第五章 勇者の剣

超勇者


「勇者式清流剣――――青の型ッ!」


 奏汰かなたの叫びがその場に響いた。

 狙いは眼前。翼持つ紫の小位――――雲柊うんしゅう


 いかになぎが周囲の人々を守るように動こうと限界はある。

 たとえ一瞬でも、戦いを長引かせることはできない。


『私も……私ももっと強くなるのじゃ……っ! 奏汰と共に、どんな鬼でもはらえるよう……私も……もっと強く……っ!』 


 奏汰はあの日の誓いを忘れたことはない。

 あの時流れた凪の涙を忘れたことはない。


 今なら分かる。全て凪の言う通りだった。

 奏汰は傷ついていた。肉体だけでなく、その心も満身創痍まんしんそういだった。


『貴様は余と戦った時よりも遙かに弱くなっている。かつての貴様はもっと強く、もっと輝いていたはず』


 かつて大魔王が言った今の奏汰の力に対する評価は正しい。

 奏汰は弱っていた。弱り切っていた。


 大魔王を倒し、世界を救う。泣いている大勢の人々の涙を止める。

 ただそれだけを支えに、母と離ればなれになった辛さと悲しみから目を逸らすため、当時十歳の少年だった奏汰はひたすらに戦った。


 異世界で大魔王を打倒した時。そこで奏汰の精神と肉体は崩壊してもおかしくなかった。張り詰めた糸が切れるように、全てが瓦解してもおかしくなかった。


 奏汰がそれをギリギリで食い止められたのは、という一縷いちるの希望があったからだ。



 しかし――――その希望はこの世界へと飛ばされてもろくも崩れた。



 今にして思えば、江戸の町へ来てすぐに鬼に襲われる人々と遭遇したのは奇跡だった。まだ戦いは終わっていないと――――まだ自分が救わなければならない人々がいると、鬼という邪悪を前にした奏汰の勇気は、最後の炎を燃やしてその心を繋いだ。


 もし飛ばされた先がだったら。

 だったら。


 恐らく――――奏汰の心はその時点でだろう。


「絶技。転響空吹てんきょううそぶき


「させるか――――ッ!」


 雲柊の翼がはためく。雲柊の放つ音は、なにも口腔こうくうから放たれているわけではない。その全身に備わる特殊な器官と鬼の持つ強靱きょうじんな肉体。その相互作用によって発生する。


 その威力は周囲数十メートルを吹き飛ばし、廃墟へと変える。逃げ遅れた大勢の人々がいるこの場で再度あの音が放たれれば、今度こそそれは彼らにとって致命の一撃となるだろう。だが――――!


ッッッッ!」


「がッ!?」


 瞬間、奏汰の姿が完全に消える。消えたのは奏汰だけではない、雲柊の姿もまたその場から一瞬にして消え去った。


「な、なにが……!?」


 眼前の奏汰と雲柊を完全に見失う零蝋れいろう。雲柊の放つ音を防ごうとした奏汰に無数の糸を放ち、その身の拘束を狙っていた零蝋の目論見はこの時点で完全に崩れた。


「ちっ! なんだってんだいッ!? 雲柊と奴はどこに――――!?」


 零蝋の聴覚器官は、先ほどから炸裂する凄まじい爆音を何度となく捉えていた。それが雲柊の音によるものかと考えた零蝋はその音がした方向――――遙か上空へと目を向けるが――――。


「――――アアアアアアアッ!?」


「え?」


 その声は側面。新九郎しんくろうと激しく打ち合っていた風断かざだちが、嵐のような凄まじい突風と豪炎の柱にまかれ、その身を為す術もなく焼かれていたのだ。


「風断ッ!?」


「――――新九郎! 凪と一緒に町の人を!」


「か、奏汰さん!? ――――わかりましたっ!」


 零蝋はその時、確かに奏汰の声を聞いた。奏汰の指示を受け、周囲で結界を展開しようと動いていた凪の援護に回る新九郎を見た。


 しかし奏汰がいない。零蝋は憎き仇。剣奏汰つるぎかなたの姿を捉えることができない。


「ふ、ふざけんじゃないよ……!? な、なんなんだこれは――――!?」


「――――ここだッ!」


 声は足下。未だ零蝋の感覚器は凄まじい爆音と衝撃を四方から捉えていた。にも関わらず、必死に探し続けた仇――――奏汰の声は音の発生源とは全く違う足下から放たれたのだ。


「勇者式陽炎剣――――ッ!」


「ギェアアアアアアアッ!?」

 

