第46話 効かなくても

 マスターとグリムの闘いの最中、静雫は木騎に駆け寄った。


「静雫……」

「おい、しっかりしろ!」

「マスターを連れて……逃げろ。奴は……化物だ」

「見りゃ分かるって。うわ、ひどい傷だな……粉はどうした?」

「使い……切っちまった……」

「ったく」

 静雫はポケットから粉袋を取り出した。「ほら。足りないだろうけどこれで応急処置はできるだろ。取り敢えず今はこれで我慢してくれ」

 静雫が血の滲む場所に粉を散らすと、裂け目に張り付いた白い粉が傷口を塞ぎ、血の流れが止まる。

「……助かったぜ」

 木騎は力のない笑みを浮かべた。強がっているが、この短時間にあまりにも大量の血を失いすぎた。静雫は拳を握り締めながら、自分の中で怒りの感情が大きく膨れ上がり、心臓が強く脈打つのを感じる。

「……許せない」

「それはごめんなさい」

 静雫ははっとした。

 背後に人気ひとけを感じると同時に、木騎の上に長身の影が覆いかぶさる。

 振り向くと、グリムが立っていた。

「な……マスターは……?」

 広間の中央に目を向けると、マスターが血まみれの床の上に横たわっていた。「こ……の野郎っ……‼」

 頭上に振り落とされる鎌を、水獣の圧力で跳ね返す。

「ほう。水は鎌より強し、ですか。やはり自然には敵いませんね―――仕方ない」

 グリムは後ろに身を引き、大鎌を持たない掌を静雫に向けて広げた。

「―――『乖離かいり』」

 グリムのささやくような声に、静雫の心臓がドクンと跳ね上がる。


 なんだ……?急に身体が重く―――

 激しい振動と悪寒が訪れ、意識が遠のく。まるで魂を吸い取られるようだった。


「やめ……ろ」 

 静雫は水獣を繰り出そうとするが、意識を切り離されたかのように身体を動かすことができない。

 グリムは蒼白な顔を向けたまま、静かに指を折りたたむ。

「器さえ残れば博士も満足でしょう。穏やかな眠りをあなたに……」

 静雫の眼は光を失いかけ、もはや何も視えなくなっていた。瞼がゆっくりと閉じる―――。


「そいつを離しな」

「!」

 グリムの閉じた掌が開いた。

「魂を取りこぼしたのも初めてです」

 手元を不思議そうに見つめ、背後にいる人物に振り向いた。


 静雫は朦朧もうろうとした意識の中、二人の影を認識する。つい先ほど対戦したばかりの相手―――RとLがグリムの攻撃を躱しながら宙を舞っていた。

「お前ら……!」

 Lがグリムを蹴り飛ばすと、Rは手に持つ光の塊をグリムに向けた。しかし何も起こらない。

「効かない……?」

「R、危ない!」

「っ……!」

 グリムは外套を投げつけ、Rの視界を遮った隙に素早く鎌を振る。間一髪でRはLの異能に引き寄せられてそれを回避した。


「ご主人様がいないとRの異能は効かないってわけか」Lは舌打ちすると、グリムの身体を自身の異能で突き飛ばす。「おまけに僕の異能も効き目が薄い……」

「お前ら逃げろ!此奴には敵わない!!」静雫は今がこの敵から逃れる最後の機会だと感じる。だが双子はその場から動かなかった。

「それは退く理由にはならないな。敵を捕獲しろという命令が下されている」RはLの手を離れて云った。

「何云ってんだ……お前の異能が効かないんだぞ」

「そうみたいだ」

「そうみたいだって……そんなに命令が大事なのかよ⁉」

「そうだ」

「ま、そうだね」Lがその隣で頷いた。「緘人の命令なら、そうだ」

「あの銀髪の……?」

 静雫はぬいぐるみ爆破未遂事件で対面したときの記憶が浮かんだ。

「僕たちはあの人に拾われたんだ」Lが淡々と表情を変えることなく云った。「飢え死にしそうなところをね」


 そういえば、と静雫は思い出す。京也の集めた資料で前に読んだことがある。数年前、双子の孤児をルゥドが仲間に引き入れたと。


「僕らは生まれた時から世界に突き放されていた。地の底のような貧民街スラムでさえ居場所はなくて、いつも邪魔者扱い。そんな僕たちを緘人さんは、唯一必要としてくれた人だ」

 Rは敵を真っすぐ見据えた。「僕たちの力が目当てだったのかもしれない。でもそれでもいいんだ……緘人さんのおかげで僕たちは、この世界でも生き続けていいのだと知ったから」


 港湾都から海辺に掛かる橋を渡った先にある貧民街。

 社会から除け者にされた者や、あえて身を隠す者たちがたむろする場所―――華やかな港湾都市には闇の部分がかつて存在した。

 ルゥドが覇権を握ってからは、その辺り一帯は再開発されだいぶ状況は良くなったらしい。しかし双子が貧民街で過ごしたのは、それよりも前のことだった。


「緘人と出会わなければ、僕たちは見知らぬ地に売り飛ばされていたかもね」とLが笑う。

 しかし静雫には平然と話す二人が、どこか強がっているように感じられた。双子の首にある紅色の宝石はそれを強調するように眩しく光る。

 静雫は過去を思い返した。


 僕はマスターに拾われてビターに入った。でも、もしそれがルゥドだったら……僕もそっち側だったんだよな。自分たちの意志とは関係なく、ただ生きるためにすがりつくしかなかった運命だ。


「……同じだな。僕も小さい頃に家族をなくしている。両親と姉がいたんだけど、交通事故で亡くなったんだ。そして独りになった僕を、マスターが見つけてくれた」

 静雫は俯いた顔を上げ、二人を見た。

「……」

「へー」

「……は⁉なんなんだその興味なさそうな反応は……ここは共感を生んで互いに分かり合うとこだろ!」

 ぞんざい過ぎる反応を指摘しようとするが、双子はきょとんとしている。

「んー、よく分からないけど、僕たち別に他人の共感とか同情なんて求めないから」

「緘人さんから与えられた任務を完璧に遂行する。ただそれだけで満足だ」

「はぁ……期待した僕が悪かったよ」

「それに感傷に浸ってる場合じゃないだろ」Lは静雫に向かって控えめな笑みを浮かべた。 

 三人の眼に、立ち上がるグリムの姿が映る。

「……そうだったな」

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