第31話「寛容の理由」

 機体が擱座した俺たちは、敵を排除して駆けつけた第二小隊に拾われて撤退した。マスドライバーの制御室を制圧するという任務も、他の部隊が達成したらしい――しかし制御室が陥落する少し前、マスドライバーから1機のウォリアーが射出された。その機体は地上に展開する連邦軍や、軌道上に留まる連邦艦隊からの射撃をくぐり抜けて惑星「ダンカー」の重力圏を脱すると、ガス雲の中に消えていった。


 戦闘終了後、アビー少尉の機体も身柄も見つからなかったことから、マスドライバーで脱出したのは彼女だと考えるのが自然だろう。彼女はまだ、生きている。帝国軍人として。


 航宙母艦「ルイズタン」に帰還した俺は、フォカヌポウ提督に報告をあげた。アビー少尉の裏切り、そして……俺がメスガキ化による身体能力強化を喪ったことを。


「そう、か……残念だとしか言いようがない。アビー少尉とは実に楽しいオタク談義が出来たのだがな。それがまさかスパイだったとは」

「はい……」

「……いや、私より君のほうがショックが大きいだろうな。身体能力強化を喪ったことも含めて。いまはゆっくり安め、大尉」

「はっ」


 俺はブリッジを去ろうとフォカヌポウ提督に背を向けた。すると、フォカヌポウ提督はややためらいがちに、俺の背中に声をかけてきた。


「裏切りは辛いものだ、大尉。しかし他の者もスパイかも、とは考えるなよ。心が壊れてしまう」

「理解しております」

「……クルーたちと良く話し合え。こういうときこそ、軍務とは関係ないオタク談義が心を救ってくれるだろう」

「はい」


 俺は今度こそブリッジを去った。そして格納庫へと足を向けた。


 格納庫では、整備班が大忙しでウォリアーの整備や修理を行っていた。自機の方を見やると、新品同様の「フザール」が整備を受けていた。3機買った「フザール」のうちの予備機だろう。俺は整備班長に声をかける。


「何か手伝えることはありますか?」

「いんや、今は俺たちだけで十分だ。1番機はフレームがイカれちまったからな、いま2番機を出撃可能な状態に仕上げてるところだが……最終調整までお前さんの出番はない」

「そうですか。では、その時になったら呼んでください」


 整備班長は頷いてしばらくすると、思い出したように声をかけてきた。


「いや、待て大尉。ちょっくら手を借りたい場所がある」


 整備班長はそう言いながら、「フザール」をいじっている整備員の肩を叩いて別の箇所の整備をやらせた。


「ここだ、ここを頼む。……今は手を動かしてた方が楽、そうだろ?」

「……そうかもしれません。すみません、ご厚意に甘えます」


 それから俺は、黙々と「フザール」の整備を手伝った。最初は色々な感情が渦巻いていたが、整備班長の言う通り、手を動かしているうちに気分がすっきりしてきた。


 割り振られた仕事を終えた俺は、整備班長に声をかける。


「班長、終わりました」

「おつかれさん。今度こそ終わりだ」


 見れば、他の整備員たちは既に作業を終え、他の機体の整備に取り掛かっていた。特にジェシカの機体の周りに群がっている。


「あれは?」

「ああ、ジェシカ少尉の頼みでな。破壊された『フザール』のスラスターや軽量装甲板を取り付けて機動力を強化してるんだ」

「ジェシカが……?」

「ああ、『大尉のお力にならないと』だってさ」


 ……どうやら、ジェシカに負担を押し付けるかたちになってしまったようだ。メスガキ化の力がない俺では、ジェシカにも劣る戦闘力しか発揮出来ない。必然的に、前に出るのは彼女になってくるだろう。


「おい、いま『ジェシカ少尉に負担をかけることになる』とか考えただろ。自分が弱体化したから」

「ッ、何故それを?」

「お前の機体は音声データを記録しないことになってるだろ? フォカヌポウ提督に言われて、初陣の音声データの削除と今後の不記録処理を施したのは俺さ。諸々知っていて当然だろ」

「そう、とは……」


 では整備班長は、俺のメスガキ化を知ってなお笑わず、誰にも言いふらさなかったことになる。自然と頭が下がった。


「やめろ、頭を上げろ大尉。俺は当然のことをしたまでだ」

「軍務とあらば当然かもしれません。しかし班長、そこには大きな誘惑があったはずです。笑ったり、言いふらしたいという。そうしなかったことに対しての感謝です」

「いんや、最初に聞いた時は笑ったが? それどころかメスガキロールプレイを想像して2度笑ったぜ。 流石に言いふらしはしなかったがね」

「……そう、ですよね」


 そりゃそうだろう。成人男性が裏声でメスガキロールプレイをしていたら誰だって笑う。アビー少尉が言った通り、気持ち悪いとも思っただろう。


「だがな、確かに笑いはしたが。嘲笑や批判はしていないと、星々に誓って言えるぜ。そこだけは間違えるなよ」

「はい」

「……その様子だと信じてねえな?」


 整備班長は大きなため息をついた。そして頭を振ると、眉間に少し皺を寄せた。


「お前は最近オタクになったばかりで理解してねえんだろうが……俺たちは人の性癖や、『そうしないと生きていけない』ッつー行動を嘲笑したり、批判したりはしねぇのよ。もちろん、それが人に迷惑をかけねえものに限っては、だがな」

