1−16 北ノ海へ、
イエッテボリからオスロ、クリスティアーニアの三つのポイントを哨戒中の飛行部隊からここ数日北海近辺での駆逐艦の小艦隊の出入りが多いとの報告が入った。
スカンディナヴィア諸島連合は連邦と陸続きのスオミ共和国、中央に位置するスウィーデン王国とそこから西の海沿いに位置するノルゲ王国の三ヶ国を主軸としており、スウィーデン側の最南部であるマルモからイエッテボリ、ノルゲの大都市であるオスロとクリスティアーニアは海を挟んで新人類派のダンマルク王国と接している。
ダンマルクの王家は神の救いと国民への愛を掲げており、その穏やかな国民性と良心的とされる徴兵制度のためか幸いして海を挟んでの大規模な戦闘はここ十数年起きていない。領海規定さえ違反しなければ存外関係は停戦協定に近く、お互いの国民と貴重な国土を戦禍に放り込むリスクは避けたいといったところだろう。
「ではなぜ、その北海に駆逐艦が? 緊急招集というからにはその足取りもつかめているのでしょう?」
口を開いたのは第8中隊三八七小隊を率いるメイヴィス中尉だ。
「……流石は野蛮で手の早い第8中隊だ、順を追っての説明よりも早々な任務説明を聞きたいのかね」
空気が重い。今回の招集と作戦指揮を担当する少佐は偵察を主とする空第7中隊の指揮と空軍部の連隊補佐を主な担当としており、戦闘部隊としての役割の強い第8中隊とは少々折り合いが悪い。発言の節々にこちらへの悪意が見て取れる。
中隊全体の規模での空気の悪さに、「これが初めてじゃないんだろうな〜」と直も冷めた目で壇上の男を見据えた。
「駆逐艦の動きを見る限り、どうやらダンマルクへの関与はなく、あちらの国境からの上陸作戦を視野に入れているわけではないらしい」
まぁ、と葉巻をふかしながら少佐は一息入れた。
「国旗を見る限りブリタニア連合の独断海上作戦だろうな。また、これに関してはノルゲ側の警備についている海第5の部隊が通信も傍受している」
室内がざわついた。あまり欧州国家の関係性に聡くない直にガードナーがそっと耳打ちをする。
「恐らく大規模な海戦を仕掛けてくるんでしょう。島国でもあるブリタニアは近年合衆国とも同盟を結んでいて戦艦の開発に余念がないそうですから」
それと……と続けようとしたガードナーの言葉は、少佐の神経を逆撫でしそうな声に阻まれた。
「記憶に新しいかもしれんが、四年前に我が連合軍はブリタニアとの海戦で大変醜怪な有様の敗戦を喫している。ノルゲの海軍と北海の海流に救われ上陸は免れたがね。……ふむ、反応が少ないと見たが、そういえばあの時の指揮官とその直属部隊はここには残っていなかったな、失礼」
「少佐殿、」
穏やかに、しかし怒りを孕んだ声音でユカライネン大尉が少佐の言葉を遮る。
「当時の指揮官は私の恩師でもあります。斯様な発言は中隊同士の軋轢に繋がりかねませんのでお控えを」
「その殉職により中隊長拝命と昇進を果たしたのだから結果的に文句はあるまい? 君のようなタイプでは昇進はなかなか望めんようだしな」
「……」
その沈黙が怒りの大きさを表していた。さして気に留めてもいないかのように「さて」と少佐が話を切り出す。
