46、それはもう「魔」ではない

驚いたことに、ブレスレットを欲しがる方はとても多かった。

フレイア様がごく限られた人数のお茶会を開き、実はこれ、ローレンツ様のものと同じなんです、と内密に打ち明けただけで注文が殺到したのだ。


そのとき参加できなかった方も、噂を聞きつけ後からどんどん注文が入る。


「キリがないから一旦区切りましょう」

「そうですね」


フレイア様とそんな会話をしたくらいだ。


出来上がったブレスレットは、フレイア様が新しく用意してくださった作業部屋に保管した。正直、とても助かった。そうでなければ私もルシーンも今頃、ビーズに埋もれながら眠っていただろう。




そして今日。

その作業部屋で梱包の手筈を整えていると、フレイア様とレイナン殿下がいらっしゃった。


「どう? クリスティナ」


お辞儀をしながら私は答える。


「おかげさまで順調です」

「おお、壮観だね」


初めてこの部屋を訪れたレイナン殿下は、ずらりと並べられたブレスレットを見て驚いたように言った。


「予約だけで完売だって? さすがローレンツ効果だね」


すぐにフレイア様が言い返す。


「失礼ね、レイナン。きっかけはローレンツ様かもしれないけれど、クリスティナのブレスレットが本当に素敵だからみんな欲しがるのよ」

「これは失礼した」


私はいいえと殿下に言う。


「ローレンツ様と皆様のおかげですわ」

「またそんなこと言って」


フレイア様がもどかしそうに言う。


「これ、見ているだけで綺麗だもの。手元に置いておきたくなるわ。色を増やしたのも良かったわよね」


ありがとうございます、と私はお礼を述べる。


「どうせならビーズの美しさを皆様に楽しんでいただきたくて、頑張りました」


殿下がへえ、と頷いた。


「何色あるの?」

「六色です」

「それはすごいな。混ぜずに単色だけかい?」

「その方が色別に願いを込めやすいんです」


リザ様の言う効用があるかわからないが、作っていると自然と願いを込めてしまうのだ。

レイナン殿下は、ブレスレットをじっくりと眺めた。


「願いって?」


私は端から順に説明する。


「そちらの赤は、アカバナルリハコベをイメージして作りました。だから、好きな人の前で咲くことができるように恋が叶う願いを込めました。その隣の黄色は、太陽の瞳と言われるタンポポのイメージです。見かけると思わず微笑んでしまうタンポポのように、人気者になる願いを」

「このふたつは特に人気なのよ」


フレイア様が言い添え、殿下が頷く。


「わかる気がするな。他の色は?」

「淡い青は、水面に映った空です。たとえ足元でも空が映っていることを思い出せるように作りました」

「これは遠くに行く恋人や家族に贈る用に人気なの」


リザ様の婚約者、ヨハネス殿下にも使った色だ。


「濃い青は、晴れた日の青空です。どこまでも出かけていけるように健康への願いを」

「これがローレンツ様御用達よ。もちろん一番人気」


レイナン殿下はまじまじと青を見つめた。


「なるほど。男性でも抵抗のない色だ」

「群青は夕暮れです。今日一日の平穏に感謝して、明日もそうでありますようにと」


これは試験のお守りに買う人が多かった。そうとは言っていないのだが、不思議と試験間近な人がこれを欲しがるのだ。


「そして淡い紫はヌマスミレです。すべてを浄化してくれそうな、その花弁のように清らかでありたいと願い込めて」


お兄様とミュリエルとお揃いにしたのはこの色だった。

実はこれが一番人気がない。

自分の身を清めていれば願いが叶うという、聖職者をイメージしたのが固かったのだろうか。


本当はもう一色、イリルのためだけに作ったヒースの花のように鮮やかな紫のブレスレットがあるのだが、それは誰にも見せない。内緒なのだ。


「えっ! 帳簿もクリスティナが付けているの?」


作業台の横の執務机に積まれた書類を見たレイナン殿下がおっしゃった。私は頷く。


「昔、兄に基本を教えてもらって、そこからは独学で学びました」


数字を眺めるのは楽しかった。私が思わず微笑んでいると、フレイア様がレイナン殿下に付け足した。


「クリスティナは成績優秀なのよ。どの先生も教えることがないとおっしゃっていたわ」


私は恐縮した。王子妃教育は二度目なので随分楽をさせてもらっているのだ。


「兄と言えば」


だから話を変えた。


「おかげさまで領地のビーズが注目されてありがたいと、フレイア様と王妃様に改めてお礼を申し上げたいと言ってました」

「いいのよ、そんなの。ねえ、レイナン」

「相変わらず律儀なやつだ。ていうか俺の名前がなかったな」

「あなた何もしてないじゃない」

「そうだけど寂しいじゃないか。もうじき卒業だって言うのに、あいつ、全然宮廷に顔を出さないんだ」


養殖が不漁らしく、兄は何度も領地に足を運んでいるのだ。


「忙しくしているようです」


私はふと兄からの手紙で、ミュリエルに家庭教師と侍女がついたと知らされたことを思い出した。


兄もトーマスからの手紙で知っただけなので、詳しくはわからないらしいが、リザ様がわざわざ教えてくれるほどわがままが噂になっていたミュリエルだ。喜んで志願する人がいるとは思えない。

