第11話 小テスト

 週末は僕が加入して初めてのライブだ。明後日はBBCでの最後のスタジオ練習なのだが暗雲が立ち込めている。


 彩音が数学の小テストをクリア出来ないのだ。放課後、僕達以外は誰もいない教室で、僕と奏が彩音を挟み込むように座っている。彩音は再再再テストを先生に告げられてからずっと、机に突伏して落ち込んでいる。


「また70点だったよ……明日こそは80点超えないと練習いけなくなっちゃう……」


 これでもかなり進歩した方だ。初日は0点から始まった。少し説明すれば思い出したように「あぁ〜」と言っているので、彩音は決してバカではないのだ。


 ただ、少しだけおっちょこちょいなのだと思う。音楽室で話した時も自分から正体をバラすような話し方だったし、緊張すると集中できないタイプなのだろう。


「大丈夫だよ。今だって全問正解出来てるからさ。後は見直しを忘れないようにすれば行けるって!」


 奏が彩音の背中をさすりながら元気づけている。


「今日ミスったところだけ解説しようか」


「なんで奏吾までいんのよ。奏が頭良いんだから奏吾は居なくても大丈夫よ」


 アンタと呼ばれないだけ進歩した気もするが、相変わらず扱いが雑だ。だが言っていることは正しい。僕は奏に呼び出されたのだ。


「私が呼んだんだよ。奏吾くんにはある役割があるのです!」


 奏が自信満々に胸を張りながら説明を始めた。


「彩音はやれば出来る子だよ。だけど、なぜ毎回小テストになると力を発揮出来ないのか」


 奏はIT社長のようなプレゼンを一人で始めた。腕を後ろで組み、黒板の前をゆっくりと右へ左へと歩いている。


「それはズバリ、緊張だよ! だから今日は緊張に打ち勝つ特訓をします。計算とかはもう教えなくても出来るんだからさ」


 奏は熱く彩音に語りかけている。熱量のあまり、彩音の机に思いっきり手をついてしまい、少し手首を痛めたみたいだ。カッコよく決めようとしたのだろうが少しダサい。


「それは分かったけれど……具体的にどうするの?」


「いい質問だねぇ。ま、やってみれば分かるよ。とりあえずね」


 奏はそう言うと問題集のコピーを彩音の机に置いた。彩音は見慣れた問題なのでニヤリと笑っている。


「じゃ、スタート!」


 僕は奏との事前の打ち合わせ通り、彩音と机を挟んで向かい合うように座り、彩音の顔を見続ける。


「彩音、愛してるよ」


 彩音が驚いた様子で顔を上げる。顔は赤くなっている。僕だって恥ずかしいのだ。奏が後ろで笑いを堪えている声が聞こえる。


「な、ななな……何なのよ急に!」


 彩音は照れ隠しなのか邪魔されて怒ったのかからかわれている事に気づいたのか分からないが、解答用紙を僕に投げつけてくる。


「いや! これは奏の作戦なんだ! 本心じゃないから!」


「そうそう。私が奏吾くんにお願いしたんだ。こんなのに耐えながら解答できたら、多分明日は全力を出せるよ」


「何なのよそれ……奏吾も何バカなことに付き合ってんのよ。奏に弱みでも握られてるの?」


 彩音は呆れた顔でペンを置く。僕だってこんな事、やりたくてやっている訳ではない。奏が僕の必死の演技を「こんなの」呼ばわりしているので泣けてくる。




 今日の休み時間、奏に呼び出されて動画を見せられた。黒い背景に字幕がついていた。


『ちょっと! アンタが……慰め……なさいよ。今から……部屋で……やろうよ』


 彩音の声だ。


『いいよ。やろうか』 


 これは僕の声。後ろで虫の鳴き声が聞こえる。


 ここで「一時間後……」とテロップが出た。


『あー! スッキリした! ねぇ、奏吾。まだまだ……やろうよ。相性が合ってきてすっごく楽しい!』


『いいよ。やろうか』


 明らかに編集されていることがわかる、不自然な音のつなぎ目だった。


「これは何なの……」


 ドヤ顔でこれを僕に聞かせてくる奏の頭の中を覗いてみたい。


「いやぁ。この前の合宿の時、ちょっと盗み聞きしちゃってさ。二人がそんな事してるなんて思わなかったなぁ」


「捏造じゃんか! 何もしてないから!」


「そうだけど、携帯のザコいスピーカーで聞かせたらそこまで不自然でもないよ。永久と千弦が聞いたらどう思うかなぁ。加入して一週間も経たずにメンバーに手を出す男の子。多分クビだよねぇ」


