第109話 惑わされて夢幻抱擁

 静止の声は間に合わなかった。レスミアは振り返りながら十字路に足を踏み入れると そのまま曲がって歩いて行く。そして、曲がり終わってから狼狽え始めた。


「え?! あれ? ザックス様が消えた?」

「こっちだ、こっち! ここの十字路、罠がある」


「罠の表示なんて有りませんよ……って、狩猫のままでした」

 忘れていたのか、ばつが悪そうな顔で額を手で押さえた。

 ポップアップには【幻惑床の罠】と表示されている。〈詳細鑑定〉を掛けてみると、



【罠】【名称:幻惑床の罠】【パッシブ】

・踏み入れた者を別の道へ誘い、惑わす罠。効果範囲内では立ち止まる事は出来ない。

 また、この罠は破壊することは出来ない。



 立ち止まれない?

 何の変哲も無い只の地面にしか見えず、気が付いたら違う道に迷い込むとは厄介な。まあ、致死性の罠じゃなかっただけマシかな。

 鑑定結果をレスミアにも教える。


「私には、ザックス様の方がパッと消えた様に感じました。この十字路を歩いた覚えが無いです」

「ふむ、危険性は無いだろうし、俺も試してみるか」


 十字路に足を踏み入れると次の瞬間、正面の奥に扉が見えた。後ろに振り返ると十字路の向こうにはレスミアがいる。確かに歩いた記憶が無いのに左折しているな。まるでワープしている気分だ。レスミアにも聞いてみるが、



「いえいえ、普通に歩いて左折してましたよ?」

「あぁ、確かにレスミアも普通に歩いていたな。体が勝手に動いているのか……取り敢えず合流しよう。こっちへ来てくれ」

「は~い」


 レスミアが十字路に踏み入れると、歩いて左折して行く。


「また、違う方向……」

 レスミアは踵を返して、再度十字路に足を踏み入れると、今度は直進して行く。違う道に出た事に気付き、振り向いた顔はうんざりしている様に見える。もう一度、十字路に入ると、また左折して行った。

 俺の対面の通路に戻ったな。曲がったり直進したり、一貫性が見えない。ランダムか?


「もうっ! 全然合流出来ないじゃないですか!

 踏み込むと駄目なら、踏まなければ良いんですよねっ!」


 こちらに背を向けたと思いきや、距離を取った。そして納刀したままミスリルソードの柄を握り、こちらへ疾走する。瞬く間に駆け抜け、十字路の手前で走りの様にジャンプした。


 いや、高く跳び過ぎだ。何故か、跳んだ本人まで驚いた表情をしているのが目に入った。そして、飛距離は足りたのだが着地でバランスを崩して、前のめりに転びそうになっている。丁度、届く範囲だったので、俺は咄嗟に右腕を伸ばして抱き止めた。


「び、び、びっくりしたぁ~。あんなに跳ぶなんて予想外ですよ~」

 俺の腕にしがみつきながら、体を震わせる。尻尾が膨らんでいるので、余程怖かったのだろう。


「助走の時にミスリルソードの柄を握っているのが見えたけど、そのせいか?」

「多分、そうです。走る早さは兎も角、あんなに飛び上がるとは思いませんでした」


 ふむ、ミスリルソードの付与スキル〈敏速〉か〈軽量化〉の仕業か? ミスリルソード使っている時に飛び跳ねた覚えは無いので、新しい発見だな。

 後、レスミアの様子を見るに、幻惑床は空中には効果が及んでいないようだ。飛び越えるのも1つの手段だな。この階層なら、もっと簡単に越える方法があるので使わないが。


 ふと、ゆらゆらと揺れる尻尾が目に入る。膨らんでいたのが、普段の細い尻尾に戻っていた。腕の中のレスミアと目が合う。あまりに至近距離なので、見る見るうちに顔が赤くなり……バッと離れていった。

 こちらに背を向けて、腰のポーチから小さい鏡を取り出して、乱れた髪を手漉きで直している。鏡越しに目が合った気もするが、まぁ気のせいだろう。


 そういや、6層の迷路では鏡を使って警戒しながら進んでいたなぁ。1週間前の事なのに懐かしくなる。戦い慣れた魔物なら、出会い頭でも対処出来るようになったのと、〈敵影感知〉のお陰で不意打ちが無くなったのが大きい。


 ああ、バックミラーという手があったか。活用方法を考えていると、レスミアが戻って来た。


「落ち着いたか? 」

「……はい。ありがとうございます。

 あ、最後の宝箱部屋は魔物がいる音がしますから、早く行きましょう」


「あ、もうちょっと幻惑床の罠を調べたい……」「宝箱部屋の後に戻ってくるじゃないですか。後でいいですよ!」

 腕を引っ張られて連行されてしまった。耳がまだ少し赤いのは指摘しない方が良さそうだな。




 宝箱部屋の扉の前で、〈猫耳探知術〉で索敵してもらう。レスミアは扉の前に立ち、目を閉じて集中している。猫耳がピコピコ動いているのを、和みながら見ていると、


「飛び回っているのが6匹。〈敵影感知〉でも動いていない魔物はいないので、蜘蛛はいませんね」

「ウインドビーが6匹か……将又はたまたレア種が混ざっているか。羽音に違いはないか?」


 又、集中するように目を閉じて猫耳を動かすが、直ぐに首を振った。音でわかるのは、これが限界か。いや、事前にモンスターハウスって分かるだけでも十分だけどな。


「どうします? 念のために聖剣を出すなら、私のミスリルソードを一旦返しますけど」


 そう言いながらも、剣帯から外したミスリルソードを大事そうに抱えている。まあ、前回と違って〈緊急換装〉があるから、事前に出す必要は無いな。苦笑しながらも、このまま行くと伝える。


