第47話 早起き

 夏目とレインは互いに向き合っていた。

 窓から零れる月明かりが少女の陶器のような肌を照らし出す。弧を描いた唇とは対照的に、感情の見えない瞳を向けていた。


「何を隠している」夏目は漆黒の瞳をレインに向けて云う。だがレインはただ微笑を浮かべるだけだった。

 できれば手荒な真似は避けたいが―――

 夏目は懐にある短刀に手を伸ばす。しかし後ろから足音を聴き取り、静止する。

「レイン!」

 部屋に駆けこんだのはユニオットだった。即座に夏目をかばうようにレインの前に立つ。

「レイン、グリムを止めるんだ……これ以上、この人たちを傷つける必要はない!」

「何を云っているの。私たちの仕事を忘れたの?」

「なにかの間違いだったんだ!この人たちは脅威なんかではない!」

「ふふ。そんなのどうだっていいの」

「え……?」

「私たちの目的は、異能者の確保。そして博士の実験台となってもらう―――私たちのような被害者を生まないために」

「実験台?何を――」

「ユニオット、あなたは優しすぎる」

 レインは小さな声でゆっくりと呟いた。「だからすべてを知らない方がよかった」

 その瞳は真っすぐ向けられていたが、もはやユニオットを映していなかった。「私の邪魔をするなら、あなたでも許さない」

「レイン……」ユニオットは困惑の表情を浮かべる。しかしそれを振り払うように頭を振った。「それでも僕は君を止める」


「おい」夏目が口をはさんだ。「どうなっている」

「このままだと、あんたたちは全員連れ去られる。グリムには絶対勝てないんだ」

「それはやってみないと分からない」

「……彼にはどんな攻撃も効かない。レインが召喚した―――本当の死神だから」

「死神……だと?」

「レインは人形に魂を与え、その主として従わせる異能者なんだ」

「……!」

「だからグリムには勝てるはずがないんだ」ユニオットは夏目に振り向く。「皆を連れて、早くここを出て」

「何をする気だ?」夏目はなにかを感じ取り、声を低めた。

「僕の異能を解く―――でもあんたたちがいたら上手く暴れられない。逃げたりしないから安心して、終わったら合流する」

 その瞳は揺るぎなく、真っすぐ夏目をみつめていた。

「分かった。お前を信じる」

 夏目は部屋の扉へと向かった。「必ず戻れ」

 ユニオットは振り向かず、ただ小さく微笑んだ。

「……うん」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


「うっ」

 意識が戻った木騎が目にしたのはグリムがLとRの攻撃を受けつつ、床で悶える静雫に向かっていく姿だった。


「ちくしょ……動かねぇ……」

 腹部の傷口は静雫が与えてくれた粉を治療薬に変えて止血できたものの、全身は打撲を受け、左脚が骨折しているようで身を起こすのがやっとだった。血を失いすぎたせいか眩暈めまいもする。


「思い出しました。あなたたちは確か、私を神秘な世界へ連れて行ってくれた人たちですね」

「がっ……」

「R……!―――ぐっ」

 壁に打ち付けられ、血を吐くRに気を取られたLも投げ飛ばされる。

「ですが、そろそろお開きの時間です」

 阻む者がいなくなるとグリムは意識の失った静雫にゆっくりと近づいていった。


「くそっ……動け……動け」木騎は痛みをこらえ左脚を引きずりながら前へ進もうとするが、グリムの気を引くことすら叶わない。

 グリムは静雫の前に立つと、大鎌を掲げた。

 「やめ……ろ……!」


 しかし直後、予期せぬ衝撃を味わった。目の前に大量の煙が立ち込める。

「おっと、手が滑ったぜ。火薬が屋敷中にぶち撒かれちまったなァ」


 その聞き慣れた声に木騎は目を見張る。「火災保険には入ってるよなァ?」

「お前……!」

 舞い立つ煙から姿を現したのは、鋭い牙を覗かせた男。首に嵌めた紫水晶アメシストリングが一層存在感を放っていた。

「よう。随分と情けねぇ姿じゃねェか」

「お前……眠ったはずじゃ―――」

「地べたに寝そべる趣味はねェよ」


 豹瑠が先刻浴びた粉は、普通の人間なら丸一日視力を失い眠りにつくほどの強力な薬だった。しかしあれからまだ小一時間しか経っていない。


 そんな僅かな時間で意識を取り戻したことに信じられない様子で、木騎は豹瑠を見つめた。

「……はは、さすが……ルゥドの幹部様は手強いな……もうちっと改良しないとか」

「必要ねェよ。こいつをぶっ飛ばしちまえば手前ェにもう用はねェ」そう云うと豹瑠はグリムを睨みつける。木騎はそこではっとする。

「お前たち……まさか……最初から俺たちを助けるために?」

「勘違いすンじゃねェぞヒゲ野郎。組織の命令に従っただけだ」豹瑠は不快そうに云い放ち、痛みに耐えて起き上がるLとRに呼びかけた。「おい。手前ェらはそこに寝っ転がる女とそのチビを連れて退散しな。屋敷が崩れ落ちる前にな」

「豹瑠さん」

「しかし……」

 RとLが何かを云おうとするが、目をぎらつかせた豹瑠の表情をみて黙った。ルゥド一の戦闘力を誇る、幹部の威厳がそこにあった。

「早くしろ」そう短く云うと、豹瑠は大きく跳躍しグリムの目前に降り立つ。

 RとLは互いに目を合わせると、無言で頷いた。そして静雫とマスターを背負い、屋敷の外へと消えていった。


 豹瑠はグリムに近寄った。「なんだ、妙に大人しくしてんじゃねェか。怖じ気づいたか?」

「あなたは確か―――部下を持たない孤高の異能者ですね」

「オレのことも調査済みってか」

 豹瑠は風のような速さでグリムに飛びかかり、その鋭い爪で襲い掛かる。

 グリムが咄嗟とっさの防御に構えた鎌は二つに割れた。 

 その割れた破片をみつめながら、グリムは何の感情も示さない顔で頷いた。

「成程……確かにあなたはお強い。組織内でもさぞ恐れられていることと思います」

 グリムは淡々と述べる。「しかしあなたを本当に恐れているのは、あなた自身……単独で行動するのも、そのためでしょう」

「アァ?知ったような口利いてんじゃねェ!」

「火を放ったのもそれが理由じゃないのですか?一人で闘いやすくなりますから」

「……チッ。その忌々いまいましい口を黙らせてやるぜ」

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