第二章

第21話 休日も休むことなく

ピンポーン。

『喫茶びたー』定休日の早朝。

 眠気でぼやける世界になんとかピントを合わせ、珍しく音が鳴る玄関先に京也きょうやは足を進める。

「やっぱり来たか……」

 ドアの向こうにいる人を想定し、気分が進まないが放っておくと後々面倒くさいので仕方なくドアを開ける。

 案の定、そこには太陽も負けそうなくらい眩しい笑顔を放つ『喫茶びたー』の敏腕シェフ―――木騎 一郎このき いちろうが立っていた。


「……間に合ってます」

 寝起きのかすれた声でそう云い、ドアを閉じる。

 しかし閉じかけたドアの隙間にすかさず足を挟み、待て待て、話だけでも、と木騎は必死で京也に懇願こんがんする。


 うわ、痛そう―――

 そう思いドアを緩めると、木騎は遠慮なく玄関に押し入り、京也の肩を掴んでゆすった。

「なぁ京也、休日に申し訳ねぇと思っているよ……だけどこれは一大事なんだ!」

「ですよね……」

 京也は諦めたように溜息をつく。

「おお、分かってくれるか!さすが我らがエース‼」

「木騎さんがわざわざうちまで押し掛ける理由は、アレを買うためですよね……」

「そうだ、アレだ!」

 木騎の目が輝き、京也はその勢いに負ける。

 はぁ、とまた小さく溜息をついて分かりましたと云う。

「着替えるので待っててください」

「おう、急いでな!」


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


 二人が向かった先は、デパートの中にあるキッチン用品専門店。


 多種多様な料理器具が揃い、名の知れた料理人たちも頻繁に通う店だ。

 しかしこれだけの豊富な種類を前にすると、一人ではどれがいいか分からず悩んでしまうと、木騎は京也にいつも付き合ってもらっている。

 京也が特別料理が得意というわけでも詳しいというわけでもないが、木騎にとっては頼りがいがあるのだそうだ。


「これはステンレス製ですが、やはりこっちの方が形がいいですね……これもいいですがスペックの割に値段が張るのでなし……とするとやはりこのドイツ製の物が有力ですかね」

 ぶつぶつと鍋を吟味する京也の隣で、木騎は成程、ほー、とひたすら相槌あいづちを打つ。

「でもこっちの―――」

「あ!悪い、京也。ちょっくら予約してた品取りに行ってくるわ!」木騎は鍋選びを京也に任せ、去っていってしまった。

「まあ……こうなることは予想してましたよ」

 京也は深い溜息を吐いた。



「お、月下夜想げっかやそう交響楽団がここにやってくるのか」

 一通りの買い物を無事に終えて『喫茶びたー』に向かう途中、一枚のポスターを目にした木騎が云った。


 月下夜想交響楽団。

 美しく完璧な演奏を誇る、世界最高峰の器楽家達の集い。


 その名前に京也はぴくりと反応し、ポスターをちらりと見る。

「そうみたいですね」

 気のせいか、その声は少し抑揚を抑えている。

 変化に気付いた木騎は不思議そうに京也を見るが、問いかける暇もなく先に進んでいってしまった。

「なぁ、どうかした―――」

 しかし云い終わる前に、聞き慣れた物騒な音に言葉が遮られる。


 ―――銃声


「あっちだ!」

 京也と木騎はまだ止まぬ音の方向へ走り出した。


✧ ✧ ✧ ✧ ✧ 


 ドドドドドドド―――

 乱射音の激しさが増し、人々の悲鳴が聞こえてくる。

 

 テロか……?


 手が僅かに汗ばむのを感じながら、京也たちは逃げる人々の流れに逆らって音の出処である屋外に到着した。


 そこはデパートのカフェのテラス席が立ち並ぶ場所だった。観覧車が目の前に高くそびえ立ち、いつもは賑やかで人気のエリア―――しかし今は何人もの人が無残に血を流し倒れ、まるで地獄のようだ。


 唯一立っているのは、一人の男だった。

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