「あ、罠が多いかもしれないから、ジョブはスカウトに戻すよ」

「お願いします」


 軽く打ち合わせをしてから、魔方陣に充填を始めた。


 扉を開けて、罠のポップアップが無い事を確認してから中に飛び込む。〈敵影感知〉の圧力が多い方、ウインドビーがまとまっている場所に〈フレイムスロワー〉を発動させた。


 地面から天井を焦がす勢いで吹き上げる炎に2匹が巻き込まれ、範囲ギリギリにいた1匹の羽と体の半分が燃えているのが見えた。残り3匹。


「レア種は、いないみたいです。普通の蜂に見えます!」

「〈かすみ網の罠〉! それじゃ二手に分かれるぞ。3匹まとめて来たら、逃げていいからな」


 俺はその場から離れて、改めて自分用の〈かすみ網の罠〉を天井から張り、背を向けた。そして、左手に持ったで後方を窺う。レスミアの方に2匹、俺の方に1匹向かうのが見える。

 鏡越しで見ていても、ウインドビーが逃げる様子はない。かすみ網に掛かるまでバッチリ観察出来た。地面に転がったウインドビーを踏み潰す。

 羽音だけではウインドビーの正確な高さまでは分からない。振り返りざまの攻撃を外す時は、大抵高い位置に居てスカる事が多かったので、鏡の方が良いな。俺には猫耳のような耳の良さは無いからな。俺にも猫耳が……いや男の猫耳なんて、誰得だ?


 猫耳、もといレスミアの方へ目を向けると、エメラルド色に反射する剣閃が、半月を描いてウインドビーを両断したところだった。次いで転がっている網ぐるみも、網ごと切り裂いて止めを刺した。


 周囲を見回しても、他に魔物はいない。部屋の中央に罠のポップアップが出ているだけだ。レア種は結局居なかったな。ちょっと拍子抜けだったが、そもそも遭遇率は高くないと聞くし、異変でもなかったか。


 倒した魔物達がドロップ品に変わると同時に、木の宝箱が出現した。手分けしてドロップ品を回収し、部屋の中央に集まる。

 部屋の中央に出現した木の宝箱の前には【丸太の罠】のポップアップが表示されていた。戦闘中に踏むのも危険だけど、宝箱に群がったら丸太でどつかれるのか……まあ、横から開ければ問題ない。



「ザックス様、そんな罠より先に、木の宝箱を開けませんか?」

「ん? レスミアが開けて良いよ」


 最近は10層ボス通いで、頻繁に開けているからな。それに、簡素な四角い木の箱の宝箱では、大した物は入っていないと知っている。蓋が蒲鉾型なら期待するのだけど。

 蓋を開けたレスミアが、華やいだ声を上げた。


「わああ! ハチミツがいっぱい!ザックス様も見て下さいよ!」

 レスミアが両手いっぱいにビニール袋を持ち上げて見せてくる。鑑定を掛けると、確かにウインドビーのレアドロップのハチミツと同じだ。ストレージに回収してみると、全部で30袋もあった。割と出やすいレアドロップだけど、まとまった数が手に入るのは美味しい。


「あ、宝箱の臨時収入は山分けの約束でしたけど、どうしましょうか? 半分は売りますか?」

「全部、レスミアの物で良いよ。ハチミツのお菓子や料理を作るなら、実質山分けみたいなものだろ。それにバフ料理に使う食材は確保しておきたいよな」


「任せて下さい! 美味しいのも、良い効果のもいっぱい作りますから」



 宝箱部屋を後にして、幻惑床の十字路に戻って来た。もう一つ検証しておきたい事がある。レスミアと手を繋ぎ「タイミングを合わせて行くぞ、せーのっ!」で同時に踏み込んだ。



 気が付くと1人で歩いていた。手を握っていた筈なのに、いつの間にか手放している。振り返ると、右側の通路にいたレスミアも振り返ったところだった。


「厄介な罠だな。パーティーを組んでいても、同時に踏み込んでも、接触していてもバラけるのか」

「えーと、採取地への道は、私のいる通路ですね。今度はザックス様がジャンプして下さい」


 斜めに跳ぶのは距離が短くても、助走がし難いぞ。まあ、跳ぶ必要なんてないけどな。


「ミスリルソードで、そこの角の生け垣を切ってくれ。十字路に踏み込まなければ良いんだから、ここもショートカットするよ」


「……その手がありましたね。もっと早く言ってくれれば、私も無茶しなくて済んだのに」

 渋々といった感じで、生け垣が根元で切られた。それをストレージにしまい、切り株を踏んで移動する。


「うん、大丈夫だな。破壊不可の罠なら、壊せる壁を破壊すればいいだけの話だ」

「まあ、散々ショートカットして来たから、今更ですねぇ」

 何故か染み染みと言われてしまった。解せぬ。

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