第62話 一世一代の賭け

―――異能研究所「乂」東棟 屋上


 公園と見間違うような緑に囲まれた空間。そこは人工的に造られた屋上庭園だった。

 強い風が木々を揺らし、いくつかの葉が散る。その落ちた葉を踏みつぶし、乂魔は奥へと進んだ。


 後ろから聞こえる足音が次第に大きくなる。

 乂魔は振り向く前に、ふっと笑った。

「やっと……か」


 振り向いた先にいたのは、京也だった。

「追いかけてくれると思ったよ」

 そして無言で立ち止まった青年の藤色の瞳に問いかけた。「この光景には見覚えがあるだろう?よくキミの母親がここにキミを連れてきていたからね」

 京也はその瞳を乂魔から逸らさずに、冷たく云い放つ。

「まるで過去に戻ったかのような云い方ですね」

「ははっ、ボクも過去には戻れないことは重々承知さ!どれだけ細部を再現しても人の記憶は塗り替えられないし、生きた人間は蘇ったりしない―――そう云いたいんだろう?キミの母親もここでボクに刺されたわけだし」

「……」

 京也はなんの感情も示さず乂魔をみつめた。

「僕を殺すかい?いいよ。正直ね、逃げ場がないことはとっくに分かっている。だからこの最高の舞台に案内したんだよ!」

 乂魔は笑みを浮かべて京也に近づいた。「それにキミは手に入れることが出来なかった異能者だからね。キミに殺されるなら、本望かな」

「……僕は貴方を殺すつもりはありません」

「はははっ、嘘だ!再会した時、あんなに殺意を持っていたじゃないか!」

 乂魔は不自然なほどに高らかな笑い声をあげた。

「貴方を許したわけじゃない」冷たい瞳を向けて京也は語る。「でも殺しはしない。現に、僕は今武器を持っていない―――さっきヨーコの隣には銃が落ちていたけど、それを拾わなかったのも僕の意志です」


 乂魔の表情に困惑の色が浮かびあがった。

「ボクを殺すことが目的じゃない?じゃあ、キミは何がしたいというんだ?理解できないよ!」

「真実が知りたい―――……いや、知りたかった」

 京也は困ったように微笑んで下を向いた。「……正直、自分でも分からない。なぜ貴方を追ってきたのか。正解が分からなくなってしまったんだと思います」

 そして視線を上げ、庭園の中央にそびえ立つ大木を眺めた。昔よく隠れて母親に叱られていた場所とそっくりだった。

「僕はあの日以来、ずっと母さんが殺されなければならなかった理由を探していた」

 その瞳に映る古い記憶にふたをするかのように、まぶたを閉じる。「でもその理由が、ただ僕を救おうして返り討ちにあっただけだった。それを聞いた時……正直、落胆したんです。意味なんてなかったのだと」

「何を……」 

 乂魔は恐れるものを見るような表情を向けた。

「そこで気付いたんです。僕はこれまで自分が納得のいく理由をずっと探し、母親の死を正当化しようとしていたんだって―――……だから、僕も貴方とそう変わりないのかもしれない」

