第55話 夜更かし⑥

「え……えぇと……なりたいっていうのは……」


 千弦からそんな言葉が飛び出すとは思わなかった。


「私、チヤホヤされたいんです」


 冗談で言っている風でもない。それでも、自分が望んでそうしたいと思っている訳でもない。まるで、何かに縋りつきたがっている人のような悲痛な顔をして、チヤホヤされたいと言う。何だか雲行きが怪しくなってきた。


「ち……千弦、ちょっと座って話しましょうか」


 千弦の手を引いて、目に入ったベンチに座らせる。近くに自動販売機があったので水を買いに行くことにした。


 二本のペットボトルを持って戻ると、千弦は俯いて手を震わせていた。どうやらかなり重症のようだ。水を渡すと千弦は顔を上げて目を半月型にして笑うが、やはりいつも程の元気がない。隣に座ると少しだけ距離を詰めてくる。


「それで、どうしたんですか? チヤホヤされたいのは分かりましたけど。なんだか、らしくないですよ」


「そうですね……回りくどい事をして申し訳ないです。お話を聞いてもらいたかっただけなんですね、結局。いいですか?」


 人気も少なく、住んでいるところからも離れた場所。目の前には海。普段腹に溜め込んでいることを吐き出すにはこれ以上ない最適な場所だ。黙って頷くと、千弦はゆっくりと話し始めた。


「たまに、すごく不安というか、満たされない気持ちになるんです。それで夜になると耐えられなくなってしまって、一人で走り回ったり。そんな事をしてるんですよ」


「満たされない……ですか」


「はい。色々と本を読んでみたんです。人の欲には段階があるらしく、まずは食欲とか身の安全とか、生きるために必要な物から始まるそうです。その次は周囲の人からの愛。そして、他人からの注目を集めたくなるんですって。私には最後のものが足りていないと思うんです」


「承認欲求みたいなものですか? あちこちのステージに立って、皆が千弦の掛け声で飛び跳ねたりしてるじゃないですか。あれ、結構気持ち良さそうですけどね」


「そうですね。ステージに立つと本当に興奮します。お客さんが楽しそうにしているのを見ると私も気持ち良いです。でも、あの人達はマサを見ているんです。私じゃないんですよ」


 千弦は下を向いて悲しそうに話す。


「どういう事ですか?」


 マサだろうと千弦だろうと、ステージに立って注目を浴びているのは同じじゃないかと思ってしまう。


「覆面を取ったらただの伊東千弦なんです。街を歩いても誰からも見向きもされない。人前で歌を歌うことも許されない。ちっぽけな女子高生なんです」


 伊東千弦としての世間の評価と、サクシのボーカルのマサとしての世間の評価に大きなギャップがある事が、千弦を苦しめているのだろうか。僕は覆面をつける事でユキとは別人として扱われる事がメリットだと思っていた。永久も過去の経験から似たような事を思っているだろうけど、実際、どこで何をするにも制約がないのだから楽だと思う。


 永久が千弦をバンドの広報に指名したのは、この事を見抜いていたからなのだろうか。少しでもファンの声援が千弦に届きやすくなるようにしたかったのかもしれない。


 だが結果として、マサと千弦のギャップの大きさを自覚しやすくしてしまい、余計に千弦が苦しむ事になってしまっている。


 言われてみたら千弦は前から目立つような行動を自らしていた節がある。文化祭のメインステージにも出たがっていたし、モッシュのど真ん中に突っ立っていたりした。制服を着崩したり、ニット帽を被っているのもその一環なのだろうか。ポワポワとした雰囲気を纏っているが、その実は目立ちたがりな普通の女の子なのだろう。


「マサとしてではなく、千弦として見てくれるたくさんの人が欲しいって事ですか?」


「そうかもしれません。私も正直分からないんです。ポッカリと心に穴のようなものがあって、その穴がブラックホールみたいにずっと、何かを欲しがってるんです。何を飲み込んでも満足してくれないんですよ」


「でもそうだとすると、裏垢女子になっても匿名なので千弦を見てくれている訳ではないですよね。千弦でもマサでもない三人目の人格、みたいなイメージです」


 千弦はハッとした顔をしたかと思うと、またしょんぼりと下を向いてしまった。


「それは……盲点でした。承認欲求の満たし方、みたいな言葉で検索して出てきた方法だったので、深く考えていなかったんです」


 千弦はやはり天然だった。千弦の裏垢女子、少し気になってしまうのだが、本人のためにも全力で止めるべきだろう。


「裏垢女子はやめて、別の方法にしませんか? 将来、どこでバレるか分かりませんしね」


「そうします。奏吾君、色々と聞いてくれてありがとうございます」


「いいんですよ。裏垢女子を実行に移す前に話せて良かったです。すぐに人気になりそうですし」


「え? どういう事ですか?」


「なっ……何でもないですよ。忘れてください」


 つい、口が滑ってしまった。千弦は首を傾げているので意味は分かっていないみたいだが「千弦はいい体をしているから簡単にバズりますよ」なんて意味だと勘付かれたら話してもらえなくなりそうだ。


