第59話 記憶の痛み

―――異能研究所「乂」東棟4階 管理室


 床には気絶した警備と、粉々の結晶となった拳銃がその横に落ちていた。


「手薄だな。侵入者を想定していなかったのか」

 監視カメラの映すモニターにイチは近づき、ハチは部屋の奥の壁に掛けられたカードを手に取る。

「これ使えるかも……」

「―――誰か来る」

 足音にイチが反応し、扉の影に隠れた。


「ここです。っ―――……!」

 入ってきた人物のこめかみにイチは銃口をあてた。だが同時に、自分の首元にも掌が突き付けられていることに気付く。


「イチか」

 伐文は少し驚いた様子で相手をみた。

「なんだ、お前たちか」イチはコウに向けていた拳銃を下ろし、ハチをみて云った。「ハチ、大丈夫だ」

 ハチは伐文の服の袖を掴んでいた手を離した。その先は結晶化が既に進んでおり、ぱらぱらと服の破片が床に落ちる。

「あ……ごめんなさい」

「問題ない」伐文も腕を下ろし、ほぼ消えた袖をはたく。「それより、緘人はどうだ」

 イチはモニターに目を向けた。

「上手く逃れたらしい。予定通り向かっている」

「そうか」伐文は頷くと、袖を凝視するコウを一目みる。そして少し間をおいてから口を開いた。「イチ、ひとつ確かめたいことがあるんだが」

「話はあとだ。まずは奴を見つけ出し――――」

 イチの眼が見開いた。

「いた。東棟三階の廊下……この下だ。まずいな、ヨーコも近い距離にいる」

「急がないと……」

「ああ」


 ―――ヨーコ……ハチ? 聞き覚えのある名前―――

 コウはハチの方を振り向いた。そしてその横顔を見た途端、頭に激痛が走る。

「っ……!」

 視界がなくなるほどの痛みに思わずよろめき、壁に手をつく。

「どうしたんだ……?」

 イチはコウの異変に気付き、その苦しそうな表情に眉をひそめて近づいた。

 しかしコウには応える余裕がなかった。伐文がその様子に何かを感じ取り、口を開いた。

「どうやらこの施設に見覚えがあるようだ。だがその記憶は断片的。何かトラウマがあるのかもしれない」

「此処に見覚えが?」

「イチ。お前たちのかつて居た場所に、コウもいたという可能性はないか」

 その言葉にイチははっとし、コウの伏せた瞳をじっとみつめる。

「まさか―――」

 コウはズキズキと痛む頭を抑えながらイチを見上げた。その表情には驚きと戸惑い、そして怒りの感情が複雑に混ざっていた。「俺たちの記憶を消したのは……お前か?」


 イチは右目を覆う布を外す―――その紅い瞳には、「1」と刻まれていた。


 コウはその表情に見覚えがあった。そう、十年前。彼の記憶を消すときに、彼は同じような顔でコウを見ていたのだ。


「う、うあぁぁあああ!!」

「コウ!」

 伐文が駆け寄り、膝を地面に打ちそうになるコウを支えた。

「っ……ハチ、お前は先に奴のところにいけ!ヨーコと接触するまで時間がない!」

「……分かった」

 ハチはコウとイチに視線を向けると、背中を向けて去っていった。

「おい、しっかりしろ!」イチはコウの元にしゃがみ込む。

「あ……あぁ……」


 ―――思い出した。私はずっと、施設にやってくる子供たちの記憶を消していた。


 常に孤独だった。施設にいる子供たちとは、年齢は近かったけど仲良くなる気は起きなかった。罪悪感からかもしれない。私は彼等の人生の一部を奪ったのだから。

 だけど一人だけ……しつこく仲良くなろうとしてくれた少年がいた。藤色の瞳が綺麗で、優しく笑う少年だった。


 彼のその笑顔を見るたびに、そのような幸せな人生もあるのだと気付かされた。


 正直、羨ましかった。でも人生が平等じゃないことは、施設の子供たちをみて知っていたから、その感情が憎しみに発展することはなかった。むしろ彼には、そのまま幸せでいて欲しいとさえ思った。


 しかし運命は残酷だ。突然の火事によって施設は焼かれ、私は居場所を失った。そして彼もそれから姿を消した。


 その日を境に私はやり直そうと決めた。そして自分の記憶を……―――



「私が……みんなの……消して……」

「大丈夫か」

 がくがくと震えるコウに伐文は心配そうに云う。だがコウは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「なあ」イチはコウを見つめたまま、感情を抑えるようにゆっくりと語りかける。「お前が消した記憶……それを取り戻す方法を知っているか」

 コウは静かに首を横に振った。そして喉から絞り出す声で言葉を放った。

「ごめん……なさい」

「……そうか」

「ごめんなさい……」


 イチは両目を静かに瞑ると、何かを決心したように立ち上がった。

「好きでやったわけじゃないんだろ」放たれた声は自分でも驚く程に平然としていた。「謝らなくていい」

 コウはこらえていた涙が零れ、そのまま意識を失った。

「コウ」伐文はコウの身体を揺するが、起きる様子はない。

「念のため医者に診せた方がいいな。撤退しよう」イチは右目を布で覆い直すと、拳銃を構え直した。「……伐文、お前は此奴を運べ。周りの奴らは俺が追い払う」

「お前の友人はいいのか」

「ああ。ハチはああ見えて強いから大丈夫だ」

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