第四章 あやかしは踊る

夜回りのあやかし


 カーンカーンという拍子木ひょうしぎが叩かれる小気味こきみよい音が夜の江戸市中に響く。

 滑らかに整えられた乾いた砂利道じゃりみちの上を、煌々こうこうと燃える炎に照らされたいくつかの影が浮かび上がる。


「はははっ。輪入道わにゅうどうさんの明かり、凄く便利だな! それって明るさも調節できるのか?」


「どっそいどっそい! もちろんできるぞ剣の字けんのじよ。鬼共に儂の妖術がまったく通用せんのはちと気落ちしたが、こうして皆の役に立てて一安心じゃて!」


「『儂はもうあやかし引退じゃあ!』って、三日三晩泣きわめいてた輪入道のとうとい涙……私、一生忘れないから……」


「そこは忘れて良いところじゃぞ!?」


 道行く影は三つだが、実際に見れば四人が歩いていることがわかる。


 一人だけ影を発さず、ふよふよと空中に浮かぶ一メートルほどの巨大な顔と、その顔の周囲にくるくる回る炎をともした異形いぎょうのあやかし――――輪入道は、凄い凄いと笑みを浮かべる奏汰に自慢げに目を見開いて大口を開ける。


 そしてそんな輪入道につっこみを入れるのは、白と青の着物に身を包んだ黒髪の少女。どこか暗く、冷たい雰囲気を――――というよりも実際周囲にひんやりとした冷気を放出し続ける彼女は、雪女郎ゆきじょろうと呼ばれるあやかしだ。


 時刻は丁度亥四つよるよっつ

 奏汰かなたが生まれた現代で数えれば午後十時頃であろうか。


 奏汰となぎがあやかし通りに滞在して三日。


 二人は自分達をこころよく迎えてくれたあやかし衆にせめてもの恩返しが出来ればと、彼らが日夜行っている夜回りに同行するようになっていた。


 あやかし達が江戸や日本各地の町で人と共に暮らすようになったのは、それこそ江戸の始まりまでさかのぼる。

 そこから今に至るまでの約二百年。あやかし達はこうして今も、人々を襲う鬼の脅威から町を守るため、徒党を組んで夜回りを行っていた。


「えっと、こおりさん……凍さんは……雪女のことか?」


「そうらしいけど……べつに興味ない……。自分の名前とか一族とか、別にとうとくないから……」


 雪女郎のあやかしの少女――――凍は、自分に目を向けて尋ねる奏汰に目も合わせず、その名の通りの氷のような透き通った瞳をまっすぐ前に向けて答えた。

 燃えさかる輪入道の灯を受けた凍の白い肌が、僅かに汗ばんでいるのが見える。


「凍は相変わらずじゃのう。だが奏汰よ、凍の作ってくれるは最高になのじゃ。ほれ、お主もぬらりおうと会ったときに味わったじゃろ?」


「ああ! あの甘くて冷たい、鉄っぽいコップで飲んだやつか! あれも凍さんが作ってたんだな! 確かに凄く美味しかった!」


「べつに、あんなの……ただ冷やせばいいだけだから……とうとくない……」


 隣を歩く奏汰だけでなく、最後方で拍子木ひょうしぎを打っていた凪からもそう言われた凍は、相変わらず表情は変えなかったものの、少し照れるようにして顔を逸らした。


「ほむほむ。しかし先日の鬼共、普段は絶対に狙わぬくせに、なぜよりによってあの晩はあやかし通りまで襲ったのかの? 位冠持いかんもちもおらぬとなれば、あやかし衆に勝てるわけもあるまいに」


「それなんじゃがのう姫様。実はあの晩、玉藻たまも様も言っておったんじゃて。『なにやら鬼共の気がいておる』と」


 奏汰と初めて会った晩からずっと感じていた懸念けねんを再び口にする凪。しかし思いもよらず、隣を浮遊する顔だけの燃えるあやかし、輪入道はなにやら興味深いことを口に出した。


「鬼共が? 確かにあの晩の鬼の数は尋常じんじょうではなかったからの。もし奏汰が来ておらんかったら、神田から飯田町いいだまちやらの通りは手酷くやられておったじゃろうな」


「でも鬼の目的って大魔王でもよく分かってないんだろ? もし焦ってるのなら、何に焦ってるんだ?」


 凪に同調するように自身も疑問を呈する奏汰。奏汰もまた、目的のわからない相手と対峙たいじし続ける過酷さは異世界での戦いで重々承知している。


「それが分かれば神代かみしろやお上も色々できるんじゃがな。いかんせん今までが受け身過ぎてのう。私も鬱憤うっぷんがたまるばかりじゃ」


「目的どころか、どこから来るのかもわからないってのはキツいな。そういえば、この前俺たちのところに来た奴らみたいな、から何か聞けないのか?」


「にゃはは! なるほど位冠持いかんもちを生け捕りにのう! 奏汰よ、お主やはりなかなかの剛毅者ごうきものじゃの!」


 奏汰のその提案に、凪は心底その通りとばかりに笑みを浮かべ、その小さな体を精一杯伸ばし、奏汰の肩をぽんぽんと威勢良く叩く。


「そんなの……出来たら私たちだってやってる。やれないよ……


「江戸のあやかしでまともに位冠持いかんもちとやり合えるのは、それこそ玉藻様と天狗の大親分くらいなもんじゃ! 儂などと吹かれただけで消し飛んでしまう!」


 だがそんな奏汰の言葉に、凍と輪入道は恐ろしいとばかりに表情を曇らせ、すぐさま拒否の意志を現わした。

 人知の及ばぬ超常の力を持つ彼らあやかしにとっても、位冠持いかんもちの鬼というのはそれほどまでに恐ろしい相手らしい。


「とはいえ、いつまでもやられるばかりというのも性に合わんでな。私は私で適度に動いて――――」


 暗い表情を浮かべる二人を尻目に、普段通りの飄々ひょうひょうとした態度で猫のように伸びをする凪。だがその時、一同をせいするように奏汰が一人足を止めた。


「――――待ってくれ、死臭ししゅうがする」


「なんじゃと……? それはまことか? 私は特に何も……」


「きっと何かの間違い……。だって、あやかしの私にもそんな臭いどこからも……」


 奏汰の言葉に、一同に緊張が走る。


 だが、木造の建物と板張りのへいが並ぶ通りからは、僅かに野犬や猫の気配がするものの、争う音や悲鳴のようなものは一切聞こえなかった。


「いや、間違いなく何かいる。しかも――――!」


 意識を集中させ、何かを感じ取ろうと瞳を閉じる奏汰。数秒の集中を終えた奏汰は、気合い一閃。自らの足下に赤熱せきねつする鉄拳を叩きつけた。


! 勇者パアアアアンチ!」


「ウギャアアアアアア!」


 奏汰の放った足下への一撃は地面を大きく陥没かんぼつさせ、そしてその先に隠れていた死臭ししゅうの正体――――やせこけ、体毛がはげ上がった猿のような化け物を叩き潰した。


「これは……鬼じゃと!? 馬鹿な、ここまで近くにいながら全く気づけぬとは、一体どうなっておる!?」


「まだだ! 凪っ! それに凍さんと輪入道さんも! 囲まれてるぞ!」


 完全な直下まで鬼の接近を許していたことに驚愕きょうがくする凪。だが奏汰はすぐさま背負った聖剣を引き抜くと、周囲に鋭い眼光を向けて正中に構える。


 そしてそれと同時。彼ら四人を包囲するように、周囲の虚空こくうから地面、壁面と、至る所から先ほどの猿型の鬼がぞろぞろとわき出してくるのであった――――。




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