何か魂胆があるのでは、と思うのは考えすぎだろうか。


——かといって家には戻りたくないし。


私の沈黙をどう捉えたのかレイナン殿下は、からかうように顔を覗き込んだ。


「イリルが早く戻ってきたらいいのにな」


だけどもうそれくらいでは赤くならない。

私は胸を張って言い返した。


「その通りです」

「おっと?」

「レイナンったら、そんな当たり前のことを言うからじゃない」


ブリビートの村に行ったイリルは、祭祀のうまく行かないいくつかの村を回らなくてはいけなくなり、少しだけ遅くなると手紙が来た。


心配性は相変わらずで、護衛をさらに増やすように指示を出したともあった。だから実は私には今、たくさんの護衛が付いている。


ぞろぞろ連れて歩くのが申し訳なくて、宮廷の決められたところしか出入りしていないくらいだ。

扉の向こうに待機しているそれらの護衛を思い浮かべたのだろう。

レイナン殿下が苦笑した。


「我が弟ながら用心深いな」


フレイア様も同意する。


「なんの心配しているのかしら? クリスティナに限って浮気はないでしょうし」

「やはり父のことでしょうか」


巻き戻りを知っているのはイリルだけだ。だから心配してくれる気持ちもわかる。私はありがたくそれらの好意をすべて受けていた。


だから。

宮廷でなぜかドゥリスコル伯爵が話しかけにきたときも、カールがまず立ちはだかってくれた。


「おっと? 私のことをお忘れですか? クリスティナ様」

「いえ、もちろん覚えています」


ドゥリスコル伯爵は馴れ馴れしく近寄ってきた。


          ‡


「早く帰りたい。クリスティナに会いたい」


ブリビートの村を出たイリルは何回目かわからない呟きを口にした。

初めは微笑ましく聞いていたデニスも、今は淡々と返す。


「でも行くんでしょう?」

「……行かなくてはならないから」

「一度帰ってもいいのでは?」

「それはダメだ」

「どうしてですか?」


ここでイリルが口をつぐむのも、何度となく繰り返したことだ。


イリルから他の村でも同じような事故が起こっていると聞いたリュドミーヤは血相を変えて、イリルにそれらの村を回るように言った。


——儀式のやり直しができないのはきっとそれらの村も同じです。うちはたまたま殿下がいらっしゃった。でもそうでない他の村は、儀式を途中で放り投げてしまうでしょう。


そうしたらどうなるのだ、と聞くとリュドミーヤはきっぱり言った。


——『魔』の力が大きくなります。


リュドミーヤの話はこうだった。

ほころびのような『魔』は、いわゆる自然現象だ。人間にとっては嬉しくないが、大雨や冷夏のようにときおり巡るもののひとつだ。避けることはできないが、備えることで被害が甚大になるのを防ぐことはできる。


——だけどいくつもの村で同じようなことが起きていると言うことは、それは誰かの企みです。


誰かとは、というイリルの問いかけにはリュドミーヤは首を振る。


——わかりません。でもそこにあるのは人為的な悪意です。『魔』を人為的に集めて、大きな禍いにしようとしている。


わかりますか、とリュドミーヤは皺だらけの顔を悲しげに歪ませた。


——殿下、それはもう『魔』ではありません。


ではなんだ、と聞くと、リュドミーヤは小声で答えた。


——悪魔です。


悪魔?


イリルは首を捻る。

馴染みがないわけではなかったが、子供騙しだと思っていた。

信じれられないのも無理はありません、とリュドミーヤが続ける。


——誰かが邪法を使ったのかもしれません。


イリルが真っ先に思い浮かべたのは、隣国ドーンフォルトだ。だから思わず聞いた。


——それは遠くても可能なのか?


——わかりません。


——それは聖なる者に害を与えるか?


——確実に与えるでしょう。


つまりこれはクリスティナのためなのだ。

だから遂行しなくてはいけない。

しかし、離れているというのとは直接守れないというのとだ。

イリルは何度となく繰り返した煩悶を続ける。


「どうせクリスティナ様が心配なのでしょう?」


イリルの気持ちも知らずに、デニスが軽く言う。


「大丈夫ですよ、護衛を増やす指示も出したんですし、近寄る者はおりません」


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