42、墓石

          ‡


ブリビートの村ではリュドミーヤが同じ時期に事故死した村人たちのために、あらためて野辺送りを行っていた。棺桶は空だが、儀式としてもう一度、近親者が彼らを埋葬するのだ。


事故じゃないのに、事故だと思って送ってしまった。心残りもあるだろう。


遺族たちの、そんなやりきれない思いと、死者たちの心残りを慮るために、ごくたまに行われる儀式だった。

心残りは新たな災厄を生むからだ。


よく晴れた午後だった。

遺族たちは小声で、空の棺桶に話しかけながら歩く。長蛇の葬列は、やがて埋葬地に辿り着いた。


あとは、それぞれの遺族が持参した木の枝に火をつけて燃やすだけだ。これをしないと死者が戻ってくるのだ。


儀式を司っていたリュドミーヤは枝を燃やすために、手にしていた蝋燭を藁に近づけた。そこから枝をくべていく。

ところが。


「あっ!」


人々が見守る前で、蝋燭の火がすうっと消えた。ざわめきが起こった。


「不吉な」

「馬鹿な事を言うな、風だ」

「火種はある。もう一度すればいい」


村長代理の男の指示で、再び蝋燭に火がつけられた。だが。


「消えた……」


何度繰り返しても火は消えた。死者たちがまだここに留まっていたいと言っているようだった。


「それでも送ってやらなければいけない。何度でも火をつけよう」


不穏なものを感じる村人たちに、リュドミーヤは声を張った。


「リュドミーヤ様、しかし……」

「ここで儀式を中断するわけにはいかない」


村長代理が頷いた。


「そうだ、諦めるな」


しかし、何度やっても蝋燭に火が灯ることはなかった。さすがのリュドミーヤも言葉を失いかけたそのとき。


——ぼっ!


「つきました! リュドミーヤ様!」


唐突に火がついた。すんなり藁に火が移される。村人たちは揃って歓声を上げた。


「でかした!」


リュドミーヤも思わず弾んだ声を出したそのとき。


「邪魔をしてしまったかな?」


これだけ人が騒いでいるのに、その声は真っ直ぐにリュドミーヤのところに届いた。

リュドミーヤは声の主が誰かわかった途端、そうか、と納得して振り返った。


「ありがとうございます、イリル殿下」


祭祀の様子を見にきたイリルが、集団の後ろに立っていたのだ。


リュドミーヤはうやうやしく頭を下げた。事情のわからない村人も、一斉にイリルに向かって頭を下げた。


理由はわからないが、この人物が現れたと同時に火がついたのだ。


頭を上げたリュドミーヤは火の管理を村長代理に任せて、イリルに近寄った。

そしてもう一度お辞儀をして言った。


「殿下、お話があります」


          ‡


無事に儀式を終えた村人は、イリルとリュドミーヤの二人を残して墓場を去った。


イリルに内密の話があると言ったリュドミーヤは、ブライアンさえ遠ざけた。


「こんなところで申し訳ないが、殿下、少し話を時間をください」

「ああ、なんでも言ってくれ」


元よりイリルに断るつもりはなかった。

墓場全体を見回したイリルは、新しい墓石は増えてない様子にほっとする。

リュドミーヤが素早くそれを見咎める。


「殿下、その様子では聖なる者はまだ見つかってないようですな」


遠慮のない言い方に、イリルは苦笑するしかなかった。


「そうだ。それで今はあちこちの祭祀を重要視している。リュドミーヤ殿にも何か助言をもらえればと——」

「守り石と聖なる者が離されておるのです」


イリルは目を見開いた。リュドミーヤは続けた。


「私は以前、聖なる者がすぐにそれとわかると殿下に言いましたが、あれは間違いです」

「間違い?」


イリルは眉間に皺を寄せた。リュドミーヤは臆せず口を開く。


「聖なる者と守り石は、生まれたときからずっとそばにあるはずです。それであれば、すぐにでも『魔』を防げるくらいの強い力を示せる。なのにそうなっていない」


ということは、とリュドミーヤはイリルを見つめた。


「誰か愚かな者が、それとそれを引き離したのでしょう。あるいは何かの手違いがあったのか。どちらにせよ、それ自体『魔』を引き寄せる行為です。いずれにせよ、その罰当たりはもう生きていまい」


リュドミーヤは眉間の皺を深くして言った。


「きだからこそ『魔』が入り込めた。力を持った『魔』は、覚醒前の聖なる者を殺そうとしているはずです。殿下、聖なる者をすぐに探してください」

「それはわかっている。だが」

「今の殿下には、心当たりがあるのではないですか」

「心当たり……」

「もしかしてと思う人がそうでしょう。守り石がなくても」

「……そうか……そうなのか」


イリルは諦めたように頷いた。


「まさかと思っていたが、そんな事情があるのなら……やはり彼女かもしれない……だが、ひとつ教えてくれ」


イリルは辛そうに聞いた。


「聖なる者は、やはり危険な目に遭うのか?」


視線を落としたイリルは、足元の地面を見つめた。旅の靴は泥だらけだが、イリルはそれを払いもしない。リュドミーヤの答えを恐れて、聞く前に口を開いてしまう。


「私は、彼女が危険な目に遭うかもしれないと考えるだけで辛いんだ。国の事を思うとそれどころでないのはわかっている。けれど、もし彼女の犠牲の上に平穏が訪れるなら、私はそんな平穏耐えられない」

「大丈夫です、殿下」


リュドミーヤは謎が解けた気持ちでイリルに言った。


「偶然か必然かはわかりませんが、ここに来て異変に気付くことのできたあなたは、彼女の力になることができるのです。思えば、あなた様が一番最初にこの異変に気付いてくれた。あなた様こそ鍵なのです。扉を開いてくれる」

「鍵?」


イリルにはなんのことかわからなかった。


「あなたが墓石の名前ひとつひとつに目に留める優しい方だったからこそ、今日の儀式の火もついた。私はそこに聖なる意思を感じます」


イリルは釈然としない気持ちで問い返す。


「そんなことくらいで、私は彼女を守れるのか?」


もし守れなければ。

その想像はイリルを恐ろしい闇に飲み込みそうになる。

リュドミーヤは穏やかに言った。


「その者が大切なんですな?」

「とても」

「ならば、覚えていてください。その者からもらったものが盾となり、与えたいと思うものが剣になるでしょう」

「もらったもの?」


心当たりのないイリルに、リュドミーヤは諭すように言った。


「形ある物とは限りません。気持ちや愛情を意味する場合もあります」

「……彼女からもらった愛情が盾となり、与えたい気持ちが剣になる、そういうことか?」


リュドミーヤは頷いた。


「以前も言いましたが」


そしてきっぱりと付け足した。


「天は我らを決して見捨てません。聖なる者は人々を救う。しかし、聖なる者を救うのは、殿下、あなたです」

「リュドミーヤ殿」


イリルは覚悟を決めたように呟いた。


「どんなことでもいい。他に彼女の役に立ちそうなことを教えてくれ。『魔』についてもだ。繰り返しになってもいい」


出来ることをするしかない。


——彼女を守るために。


並んだ墓石を見つめながらイリルはそう決意した。

握りしめた手はまだ少し震えていたけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る