 乾いてしまった砂漠のように、京也の藤色の瞳から涙は一滴も流れなかった。ただきつく握りしめた拳は、小刻みに震えていた。


「母親が君の命を守ってくれた。意味なんて、それだけで十分でしょ」

 はっきりと声を発したのは、背後からやってきた緘人だった。

「緘人」

「なんかグダグダと云ってるけどさ、京也。本当に博士に何もしなくていいの?」

「いいんだ。それに……殺したらこの人の思い通りになってしまう」

「ん?」

 京也は博士に向き直り、冷たい声で云った。

「貴方は死にたがっているのでしょう?」

「……‼」

「分かりますよ。僕が首に手を回して触れたあの時、貴方は喜んでいたから」

「ち、ちがう!あれはキミと会えたから嬉しかっただけで……そんな事は一切思っていない!」

「最初は僕もそう思っていました。でも違う。貴方は、殺されたがっている」

 京也の声は陰りを帯びていた。「でも僕は貴方を殺さない―――そして貴方の望みは叶わない」


 その言葉が刃物となり心臓をいたかのように、乂魔は悲痛の表情を浮かべた。

「い、いやだ……!」

「貴方を許さないと云ったでしょう」京也は静かに呟いた。「これが、僕の復讐となる」


 藤色の瞳には、染みついた闇を消し去るような光が宿った。

 その澄んだ瞳のあまりの美しさに、乂魔は息を呑んだ。


 ―――ああ、そうだ。キミのその光をみて、ボクの好奇心が疼いたんだ。


 だがすぐさま口を堅く結び、苦痛に歪んだ表情で叫ぶ。

「そ、そんなの許さない‼ずっと……この日を待ちわびていたというのに……キミがボクを殺さないというなら……ボクにだって考えがある」


 乂魔が白衣の下から取り出したのは、クマのぬいぐるみだった。

「それは……」

 京也ははっとする。

「そう。爆弾だよ」

「あ、あれ?」緘人は驚きの表情でそれを凝視する。「回収しきれてなかったんだ」

「ボクもあのイベント会場にいたんだ―――京也くんを見かけたという情報を得てね。でも騒ぎが起こる前に一足先に帰らせてもらったんだよ」

 乂魔はそのぬいぐるみを大切そうに抱きしめた。「これを回収しきれなかったのは京也くん……キミの失態ミスだよ。分かるかい?つまり、キミのおかげでボクは死ぬことになる!」


「成程。ふふ、面白くなってきた」口元に弧を描きながら、緘人は耳元のインカムに向かって静かにささやいた。「R、L。その位置から博士を狙える?」

 ヘリに乗った双子はすぐさま応答する。

『難しいですね……木が邪魔で視界が良好じゃありません』

『うん、ちょっと無理だな』

「やっぱそうかあ」


 双子の異能で強制移動させることも無理で、説得も無理そう……となると。このまま仲良く心中か?それとも―――


 緘人は銀色の瞳を乂魔と京也に見据えながら、考えを巡らせる。

「―――あれしかないな」


「ねえ博士、その爆弾の威力ってどれくらい?」

「少なくともこの屋上ごと吹っ飛ぶようには改造してあるよ」

「一人じゃ死ねないってわけか。見かけによらず、寂しがり屋さんなんだね」

「緘人……うるさい」

 京也は緘人にあおるなと目で訴える。

「あはは、ごめん冗談ー」

 その二人のやり取りをみて乂魔はふっと笑った。

「キミたちは異能も持っていて、信頼できる人もいるんだね。全く……羨ましいよ」

 乂魔はぬいぐるみを抱きしめたまま、呟いた。「そうだな、ボクも生まれ変わったら……異能者になりたいな」


 今にも爆弾を発動させそうな乂魔を前に、京也は冷静に緘人に問いかけた。

「……緘人。僕たちが無事にここから脱出できる未来はえるか」

「ああ。でもその可能性は―――僅か3%だね」

「充分だ」

「ふふ、頼もしいね。何をする気かな?」

「分からない。何をすべきかは、君に視えているんじゃないのかい?」

「ああ、その通りだ―――」

 緘人はにっと笑うと、楽しそうに駆け出した。「一世一代の賭けをする時が来たんだ!」

「んなっ……待て!!!」

 京也は驚愕の表情で緘人の腕を掴もうとする。しかしその腕はすり抜け、緘人は乂魔に向かって全速力で飛び込んだ。

「緘人!!!!」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


「何してるんだ」

 夏目は隣に立つマスターを見て云った。

「祈ってるの」

 マスターはぎゅっと目を瞑り、両手を合わせていた。「嫌な予感がするから―――みんなが無事でありますように……」


 その直後、爆発音が響いた。

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