「今回海軍部が傍受した通信によれば、ブリタニアは数日内に準備が整い次第、艦隊でのノルゲ上陸作戦を仄めかしたそうだ。よって大規模な海上戦になると判断したノルゲに常駐する海軍部より、対航空艦隊の戦力として空軍部への協力要請が出たというわけだ。今回、第8中隊にはその任についてもらう」
中隊の面々の視線は少佐を射殺さんばかりだ。担当空域の第7中隊を下がらせこちらを向かわせるということは
陸と空の連携具合と比べれば、海軍部はその環境の特殊性により他部隊との連携がし辛い。その上、能力的にも水域や深海に適した人材は空以上に少なく、地理に慣れたノルゲ人がその中枢を殆ど担っていた。
協力要請と言いながら脅しに近い文言でも送られてきたのだろう。元々ソリの合わない海軍部との共闘戦線、そして四年前の敗北から強く出られない飛行部隊の鉄砲玉に近い扱いを、そのまま第8にシフトさせようというのが魂胆だ。
だがしかし、中隊長であるユカライネン大尉が口を開かない以上、彼の品位を貶めたくない第8の面々は、その煮え繰り返りそうな怒りを必死に飲み込み抑え込んでいた。
流石の直も、中隊の上官達の手前、怒る気持ちはあったものの口を引き結ぶ。ここで新米の自分が手を出すのは恥だ。
「出立は本日
……流石に開いた口が塞がらない。
(バカじゃねーのかこのオッサン。そんなぽんぽん機体を積み込めるわけねーだろ、嫌がらせじゃねーか)
これから戦地に向かわせる部隊に対してなんたる扱いか、怒りを通り越して最大級の軽蔑と殺意が腹に
「では、君たちの活躍を期待しているよ」
石のように口を閉ざした中隊の、誰もが敬礼すら挙げない。捨て台詞のように言い残しながら招集のあったミーティングルームを出ようとした少佐が、ふと何かに気づきこちらに近づいてくる。
「おや、ルードルマンくんじゃないか。少尉に昇進したのだね」
(げっ、なんて奴に目ェつけられてんだよ)逸らすのも負けのようで悔しいと判断した直の目線が、少佐から外れるのを拒んで宙を泳いだ。
「失くなったはずの分隊を率いていると聞いたが、相変わらず
「……与えられた任務をこなしているだけです」
いやらしい感情を含んだようなその笑みに、吐き気さえする。言葉の節々には侮蔑と悪意しか感じられない。
ほう、とその視線が自分に向けられる。睨んでしまったか、と一瞬焦った。
だが視線の主は、直の存在をルードルマンへの嫌がらせのネタとしてしか捉えていなかった。
「何年振りだ、君の分隊に僚機がつくのは? その性格じゃ誰とも上手くいかないと思っていたが、東洋人は具合が良かったか? 使い捨てとしても」
あんまりな言い様に怒りを通り越して呆けてしまった直の近くで、ハートマンが思わず動いた。すかさずバルクホーンが片手で制し、「堪えろ」と喉が潰れる様な声で囁いた。
依然、前を向いたままのルードルマンとその光景を見比べた少佐が下卑た笑いを浮かべる。この状況で手でも出せば、明らかに第8にとって部が悪い。それをわかっていての言動だ。
さてさて、と少佐はルードルマンの肩に触れる。
「海軍部の情報では、戦艦リゲイリアがその作戦主軸として動くそうだ。懐かしいだろう? ……今度は誰も死なないといいなァ? それとも飼い慣らした東洋人が盾になってくれるのかね、楽しみだ——」
ダァァァアーンッ!!!!