 紅蓮ぐれんの炎をその刃に纏い、刀身を三メートルほどの長さへと延伸えんしんした聖剣リーンリーンが零蝋の巨躯を逆袈裟ぎゃくけさに切り裂く。

 その炎は。たとえ相手がなんであれ、直撃さえすれば全てを問答無用で滅ぼす破壊の力だった。



 馬鹿な、。あまりにも理不尽。全く道理の通じぬ力。

 これではまるで、大位を――――否、を相手取っているかのよう。


 翠の小位、零蝋の脳裏に絶望と恐怖がよぎる。



 かつて武家街ぶけがいで刃を交えた時とは何もかもが違った。

 今の奏汰はもはや、小位の鬼がなんとか出来る相手ではなかった。


 そう――――癒やされていた。奏汰はずっと癒やされていたのだ。


 確かに奏汰は元の世界には戻れなかった。母に会うことは出来なかった。


 しかし。玉藻を始めとするあやかし衆が、新九郎を始めとする奏汰を慕う江戸の人々がいた。


 奏汰と凪の出会いから始まったえにしは傷ついた奏汰を癒やし、今こうして彼を再び本来の力へと――――否、へと昇華させていた。


「ば、かに……馬鹿にしてんじゃないよおおおおおおッ!」


 だがしかし。零蝋の執念が勇者の赤による破滅から踏みとどまる。


 零蝋の肉体そこかしこから、凄まじい勢いで翡翠色ひすいいろに輝く無数の糸が四方へと拡散。捉え切れぬ奏汰の動きを拘束しにかかる。


 その糸はかつて、奏汰が武家街での戦いで勇者の赤によって切断を試み、断ち切ることが出来なかった零蝋が行使する最強の糸。


「れい……ろう……! 俺の――――」


「う、雲柊!? あんた――――ッ!?」


 零蝋がその最後の命を燃やして奏汰へと挑もうとしたその時。上空からかけられた声に零蝋はその目を見開く。

 そこには、すでに原形を留めぬほどに切り裂かれ、焼き尽くされた雲柊が力なく落下していたのだ。


「俺の……最後の音だ……っ! やれ、零蝋――――!」


「ああ! あああああああ! やってやる! やってやるとも! 私ら諸共、地獄へ道連れだよ――――剣奏汰アアアアアアアアアア!」


 零蝋が叫ぶ。翡翠色の蜘蛛の巣の中でその聖剣を正中に構える奏汰めがけ、全ての糸と八本の手足を巧みに操って仇の命を奪いにかかる。


 そしてそこに雲柊。


 雲柊はすでに奏汰の放った青百連によって致命傷を受けていた。


 あの瞬間。奏汰は雲柊が音を発するより先、終わりなき亜光速の斬撃を繰り出して雲柊の肉体をはるか上空まで弾き飛ばし、そのまま刹那の時すら与えずに粉砕していた。


 もはや、雲柊自身の消滅は避けられない。しかし雲柊はそこに至っても尚、最後の力を振り絞って零蝋への支援を続けた。


終奏ついそう――――残響魂響ざんきょうたまゆら――――……っ」


「あなたっ! 私の愛しいあなた――――! 力を、どうか私に力を貸しておくれええええええッ! 二人で編んだ――――この糸に力をおおおおッ!」


 鋼すら超える強度の糸の結界。雲柊は最後の力でその糸一本一本に特殊な振動を与え、零蝋の糸全てに音による破砕と強靱な耐久性を付与した。


 零蝋もまた雲柊の思いを受け継いだ。肉体の崩壊が早まるのも構わず、残された力全てを自身の糸に注ぎ込んだ。


 それは正しく零蝋と雲柊。二体の位冠持ちの死力を尽くした最後の攻勢だった。


 四方から全てを穿うがつ破滅の糸が迫る中、しかし奏汰は僅かに目を閉じ――――そして、を宿した瞳を開いた。


全力全壊ぜんりょくぜんかい――――勇者キイイイイイイイイイイイイイック!」



 それは閃光――――その後に襲い来る純粋な破壊エネルギーの渦。



 次の瞬間。奏汰は四方を囲む全ての糸と零蝋の巨躯。あらゆる全てを穿ち抜き、自身の奔った軌道上に一条の火炎の尾を引いて零蝋の背後へと突き抜けていた。



「な……なん……なんだい……? なんなんだ……おまえ……は……っ」


 自身の肉体に巨大な風穴を開けられ、炎に包まれる零蝋が驚愕の言葉を発した。


「俺は――――超勇者だッッ!」


 奏汰はその両足から炎と白煙を立ち上らせ、ただまっすぐに前だけを見つめていた――――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る