第29話 掃き清め、身を清め

 こうして俺と森戸さんと透子の三人は、授業をサボった罰として、放課後に伊鈴先生の手伝い……第二体育倉庫の掃除をすることになった。


「ごめんなさい、私が取り乱してしまったせいよね」


「大丈夫だよ。さっさと終わらせればいいじゃないか」


「ありがとう、頑張りましょ」


 罰を言い渡された後からずっと、しょんぼりと肩を落としていた森戸さんが、ようやく笑った。


「めったに使わないものはこっちに入れてたんだけどな……なんか収拾がつかなくなって」


 時刻は午後三時五十分。伊鈴先生に案内され、運動場の片隅にやってきた。めったに使わない道具を収めるらしい第二体育倉庫は、そんなに広くはないものの、おそらく器具を適当に突っ込んだんだろう……目の前には混沌が広がっている。


「……えっと、すごいですね」


「いやあー、新学期までには片付けようと思ってたけど、なかなか時間が取れなくて」


 伊鈴先生は豪快に笑ってみせ、なぜか透子もそれに合わせるようにケタケタ笑った。でもこれ、終わらせるにはいったい何時間かかる? ゾッとした俺と同じ気持ちなのか、森戸さんも明らかにひきつった表情だ。


「あの、魔術で、こう、パパッとやるわけには?」


 今から罰を受ける身で非常に図々しい発言だが、ここは魔術学校だ。魔術師だったら、見習いたる魔術学生も含めゴロゴロいる。母親も『お掃除』という依頼を受けることもあったし、魔術でどうにでもできることのはず。なぜわざわざ人力で?


「ふふふ、こんなことで魔術師様がたの手を煩わせる必要もないだろう? 魔術師には体力も必要だっていうから、ちょうどいいじゃないか。さあ、みんなで体を動かそう!」


 伊鈴先生は拳を天に突き上げる。やはり立ち向かうしかないようだ。ほうきとちりとりを持つ手にギュッと力を込めた。


「これはまっこと面白そうだのう」


 透子だけが、余ったジャージの袖とふたつに結った髪を揺らしながら笑っている。本当にこいつはいつだって楽しそうで、見習うべきだと思うが、少し心配にもなる。


 ……果たしてこのエキセントリック綿菓子に、掃除ができるのだろうか。ちゃんと掃除をしている姿など想像ができないし、またどこかにふらりと消えてしまうのではないか?


 ならば、ここは俺が二人分働くしかないと腹をくくった。



 ◆



 しかし、そんな心配は杞憂に終わった。いざ掃除を始めてみると、この即席チームは最高のチームワークを発揮したからだ。


 まずは、こう見えて明晰な頭脳を持つ透子。汚れた器具をきれいに磨きながら素早く振り分け、しまう場所を決める。その手つきに一切の淀みなし。


 その指示に従い、腕っ節には覚えがある俺と伊鈴先生がそれを箱やカゴにまとめたり、大掛かりな器具などを移動。


 最後に、空いた床を森戸さんが掃除する。振り分けを終えた透子もほうきを手に取り、森戸さんとは反対側の隅から丁寧にほこりを掃いている。


 先生の前だというのに、透子はときおり鼻歌まじり。しかし、適当そうに見えて動きは的確なようで、彼女が掃いた後の床はつるりと綺麗だ……正直言って見直した。やるときはちゃんとやるんだな、四宮シャーリー透子。いろいろあらぬ疑いをかけてすまなかった。


 それからさらに十数分後。


「すごいじゃないか! ぜひまたあたしの授業をサボってくれ! そして今度は別の所の掃除を手伝ってもらおうじゃないか!」


 伊鈴先生が歓声を上げる。教師としてそれはどうなんだという発言も混ざっていたが、確かに体育倉庫は思ったよりずっと早く、そして見違えるほど綺麗になった。


「ありがとうなー!」


 大きく手を振る伊鈴先生に、一礼してから歩き出す。ジャージについた土埃を払いながら、運動場にある時計を見ると午後四時四十五分を指していた。あれほどの大掃除をしても一時間もかからなかったようだ。


「ああ、もうこんな時間かね。すまんが、わたしはここらで。たまきくんに、よしのちゃん! また月曜日に会おうではないか!」


「おう、また月曜にな」


「またね、四宮さん」


 透子は着替えのために、校舎に向かいぴょんぴょん走っていく。やたら急いでいるのは、駅に向かうバスの時間の都合だろう。


 透子が走っているのを初めて見たが、真似するのが難しそうな独特なフォームで、運動が得意が苦手か気になるところだ。そういえば、あいつが林の中で何をしていたのか、結局分からずじまいだった。


 寮生である俺と森戸さんは、寮で着替えてから呼び出しに応じたので、このまま帰寮する。小柄な森戸さんに合わせて、少しゆっくり進む。日差しが夕暮れのものに変わろうとしている時間、ふたつ並んだ影が少しだけ長く伸びている。