「班長、わかりません。何故貴方たちはそこまで寛容なのですか? 気持ち悪いものは嘲笑したくなるじゃないですか。批判したくなるじゃないですか」

「ああ? そりゃお前、オタクが気持ち悪くて、嘲笑されて、批判されてる生き物だからに決まってるじゃねーか! ……だからこそ、だよ。俺たちは人の性癖や行動を嘲笑したり、批判したりしちゃいけねンだ。不快でも相手を受け入れる……最低でも、無視せにゃならん。そうしなけりゃ、俺たちは滅んじまうからな」

「どういうことです?」

「考えてもみろよ、どんな名作だって批判者はいるもんだ。そいつが『不快だからこの作品は消せ』って言って、それに従ってたらよ、この世からあらゆる創作物が消えちまうぜ。それじゃ困っちまうのがオタクって奴らだ。いつか自分に合致する創作物が出てくることを祈って、その芽を摘むような行為は慎むんだ。自分にとって不快でも、誰かに刺さってるかもしれねえ。だから受け入れるか、無視して野放しにするのよ」

「なるほど……」

「それに創作物に限ったことじゃねえ、性癖や『それをしないと生きていけない』ッつー行動も同じだ。いつか自分が性的に満たされるため、生きていくために、他人に寛容じゃなきゃならん」


 理屈はわかる。しかし俺は、冷静な部分で「難しいのでは?」と考えていた。確かに整備班長の理論は素晴らしいが、それをどこまで実行出来るか疑問に思う。不快なものを嘲笑したり、批判したりするのは人の本能的な行動原理だ。よほど強固な信念がなければ、それを抑えるのは難しいはずだ。


 ……見透かされていたのだろう、整備班長は再び大きなため息をついた。


「お前、これがどれくらい切実なことかわかってねンだろ。……例えば俺はな、これよ」


 整備班長は1組のネジとナットを取り出した。


「俺はな、インチネジ♂とセンチネジ♀のカップリングでしか性的に興奮出来ない男だ」

「は?」

「2人はよく似通ったお似合いのカップルに見えるってのに、大きさが微妙に違うから絶対に噛み合わねんだ。無理に突っ込もうとすれば壊れちまう。俺はそのもどかしさでしかチンポ勃たねえのよ」

「ご、業が深いですね……」

「ああ。そして殆ど誰も理解してくれねえ……だがな、そんな俺にも救世主がいる。このカップリングで同人誌を描いてくれる神作家がいるのよ。……だから俺は、俺と推し作家が生きるために、他人に寛容でいるのさ。ここにいる奴らは大体そんなもんだ。ほれ見てみろ」


 整備班長は次々と、ジェシカの機体をいじっている整備員たちの背中を指差す。


「あいつは異種姦でしか抜けない。あいつは重度のマゾ。あいつは眼球性愛者オキュロフィリア。まあこの辺はそのテの作品があるから幸せだな。可哀想なのはあっちの樹木性愛者デンドロフィリアで、根っこに宇宙船を埋めた樹木にしか欲情出来ねえし、そういった作品はまだ世に出回ってねえ」

「知らなかった性癖の流星群で頭がパンクしそうですし、急にクルーたちのことが怖くなってきました」

「俺だってこの艦隊に来るまで知らなかった性癖だし、怖いよ。……だがな、怖いからって排斥しちまったら。その先はもっと怖い地獄が待ってるんだ。巡り巡って自分の生きる糧が無くなっちまった世界、そっちの方が怖い。この艦隊の奴らは皆そう思ってるから寛容なんだ」

「な、なるほど……」

「だからよ、和唐瀬大尉。お前もこの艦隊ではメスガキロールプレイを恥じる必要はない。そりゃシュールだから笑いはするが、バカにしたり批判したりはしねぇよ。アビー少尉に何を言われたかは知らねえが、気にするな。……彼女も、今でも同じ考えを持ってると思うがね。お前に言ったのは、お前を無力化するために言った方便だろうさ」

「そう……なのでしょうか」

「そうだろうとも。そうじゃなけりゃ、『気持ち悪い』の一言とともにコクピット貫かれてるだろ。……もちろん元仲間であるお前への情もあったんだろうさ。だがお前を殺しちまったら、オタクとしての彼女が……彼女の信念が死ぬことになる。だから殺せなかった。俺はそう解釈するよ」

「……オタクとしての行動も、演技だったという可能性は」

「ある。……が、そう思いたくはないな。オタク談義をしてる時のアビー少尉はよ、心底楽しそうだったからな」


 それは同意出来た。アビー少尉と『やお弁』を語っていた時、彼女は本当に楽しそうだった。今思えば――勝手な想像だが――重責を背負っていた彼女にとって、オタク談義はある種の救い、息抜きだったのではないか。そう思えてくる。


「ありがとうございます、班長。少し、楽になりました」

「おうよ」


 班長はひらひらと手を振って、他の機体の整備に向かった。


 そして俺は、ジェシカの部屋に向かった。次は彼女と話さねばならない、そんな気がしたからだ。

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