第61話 嬉々として

―――異能研究所「乂」東棟3階


 乂魔はぶつぶつと独り言を呟きながら廊下を歩いていた。

「爆発?まさか侵入者?いやでも、この場所を特定することはそう容易じゃないはずだよね。一体どうやって―――」

「見つけた」

「ひっ……」

 眼前にはいつの間にかショートボブの女性が立っていた。乂魔は持っていた小型銃を突きつける。しかし既に相手は消えていた。

「遅い」

 後ろから声が響いた。振り向くと、その女性が殺意をもった目で睨んでいた。


 乂魔は唖然とした表情で彼女を見つめる。そこには科学者としての好奇心と、人間としての恐怖が混在していた。

「どうしたの。あんたがした力でしょ」

「え……」

「45番。あなたが異能研究のために区別する番号。忘れた?」

 乂魔ははっとした表情を浮かべ、震えながら目を輝かせた。

「生きていたんだね……数少ない成功例の一つ!」

 好奇心が恐怖を上回った。「十年前のあの火事で焼け死んだかと思ったよ!!!生きていたんだ!そうか……嬉しいよ、心からの大感激だ!」乂魔は手に持つ銃を床に落とし、ヨーコに手を伸ばし抱きつこうとする。

「相変わらず胸くそ悪い奴……」ヨーコは顔をしかめた。

 自分に向けられた腕から逃れるため一歩下がり、乂魔の腹に蹴りを入れる。

 ヨーコの速さに適うはずがない。乂魔は攻撃を直に受けた衝撃で床にたたきつけられた。

 乂魔は息苦しさに身をよじらせ、その姿に冷めた眼差しを向けたヨーコが近づく。

「ケホッ……ボクを殺したら人殺しになっちゃうけど……それでいいのかな?ボクと同類になっちゃっても」

 ヨーコは乂魔の手足の関節に自分の体重をのせ、動きを封じるため覆いかぶさった。

「うるさい黙れ。ミワを失ったあの日から、私の生きる道は決まっている」

 床に落ちていた銃を拾い、乂魔に向けた。「あんたを殺して、私も―――」

「ヨーコ……!」

 ヨーコの手が一瞬動作を止める。聞き覚えのある声。ほんの少し顔を見上げた先にいたのは、ハチだった。普段は見せない顔を向けて、必死に何かを願うような表情をしていた。


「止めないで!!」

「……止めないよ」

 ハチの言葉に、ヨーコの憎しみに溢れた瞳が揺れ動く。

「その人を撃ちたいなら、それでもいい……イチには怒られそうだけど……」ハチは小さな声で続けた。「好きにしたらいいと思う……でもヨーコには、死なないで欲しい」

 乂魔にとどめを刺そうとするヨーコの頭に先ほどのハチの言葉がよぎる。 

 ―――「……僕はどっちでもいい。二人と一緒に居られればそれでいい……」


 でも―――こいつをこのまま逃がすなんて……

 震える手で、銃の先端を乂魔の額に触れさせる。乂魔は声を上げず、ただ渇望かつぼうの眼差しを向けていた。

「ミワは……あんたのせいで……」

 トリガーにかかった指に力がこもる。しかし乂魔の顔に浮かんだ笑みは消えない。

「っ……!」


 ヨーコは腕を降ろした。「……やめた」

 そう小さく呟くと、乂魔の身体から離れ、立ち上がった。「あんたを殺したところでこの苛立ちは収まらなそう……というか、その気色悪い面のまま死なれたら、余計腹立つと思うし」

「ヨーコ……」

「私に過去を変える力はない。けど、未来なら―――」

 ハチに近づき、ヨーコは少し困ったように笑った。「ハチたちと一緒に、少しだけマシなものにできるかもね」

「うん……」

「残念だなぁ」

「……危ないっ!」

 ハチの声でヨーコは振り向くが、遅かった。

「う……あ……」

 乂魔が手に握るスタンガンにやられ、床に倒れる。

「ヨーコ!!」

 ハチが支えるが、意識を失っていた。

「……」

 ハチは無言で乂魔をみつめる。

「その目は、憎しみを込めているのかな?あは、でも仕方ないよ。彼女はボクを殺し損ねたんだから。とはいえ、いつ気が変わってまた襲ってくるか分からないし」乂魔は肩をすくめて云った。「それにこの子は大事な被験体なんだから、最新の装置で調べさせてもらうよ!」

 乂魔はハチにスタンガンを突き出した。ハチは間一髪でその先端が肌に触れるより先に異能で結晶化させ、それを叩き落とす。

「これは驚いた。そうか、キミも―――」

 乂魔は結晶の粒をみつめてニヤッと笑った。

 ハチはその笑みが何を意味するのか理解し、顔を伏せる。しかし既に乂魔は手に持った結晶の破片を投げつけていた。

 乂魔は目を狙った。が、命中はしなかった。しかし顔面をかばったハチの腕の服は破け、血が流れだす。

「大丈夫、大事な被験体は殺さないよ。ただ大人しくなってもらうだけだから」

「結晶を凶器に使うなんて……さすが最凶で最狂の科学者……」

「ん、それ凶器と狂気をかけたダジャレ?」乂魔は眉を上げた。「まあいいや。早いとこ緘人くんを捕まえないといけないから、これで―――」

 ポケットから注射器を出すと、乂魔はハチの胸に突き刺す。

「……っ」


「ハチ!」

 その声に乂魔はその手を離した。

「き、きき京也くん⁉ま、まさかキミの方から会いに来てくれるなんて!」

「乂魔……っ」

 横たわるヨーコを確認し、京也は顔を強張らせて目の色を変える。

 その一方で歓喜に満ち溢れた乂魔は両手を広げて笑った。

「途方に暮れるほどに嬉しい再会だよ‼」

 京也と共に駆け付けた緘人は意識のないヨーコの首元に指を当て脈を確認する。その鎖骨には小さく彫られた45の数字が痣のように浮かんでいた。

「はっ、これは趣味わるいな」緘人はその痣に気付き呟いた。


 乂魔は大袈裟に頭を振り、溜息をつく。

「ああ、でもさすがに三人相手だとちょっとボクでもきついかな。お宝が目の前に四つもあるというのに……歯がゆいよ!」

 すると廊下を駆けだした。

「なっ……逃げた?」

「緘人、こいつらを頼む!」

「え、おい!」

 抗議する間もなく、京也は乂魔のあとを追って消えていった。


「えー、仕方ないなぁ。別に僕に君たちを助ける義理はないんだけど……」

 緘人は気絶したヨーコを運ぼうとするハチをちらりと見る。その腕からは血が滴る。

「……それ、痛くないの?先に止血したほうがいいよ」

「……」

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