「あ、そういえばもうすぐお風呂の時間だわ」


「ああ、そうか、女子はちゃんと時間決められてるんだ。人数多いからか?」


「そうそう、班が決められてて。一週間ごとに入るお風呂と時間帯が変わるのよ。で、今週は夕食前なの」


「へえ。俺のところは先生と二人だけだから、自由時間内で適当って感じかな」


「ふふ、気楽でいいわね。でも結構楽しいのよ。珠希さんと班が一緒だから、これから毎日ふたりで一緒に入ろうって約束して」


 …………えっ、今、何と言った!? 足が勝手に止まった。


 本城さんと、一緒に風呂に入るのか……? いや同じ寮で暮らす女の子同士なら当然なのかもしれないが、どうしても頭の中に湯気が立ってしまう。


 いかん! その先を妄想してはいけない!! て言うかもう何も考えるな!! しかし、払っても払っても湯気が立つ。


 今、自分の顔が何色をしているのか見当もつかない。隠すために顔を手で覆い、指の隙間からようやく森戸さんを見た。彼女もいつの間にか立ち止まって、こちらを振り返っている。


「もしかして、なにか変なことを考えてるの?」


「あのっ! ごめ、ごめん。その……」


 しまった、我ながらあからさまな態度をとってしまった。はっきりと否定できなかったせいか、思いっきり怪訝な目で見られ、心臓が止まりそうになる。


 ああ、せっかくあの最悪な感じから、友達だとまで言ってもらえるところにまで行けたのに。俺は再び自らの名誉を自ら貶めようとしている。


 しばしの沈黙。やっぱり友達と言ったのはで……そう言われることを覚悟した。


「……考えるだけなら、しょうがないのかもって思うわ。私だって余計なことを考えることもあるから」


「えっ?」


 森戸さんがため息混じりに言う。目の前に立つ彼女は、夕陽にほの赤く照らされ、意味深に微笑んでいる。目を見開いた俺にさらに彼女は続ける。


「ねえ、香坂くんってもしかして」


「な、なに?」


「……まあ、いっか。これからどうなるのか楽しみね。今日はありがとう」


 何を言われるのかと思ったが、はぐらかされてしまった。やはりこの人、昼間から様子がおかしい。


「……な、なあ」


「じゃあね、またご飯の時に会いましょ」


 何とか聞き出そうとしたが、森戸さんは笑顔のままくるりと向きを変えると、軽やかに去ってしまった。



 ◆



 俺はひとり『男子寮』に戻ってきた。紺野先生の帰りは七時前になる。置きっぱなしだった鞄から、今日の課題に必要なものを取り出しながら時計を見ると、時刻はすでに五時を回っている。女の子たちはそろそろ風呂の時間だろうか。


 ……そうだ、と立ち上がる。いつもは夕食の後に風呂に入ることにしていたが、今日は体育で汗をかいたし、体育倉庫の掃除をしたせいで髪も埃っぽい。


 俺も先に風呂に入って、洗濯まで済ませてしまうか。湯を張るのは面倒なのでシャワーだけにすることして、着替えとタオルを物入れから出した。着ていた服を全て洗濯機に放り込み、風呂あがりにタオルを入れるだけの状態にしてから、風呂場に入りシャワーの水栓を捻った。


 絶えず流れ出てくる水のようによみがえってくる記憶。今日は初めて経験することが多かった。初めての授業、初めて過ごす昼休み。体育を半分以上サボってしまったが、これも生まれて初めてのこと。


 ……初めて女の子を抱きしめた。ようやく思い出しても落ち着いていられるようになったが、生きているうちにこんな経験をすることになるとは思わなかった。森戸さんに申し訳なかったが、怒ってはいなかったのがせめてもの救いか。


 そういえば、俺はどうやって飛んだのだろう。これはいくら考えても思い出せない。尻もちをついたせいで忘れたのだと思ったが、どうも違うような気がしてならない。深く考えようとすると、チクチクとした頭痛に阻まれてしまうのだ。


 ……本当に色々ありすぎて、まだ一日の終わりでもないのに頭がパンクしそうだ。適温にはなっていないが、待ちきれずシャワーを頭から被ったが……まだ季節は春なのをすっかり忘れていた。


「わあっ! 冷てっ!」


 水のままはさすがに無理があったらしく、寒さでガチガチと奥歯が鳴る。ただ、頭が一度冷えたからか思考は整理された。とりあえず、いま一番気になるのは……森戸さんが考えてる『余計なこと』についてだ。


 いったい何だろうな? 髪や身体をせっせと洗いながら考える。しかし他人の、ましてや三日前に出会ったばかりの女の子の考えていることなど、いくら頭を捻ったところで分かるはずもないのに。


 意味深な態度を取られてしまったせいで、どうしても頭から離れてくれない。汚れが洗い流されて身は清められても、そのあたりは洗い流されるどころか、むしろ深まっていくばかりだった。

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