少佐が言葉を言い切る前に、堪忍袋の尾が切れた第8の誰かが殴りかかる前に、ミーティングルームに発砲音が響いた。
「失礼」
全員の目が釘付けになっている中で、ルードルマンが微動だにせず前を向いたまま声を出した。
「先日拳を怪我しまして、指がひきつけを起こしたようです。危ないので少佐殿はどうかご退出を」
「そ、そうか……」
硝煙の上がる床には弾丸の開けた穴が一つ空いていた。
そのすぐ側には、ぽたりぽたりと血の染みが出来上がり始めている。
呆気にとられた表情の少佐は、その表情を晒したことすら苦々しかったのだろう。そのまま言葉もそこそこに退室していった。
「ルードルマン少尉! 貴方なんてこと」
「別に。言ったろう、ひきつけを起こしただけだ」
ミーティングルーム内が第8中隊の人間のみになった瞬間、真っ先にガードナーが動いた。当の本人は涼しい顔で血だらけの手を振っている。
ヒューと誰かが口笛を吹き、にわかに中隊の隊員達が湧き立つ。全員が少佐の言葉に対し、我慢の限界をとうに振り切っていたところだった。
「撃ってもない、殴ってもないぞ。そもそも殴る価値すらない」
「いやいや! そうじゃなくて。貴方これ指先に重力圧縮して引き金弾いたんですか? 一歩間違えたら銃身が破裂してましたよ!」
「……した時はした時だ。痛がる豚の顔をよろけたフリで踏みつけてやったものを」
「いやそうじゃなくて、数刻後に出立って時になぁに怪我してんですか……」
袖を捲っていそいそと傷の具合を確認するガードナーに並び、ハートマンがため息をついた。
「でも、かっこよかったですよ少尉殿。ちょっと俺、胸がスーッとしちゃいました」
「別に……」
だから、と囁いてその歳下の少尉はルードルマンの肩を掴んで後ろを向かせる。声をかけようとしたユカライネンや他の隊員達も、遮られたことを咎めもせずにやれやれとそちらへ視線をやった。
ぎゅっと拳を固く握ったまま、そこに何とも言えない表情で立ち尽くしていたのは直だ。
「直接の上官として、そこで固まってる小鳥ちゃんに何か言っとくべきじゃありません?」
「うっ……」
涼しい顔を崩し、明らかに狼狽したルードルマンを見て「ハートマン、たまにいい仕事するよね」とユカライネンがバルクホーンに囁く。
「いや、本当に指導不足でお恥ずかしい限りです」
言いながら、バルクホーンも若干スッキリした顔をしているのだから全く締まらない。
戦々恐々として見つめる下士官達と相反して、任命式のくだりから二人の経緯を観察していた他分隊の将校連中に至っては、ニヤニヤとした笑いが全く隠せていなかった。
マズい、完全に逃げ場を塞がれた。しかも遊ばれている。
止血帯を当てているガードナーを思わず見たが、
「早くしてください。今なら皆、笑って済ませてくれる絶好のチャンスです。どうせサシではお話なんてできないんでしょう? さすがに海上戦であの居心地の悪さは引きずらないでほしいんでね」
と、くる始末である。
「そっ、その——」
「ルードルマン少尉、先日は自分の浅はかな行動により多大なるご迷惑と不快な思いをさせたこと、誠に申し訳ございませんでした」
先に口火を切ったのは直の方だった。
その下げられた頭を見て、ぐっとルードルマンは言葉に詰まる。
あんなの気にするな、とか殴ったのは謝るとか、言うつもりだった。
もっというなら、軍に女がいるとこんな目に遭うから辞めてしまえ、とも言ってしまおうかと思っていた。なのに。
やめろ、謝るな、そんな口元にまだ絆創膏を貼ったようなツラで。こっちがいたたまれなくなるだろうが。
自分よりずっと小さいその部下は、潔く頭を下げた。それがまた痛い。
「いや、あれは俺もわ」
「アナタが何に縛られてるのかはわかりませんが、ついていきます。なので」
自分と同じ空を飛んでください。
真っ直ぐな黒い目でこちらを見据えてそう言う。
気に食わん。弾いても弾いても一直線に跳ね返ってきやがって。お前は一体何なんだ。
「俺の発言を全部遮りやがって。勝手にしろ……今回だけだ。ならば謝らんぞ、それについては」
自身の口元を指して、ふて腐れたようにルードルマンは言った。
ガードナーの言う通り、流石に大規模な海上作戦ともなればいよいよ自分も明日はわからぬ身上だ。そこまで個人的な意地を引っ張るほど子供でもない。
「その手に比べれば、痛いうちに入らんでしょう」
侮辱された事を引っくるめて怒ってくれたのだ。
そしてとりあえず、今一度だけ隣を飛ぶ事は許された。
その事実だけでみるみる嬉しそうな表情になった直は、ニカッと屈託なく笑った。
「ハイ、どう見ても小鳥ちゃんのが漢らしかったんで30点ですー」
尾を引かせないハートマンの言葉に、ミーティングルームにいた全員がドッと沸いたのは言うまでもない——。
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