためにカウンターを進む。三回目ともなるとだいぶ慣れた。


「こんばんは。ご飯の量どうする?」


「あ、こんばんは。少し多めにしてもらえますか」


「はいどうぞ。おかわりも遠慮なくね」


「……ありがとうございます」


 目の前に現れたご飯の山。空腹だから大丈夫だとは思うが、白い輝きがちょっと眩しい。


 こうして食堂のスタッフの人に挨拶をしながら、ひとつずつ食事を受け取っていく。全てを受け取ったら、いつものように一番隅のテーブルに先生と向かい合わせにつき、手を合わせてから食べ始めた。


 今日の夕食は純和風といった感じで、味噌汁にご飯、煮物や出汁巻き、焼き魚が並んでいる。


 うーん、大人なら嬉しいのかも知れないが、俺からすると今ひとつテンションが上がらない。お子様舌とバカにされてしまうかもしれないが……あまり期待せずに煮物を口に入れると、意外においしく感じて驚いた。高校生になって、少し大人になったのかもしれない。


「そういえば、もう学生証は受け取ったのかい?」


 紺野先生が箸で焼き魚をほぐしながら言った。俺も焼き魚に箸を伸ばし、端の方から攻略することにする。


「まだです。来週の半ばになるって聞きました。あ、学生証も寮生カードみたいにハイテクなんですよね? 中学校のはただの厚紙だったから、びっくりしました」


「確かにねえ。職員証も似たようなものだから、僕も初めは君と同じように驚いたものだよ」


 寮生カードの中にはチップが内蔵されており、玄関や自室の鍵の開錠に使う以外にも、寮での食事に関する記録もされている。朝夕の食事は決まった時間に好きな量を食べて良いことになっているが、抜いてしまうとこの記録を元にすぐに指導が入るとのことだ。


 学生証も、身分証明書としてはもちろん、図書館の本の貸し出し、特別教室の開錠や、学内での各種申請に使うという。手元に届いたらまずは図書館に行ってみたい。


「そういえば、魔術の学校なのにとことんハイテクなのが不思議です」


「そうだねえ。仮にここにいる全員が魔術師なら魔力や魔術に依存したシステムを敷くんだろうけど……そういうわけじゃないからねえ」


 確かに学生は全員、魔力を持つ魔術師の卵だ。しかし教員や職員は全員が魔術師というわけではなく、むしろそうでない人がほとんど。魔術の学び舎でありながら、全てを魔術や魔力に託さないのはそういう理由だ。


 さて、魔術というものは、自らのうちにある魔力、いわゆる生命活動の副産物とも例えられる『不思議な力』を引き出して操り、科学では実現不可能な事象すらも起こせる技術だ。


 しかし、科学の進歩とともに『実現不可能』は徐々に減りつつある。近年は科学技術の隙間を埋めたり死角をなくすためのもの……という色合いが強くなり、そのための新たな呪文や術式が日々生み出されている。魔術学生の学ぶことが一般科目も含め多岐にわたるのは、当然のことかもしれない。


「魔術もだけど、科学もすごいなあ……」


 とにかく、魔術が不思議だというのは今まで散々目の当たりにしてきたが、カードにしてもスマートフォンにしても俺の目には十分に不思議なものに映る。いったい魔術と何の違いがあるのだろうか。


「そうだね。そういえば、僕の受け持ちの学生が宙に浮いてる君を見たらしくて大騒ぎで。今日の六限は飛行術の解説で終わってしまったよ」


「……よくわからないんですけど吹っ飛んじゃいましたね」


 昼間の出来事。あの高い塔の上にいたのは先生の教え子だったんだ……俺は思わず笑ってしまったが、先生はなぜか笑っていない。


「……また編んだね、香坂くん。それはいけないと前にも言っただろう」


「ああいや、今日はこの通り平気ですよ。うまく言えないんですけど、一昨日倒れちゃったのは、二つ同時に何かをしたからかもしれません。森戸さんが、自分の暴走を止めたのは俺に違いないって。よくわかってないんですけど」


 あの時はダメだったが、今日は大したことはないのに。安心してもらおうと笑ったが、紺野先生の箸が止まった。しかもその顔からはいつもの笑みが綺麗に抜け落ちている。魚の骨でも喉に刺さったのか? その割には静かだが。


「香坂くん、君はもう、自分にはできてしまうと知ってしまっているけれど、今後は……少なくともある程度、魔術が使えるようになるまでは、何か困ったことがあっても自分の力でなんとかしたいなんて絶対に思っちゃいけない」


 ……なるほど、忠告か。ああしなければ森戸さんが大怪我をしていたかも知れないし、それに本城さんだって。そのための力があって方法を知っているのに、目の前や手の届くところで友達が危ない目に遭っても、見捨てろと先生は言いたいのか?