「うーん……顔出しで何かの趣味をテーマにした動画投稿とかすれば少しは満たされたりするのかなって思ったんですけど、確かに歌は危険ですね……あ! バイクはどうですか? 美人女子高生ライダーなんて中々いないんじゃないですかね」


 千弦はポカンとした顔で僕の方を見てくる。


「私の問題なのに、真剣に考えてもらって……ありがとうございます」


 僕は千弦の裏垢女子化を止めたい一心で頭を使っている。バイクの動画配信者なりSNSでの有名人みたいな方向で活動すれば少しは気が紛れてくれたらそれで良い。


「いいんですよ。千弦が元気になってくれるに越したことはないですからね」


 千弦は目を瞑ってうんうんと頷く。満足そうに口元が笑っているので、どうやら方向は見えてきたようだ。


「つかぬ事をお聞きするのですが、私って美人ですか?」


 少しおどけた表情で千弦が訪ねてくる。いきなりそんな質問をしてくるので面食らってしまう。丸顔でぷっくりとしていることと性格も相まって、美人系というよりは可愛い系という印象だ。整った顔立ちをしているので美人はもちろん美人なのだが、面と向かって「美人ですね」なんて恥ずかしくて言える訳がない。


 何を言うべきか分からず言い淀んでいると、千弦は更に続ける。


「えぇと、変な意味ではなくてですね……今、奏吾君に美人と言われたとき、すごく嬉しくて、心の穴が少し塞がった気がしたんです。何故か分からないんですけど、今すごく気分がいいんです」


 とりあえず僕に褒められることで承認欲求が満たされるということなのだろうか。僕よりも不特定多数の人に褒められる方が気持ち良い気がするけれど、これも個人の考え方なのでそういうものだと割り切るしかないのだろう。


「そ、そうですか。美人だと思いますよ」


「わぁ! ありがとうございます!」


 千弦は目を輝かせて喜んでいる。更に「もっとください」と自分を褒める言葉を要求してくる。


「どんな言葉がいいんですか?」


「では、可愛い、でお願いします」


「か……可愛いですね」


 千弦は両手を頬にあてて喜ぶ。僕たちはわざわざ遠出してまで何をしているのだろう。我に返ると恥ずかしくなってきたので、すぐに自我を投げ捨てて千弦と向き合う。


 まだ満足できないようで、次から次へと言葉を指定して僕に言わせては心の穴埋めに使うように噛みしめている。かれこれニ十分くらいは千弦の事を褒めさせられた。


「そろそろ、どうですかね。満たされましたか?」


「では次が最後ですね。す……素敵ですね、でお願いします」


 一瞬、別の言葉を言おうとして口先で止めたように聞こえた。「す」から始まる言葉なので「崇拝したいです」とか「スペシャルです」とかだろうか。「す」から始まる誉め言葉なんて無限にあるので考えるのもバカバカしくなってすぐにやめた。


「千弦、素敵ですね」


 ずっとやっていたので口も心も慣れてしまった。人を褒めるなんて朝飯前だ。可愛いね、綺麗だね。駅前に繰り出したらナンパでも出来そうなほどだ。


「はい……ありがとうございました。すごく、満たされています。また、穴が大きくなってきたらお願いしますね」


 どうやら心の穴は完全に塞がったわけではなく、じわじわと広がっていくようなので継続的な対応が必要らしい。早くバイク動画でバズって欲しいものだと願ってしまう。


 千弦と話し込んでいる間にすっかり日も落ちていた。時計を見ると夜の八時。今からここを出発しても家に着くのは九時くらいだろう。


「では、次は奏吾君の番です。話を聞いてもらったお礼です。何でも話してくださいね!」


 千弦はニッコリと笑って僕の手を取る。いつの間にか、この会の趣旨はお互いの悩みを相談する事になっていたらしい。


 僕に悩みなんて……あった。悩みたてホヤホヤの朝採れ悩みだ。


 千弦に相談しても良いものかと悩んでいると、いきなり椅子に座ったまま正面から抱きしめられた。


「大丈夫ですよ。私のあんな話を引かずに聞いてくれたんです。私もなんでも受け入れますよ」


 耳元で千弦の声が聞こえる。何でも受け入れてくれる。本当だろうか。僕の醜い嫉妬心も、狡い策略を考え出した性格も受け入れてくれるのか。


 千弦は心の穴が埋まって上機嫌なようだ。本当に何でも、どんな言うことでも聞いてくれそうな気配すら漂わせながら、話を誘い出すように僕の後頭部を撫でてきた。

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