男女お二人様
僕が彼女の首吊り自殺を止めた理由は、よくわからない。目の前で人が死ぬのが嫌だったのかもしれないし、止めないと僕の責任になるからかもしれないし、警察に連絡するのが面倒だっただけかもしれない。または、彼女に対して下心があったのかもしれない。それとも、自殺する人間に対して質問があったらかもしれない。
とにかく、僕は自殺しようとする彼女を無理やり止めて、近くのカラオケボックスで話を聞くことにした。なぜカラオケボックスなのかというと、話すなら人がいないところが良いとリクエストされたからだ。僕の貧相な思考では、カラオケボックスか、ラブホテルしか思いつかなかない。そして値段のことも考えると、必然的に前者となる。
彼女とは一切関わりがないので、まずはお互いの紹介から始めた方がいいだろう。僕は口を開く。
「こんにちは、僕は善良な大学生。なんとなくで君の自殺を止めた人間さ」
「こんにちは、私は無力な専門学生。なんとなくで自殺を止められた化け物さ」
とりあえず、情報は引き出せたからグッドコミュニケーションといえる。前向きにいくのが大事なのだ。僕は受付で注文したアイスウーロン茶を少し飲む。冷たくて心地よい。
「専門学生なんだ。どんなことを学んでいるんだい?」
まずは相手への理解が大事だと、僕は経験上知っている。相手がどういう人物で、どんな人間で、どのような過去の持ち主なのか。それを訊いていたら、会話のネタに困ることはない。初対面の相手なら、それだけで一日使ってしまうほどだ。
「イラスト。だけど私は絵を学びたくて入ったわけじゃない」
「と、いうと?」
「ただ就職したくなかっただけ。だけど大学に行くほど頭が良くなかったから、専門学校に入った」
僕はなるほど、と相槌を打つ。僕も似た理由で大学に入学したから、耳の痛い話だ。もっと遊ぶ時間が欲しくて進学する。親からすれば憤慨ものだし、学校からしたら絶好のカモだ。けれど仕方ないことだと思う。とくにやりたいことや夢がない人間だからこそ、探す期間を長く設けるべきなのだ。
「そこで何か嫌なことがあって、あんなことをしたんだね」
「あんたに何がわかるっていうの」
彼女は叫ぶ。しかしその声は響かない。
「わからないさ。何もね」
わかってたまるか。僕はエスパーではなく、虚無だけを持ち歩いている人間だ。彼女が僕に自殺までの全てを語ってくれたとしても、何かをしてあげようと絶対に思わない。理解はできても同情はしない。そんな行動力があれば、とっくに夢を見つけて就職している。
かと言って自殺をスルーすることは出来ない。なぜなら、僕は見ず知らずの他人を見捨てるほど、教育を受けていない訳ではないからだ。骨にまで染み付いた義務教育が、止める気のなかった僕をそうさせた。つまり、世界の意思なのだ。僕の意思ではない。
プラスにもマイナスにも働かないゼロの人間、それが僕だ。
「それで、なんで君は化け物なんだい? 僕には人間の可愛い女の子に見えるけど」
僕は会話が途切れないように、次の話題を提示する。自己紹介の時に、自分のことを化け物さ、といっていたのがずっと気になっていた。そこに彼女について必要な何かがあると僕は思う。なので単刀直入に訊いてみた。こういう場合、変に歪曲せずストレートに突っ込んだ方がスムーズにことが進む。
「可愛い、ね。良い冗談だ」
そう言って、彼女は乾いた笑い声を少し発した。
「私はね、何もかもダメなんだよ。顔もダメだし、運動神経もダメだし、勉強もダメ。生きている価値がないんだよ。より良い世界のために、死ぬべきなのさ」
彼女は諦めたように、それでいて昔を思い出すように語った。彼女には自己肯定感というものが満たされていない。人生の中で、誰にも認められなかったのか、認められていたけれど足りなかったのか、そのどちらかだ。だからといって僕が彼女の支えになるつもりは毛頭ない。この先ずっと依存されて、ロクな結末にならないのが目に見えているから。
