第56話 残業コース

 爆発の原因―――それはごく少数の精鋭たちによるものだった。セキュリティの突破口を開くために騒ぎを起こし、それに便乗して行動しやすくするために行われたもの。


―――異能研究所「乂」東棟6階


「しかし……いいのでしょうか、ボスの指示もなく顧客クライアント本拠点アジトに潜入だなんて」

 レンズのない眼鏡の縁を抑えながら、叶田はマコトに云った。

「勝手に喫茶処に奇襲を仕掛けた者がなにぬるいこと云っておる。独断専行はおぬしの得意分野じゃろ」

「いやはや、その節はどうも……お恥ずかしい……」

「まあ、おぬしの云う通り、これは一線を超えておるかもしれぬ。いわば賭けじゃ。だが安心せい、残業代は彼奴あやつの給料からかっぱらうつもりじゃからな」

「緘人さんのですか?それは、いいアイデアですね」

 すると唸るような声が二人の耳元に届いた。

『おう、オレだ。こっちに目当ての敵の匂いがするぜ』

 マコトは声が発せられたインカムに向かって応える。

「それはめでたいのう。豹瑠、そっちは任せたぞ」

『おう。しかしイチの奴がカルマとかいう、ネジのぶっ飛んだ博士による異能実験の犠牲者だったとはなァ』

「そうじゃな。愛想のない奴だと思っとったが……過去に固執しているとは、随分とめんこいところもあるようじゃな」

『しかし過去は関係ない』と別の低い声が届いた。『イチはルゥドの一員に変わりない』

『まァな。伐文の云う通り、過去に何があったかは知らねェが、オレたちが今やるべきことは一つだ』

「同感じゃ」マコトは溜息交じりに頷く。「緘人あの阿呆を早く取り戻して、締め上げるぞ」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


―――異能研究所「乂」 東棟4階


「伐文さん。なぜボスの指示を待たずにこの施設に侵入するのですか」

 伐文はコウの問いかけに応えず、かわりに右腕を掲げた。

「この腕輪の意味を知っているか」

「……いえ」

翡翠ジェード紅玉ルビー紫水晶アメシスト――それぞれの宝石には想いが込められている」

「想い、ですか」

「そうだ。宝石の持つ意味に由来している。ルゥドにおいて翡翠は「飛躍」―――組織に入った者たちへの奨励の意が込めてある」

「知らなかったです」コウは自分の左腕に嵌められた腕輪を見る。

「そしてその上は紅玉―――「威厳」だ。上の指示に従いつつも、下には示しがつくような振る舞いと成果が求められる」

「じゃあ……伐文さんたち幹部の腕輪にも意味が?」

「勿論。俺たちは紫水晶―――即ち、「忠誠」。組織への絶対的な信頼と服従が、幹部に何より求められるものだ」

「忠誠……」コウは初めてその言葉を口にしたかのように不思議そうな顔をした。「なんか、意外です」

「ボスの命令を待たずとも、組織の為にそれぞれが成すべきことを自ら考え、行動する。そしてその行動を信じることが、この組織の核となる考えだ」


 コウは伐文の真っすぐな瞳をみて思った。

 ルゥドに入ってから意外なことばかりだ。それぞれが自由で勝手に見えるが、いざという時には組織としての力を発揮する幹部。互いに関心がなさそうに見えて、案外気にしているのかもしれない。


 少し微笑ましい気持ちになり、口元が緩んだ。しかし角を曲がった瞬間に、はっと息を呑む。

「どうした」伐文がコウの変化に気付く。

「なんだか……懐かしい気がするんです」

 青白い光を反射する白い壁。埃ひとつ落ちていない廊下。

 しかし懐かしさといっても、心地いいものではなかった。その無機質な空間を歩くたびに、なぜか胸がざわつき、どくどくと脈を打つような頭痛がした。

「私……ここに来たことがある」

 伐文はしばしの沈黙のあと、低い声で云った。

「管理室への道は分かるか」

「……はい!」

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