 俺は、必要な時が来たら、迷いたくなんかないのに。


 初めて目の前の人に反感を持った。俺が魔術師になりたいのは人を助けたいからなので、今後も見過ごすつもりはない。自分のできることをやりたい。先生を半ば睨むように見つめたが、返ってきたのは悲しい表情だった。


「二つの魔術を同時に使えるのは凄まじい才能だ。できない人の方が多い。でもね、まだ何も学んでいない君が使えるのはあくまで不完全な魔術。きちんと計算もしていない適当なものを並列で走らせれば、知らないうちに自分の限界を超えてしまうこともある」


 この顔を見るのは二度目で、細められた瞳は夕焼けの色がひどく濃く、深い。


『限界を超えてしまえば、もう二度と目を覚ますことはできないよ。僕はもう、見たくはないかな』


 予感が確信に変わる。やっぱり先生は、かつて大切な人を亡くしている。俺がその人と同じ轍を踏まないようにと願ってくれているのか。


「……以後、気を付けます」


 火がつきかけた反抗心を鞘に収めた。心の中はまだ熱かったが、鎮めようと箸でつまんでいた焼き魚を口に入れる。脂が乗っていて美味しいが、笑顔が出てこない。静かに咀嚼する。


「いざというときに迷わないのが、君のいいところなんだろうけどね。でも、危ない橋を渡って自分を犠牲にするようなことがあってはいけないと思う。君に何かあったら、お母様が悲しむよ。それに僕もね」


「はい」


 先生の顔に重なるように、母親の笑顔が頭に浮かぶ。俺も、たったひとりの家族である母親がいなくなるなんて考えたくはない。


「僕ね、小さい頃は魔術師になって空を飛びたかったんだ。だから、今日の話を聞いたときは君が羨ましいと思ったよ。どんな景色だったかな?」


 ……地面に叩きつけられなければそれでいいと思っていたのに、肝が冷える高さにまで飛んだ。


 足元や目の前に広がっていた光景は、なぜか懐かしい気がして……懐かしいと言えば一昨日も。何だっけ? なんとか思い出そうとするが、きん、と鋭い頭痛がして阻まれた。またこれだ。


「うーん、すごく高かったです。そんなに長い時間浮いてたわけじゃなかったので、それだけかな」


「ははは、突然飛んでしまったならそうか、なるほどね」


 抱えていた森戸さんに大暴れされたり、女の子と一緒ということに動揺してそれどころではなかったというのもある。紺野先生は微笑むと、味噌汁に口をつけた。俺も腕を持ち上げる。母親が作るものより塩気が穏やかだが、別に味気ないというわけではない。だしがしっかり効いているということかな?


 気になることがあるので、煮物を味わう先生に問いかける。


「先生はどうして飛びたいと思ったんですか?」


「雲に乗ってみたいと思ったからかなあ。上で昼寝でもできたら、気持ちよさそうじゃないかい? ……って、いかにも子供が見る夢って感じだろう」


「なるほど、わかります。俺も考えたことがありますね」


『先生』が言うことなのだから、もっと難しいかと思ったが、ちょっと意外な答えだった。先生は子供のように屈託なく笑っている。


 空に浮かぶ雲は氷の粒の集まりで、実際は上に乗れるわけではない。でも、もし寝っ転がることができたとしたら、ふわふわとして気持ちが良さそうだな。いろいろな種類の雲で、寝心地を比べることができたら楽しそうだ。


「ああそうだ、香坂くん。さっき君は平気って言ってたけど、飛行術って物を浮かせるのとは同じようで全然違う。ちゃんとした術式で実行しても必要な魔力量があまりにも多すぎる。それを……なんだか恐ろしくなってきたな。本当に、命を大切にして欲しい。頼むよ」


「わ、わかりました」


 先生は片手で頭を抱えて大きなため息をついた。どことなく顔色が冴えないようにも見える。母親だけではなくこの人にも心配をかけないようにしなければ、と心の底から思った。



 ◆



 食事を終えて男子寮に戻った後は、課題を全て終わらせ、スマホもしっかり充電。早めに布団に入る準備を始めた。明日はいよいよここに入学して初めての休日、俺はひとりで街に出かけることにしている。


 森戸さんが言っていた『怪しい人』に捕まったり、道に迷ったりせず、無事にここに戻ってこられるといいな。そんなことを願いながら布団に入って目を閉じる。


 こうして、怒涛の金曜日は幕を下ろした。

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