「そうだね、死ぬべきだね」
だから僕は彼女に厳しく接する。
これから僕が伝えることは、他人が言っていたことをそのまま借りるだけなので、説得力はゼロだ。しかし、これはどうしても今の彼女に届けなくてはならない言葉なので、僕は驚いた彼女の顔を見つつ、嫌々ながら喋り始める。
「君は間違いなく死ぬべきだ。親の金を無駄遣いし、とくに努力もしないくせに目標だけは高く、何かを成し遂げたこともないクズ。そんな君は今すぐに死んだ方が良い。自分のことを化け物と言って悲劇のヒロインぶっている所も、また救いようがない。本当に生きている価値がないね」
彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら、目に涙を浮かべていた。少しだけ申し訳ないような気がしてきた。
「何もかもダメダメ言って、独断的で主観的なレッテルを貼っているのもカスだね。君の中での人生は都合良すぎるんだよ。もっと現実を見て知った方が良い。逃げずにね」
ここまで言ったところで、彼女の心は限界を迎えた。つまり、僕の目を気にせず泣き叫んだ。うわん、うわんと大声をあげる。どうやら、話し合う場所をカラオケボックスにしておいて正解だったようだ。
僕は彼女が泣きつかれるまで待つことにした。本当はまだまだ続きがあるので、遮られたのは少し困ったけれど、話を聞けない状態なのだから仕方ない。それは十秒だろうか。それとも十分だろうか。もしかしたら一時間だろうか。僕は腕時計をしてないし、携帯の画面を見る気分になれなかったので、どれくらい待ったかわからない。一瞬のように思えたし、永遠のように思えた。
その間に僕ができたことは、彼女にハンカチを渡すことだけだった。
「だからこそ、君は生きなくてはならない」
僕は続ける。
「生きるというのは義務なんだよ。どんなに死ぬべき人間でもね。なぜなら、君が死ぬことで、みんなが作り上げた世界が一つ終わってしまうからだ。君は沢山の人の努力の上から成り立っている。その努力を踏みにじることは決して行ってはならない。それは殺人よりも重い罪だ」
彼女は黙って僕の話を聞いてくれている。
「つまりね、逃げずに立ち向かわなくてはならないんだ。たとえ死ぬよりつらい日々が待っていたとしても、僕らは生きて、苦しみ続けなくてはならない」
だから、君は生きなさい。僕も生きてるんだから。僕はそう言って、アイスウーロン茶を飲み干した。
「あんたって、厳しいね」
しばらくしてから、彼女は僕にそう言った。
「わかったよ、死ぬのはやめてあげる。あんたがそこまで言うなら、もう少し頑張ってみようかな」
彼女は僕に向けて微笑む。その涙の跡が見える笑顔は、とても眩しくて美しいと思えた。
「お礼、させてよ」
カラオケボックスの会計を終わらせたあと、彼女は僕にそう提案した。もちろん僕は丁重に断る。それではプラスになってしまうからだ。僕は貴重な時間を色々拗らせた女に割くというマイナスの代わりに、彼女の美しくて人間らしい笑顔を見るというプラスを得た。そこから更に何かを頂くなんて、僕のような人間に相応しくない。僕は彼女にそう伝えた。
しかし、現実は上手く運ばなかった。彼女が僕の腕を掴み、無理矢理引っ張るからだ。さっきまで話を素直に聞いてくれていた娘だったのに。人は短時間でこうも変わってしまうものなのか。彼女は命の代わりに、聞き分けを捨てた。そうして彼女はゼロとなったようだ。僕はため息を吐く。
「じゃあ、プラマイゼロになればいいんでしょ? 私に考えがあるの。私は学校の課題で、人物の全体像デッサンを完成させなきゃないけない。そのモデルになってくれる?」
それで、僕に何の得が?
「その前に私を抱いて良いよ」
僕は最初からラブホテルで話し合えば良かったと、若干後悔した。
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