 奏はこれで本当に脅迫が成立すると思っているらしい。不敵な笑みを浮かべているのが滑稽だ。普段はとてもスマートな言動なのだが、たまにどこか抜けているというか、常人では理解出来ない事をしてくる。


 こんな適当な言いがかりで僕を脅して何がしたいのだろう。さすがに永久も千弦もこんな低クオリティな動画で信じる訳がない。僕と彩音に事実を確認すればそれで済む話だ。


「僕を脅してどうしたいの?」


「手伝ってほしい事があるんだ。ちょっと恥ずかしいから普通にお願いしたら聞いてくれないかと思って」


 話を聞くと、彩音の緊張癖を治すために、僕が彩音を照れさせながら問題を解くということをやりたかったらしい。


 友達想いなのは良い事だけど、なんだか努力する場所を間違っている気がする。目的については納得できたので、脅迫の事は無視して奏を手伝う事にしたのだ。




「はぁ……アンタ達、本当にバカなのね」


 奏と一緒にアンタ呼ばわりに降格した。


「でもやってみないとバカなのかどうかは分かんないか。奏吾、頼むわね」


 なぜか彩音もこのアイディアを理解したらしい。本当にこれで緊張癖が取れるのだろうか。


 教室で僕が愛してると言いながら彩音は問題を解き続ける。奏は僕の後ろでずっと動画を撮っているけれど、僕の役割を奏がやれば良かったのではないだろうか。彼女はとても暇を持て余しているようだ。


 三十分くらいで全ての問題を解き終えた。僕が丸付けをすると、全問正解していた。


「やった! 明日こそはクリアね!」


 彩音は幼い少女のように飛び跳ねながら喜んでいる。奏も満足そうに微笑んでいる。明日は大丈夫だろう。





 次の日。彩音の小テストが終わるのを、廊下で奏と二人で待っている。


「大丈夫かな……」


「何とかなるでしょ。彩音ぇ、愛してるよ」


 奏が昨日の僕の真似をしてくる。そんなにイジらなくてもいいじゃないかと思う。


 二人でブツブツと話していると、教室から先生が出ていった。同じドアから中に入ると彩音は窓から外を眺めていた。


「おっす! 彩音、どうだった?」


 奏が後ろから近づいて彩音の肩を叩く。


 振り向いた彩音の顔はこれまで見たことがないほどに崩れている。涙が頬を伝い、顎から雫がポタリポタリと落ちていく。


「点数……下がったんだけど……」


 予想外の結果だった。話を聞くと、テスト中に僕の愛してるが頭から離れなくて余計に集中出来なくなってしまったらしい。


「やっぱアンタ達バカだったわ。信じた私もだけどね」


「アハハ……ま、まぁ。明日頑張ろうよ。私達も勉強付き合うからさ」


 泣き顔から一転、彩音はニコニコと笑いだした。


「それがね、先生が休みらしくて次のテストは来週なの! 明日はないから練習に行けるんだ!」


「おぉ! ラッキーだね! じゃあ今日は遊ぼっか。奏吾くんも一緒に行こうよぉ」


 彩音も断る素振りは見せないので来週の事は来週に先延ばしにするみたいだ。最近はこんな感じで三人でつるむことが増えてきた。男女の友情も意外と成立するのではないかと思い始めている。


「いいよ。どこに行くの?」


「うーん……名曲喫茶かな」


 悩んでいる素振りは見せたけど、最初から行きたいところが決まっていたかのような口ぶりだった。


「奏、あそこ好きだね」


「いいじゃんかぁ。彩音と行くと色々サービスしてもらえるんだ。ケーキがタダだよ。タ・ダ」


「私が普段から真面目に働いているおかげで、マスターがサービスしてくれるんだからね」


「そうだよねぇ。彩音は頑張ってるもんねぇ。えらいえらい」


「頭を撫でるな!」


 奏が頭を撫でると彩音が大声で怒る。彩音はちびっこ扱いされると途端に怒るのだ。頭を撫でるだなんてもっての外だ。


 結局、三人で連れ立って名曲喫茶に行くことになった。店に着くと、前回よりも大きなソファの席に通された。奏の目当てはこれだったのだろう。


 なお、小テストの件は先生が週末を挟んで忘れてしまったので次の再試験は永遠に来なかった。愛してるは完全に言い損になってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る