第107話 オカンと鳥と逆鱗様 ~4~


「やはり無理か」


「....たぶん」


 皇宮の一室で、複雑な面持ちの二人が項垂れていた。


 一人は豪奢な宝冠を頭上に戴いた老齢な男性。一代で大陸統一を成し遂げた傑物、ガスバルト帝国皇帝、ヒヨールディウス一世である。

 皇帝が座るソファーの前に立っているのは言わずと知れたキャスパー。


 沈痛な眼差しの皇帝陛下に、キャスパーは致し方なさげな深い情のこもった眼差しを向ける。


 当時キャスパーは成人したばかりの子供だった。


 二十歳そこそこで皇帝陛下が即位し、最初に行われたのは他国への侵略。

 豊かな大地への憧れが、侵略という暴挙へ皇帝陛下を駆り立てた。


 北方に位置するガスバルトは貧しい国だったからだ。


 毎年のように多くの餓死者、凍死者を出し、頑健で強靭な身体と精神を持たねば生き残れない国だった。

 一つ山脈を越えれば豊かで肥沃な大地があるのに、その山脈自体がガスバルトの物ではなかった。

 痩せて凍りつく大地を踏みしめ、怨めしげに山脈を見上げるしかなかった日々に、突然転機が訪れる。


 大規模な地殻変動により、山脈の一部が開けたのだ。


 他国に対して羨望と嫉妬が入り交じるガスバルトに、多くの商人がやってくるようになった。


 開けた部分を整備し、関を作り、商人らを受け入れるようになった事で、ガスバルトは微かに賑わいをみせ、ほんの少し潤った。

 しかし、それも数年。貧しいガスバルトでは経済が回らないと覚った商人らは、すぐに手を引いたのだ。


 せっかく、国境が開けたのに。このままではガスバルトは静かに痩せ衰えていくだけ。


 そんな葛藤に昼夜苛まれていたヒヨールディウスに、身辺警護を担っていた一人の武官が囁いた。


 無いのなら奪えば良いと。


 彼は言う。世は弱肉強食だ。無いのなら奪うしかない。金を、食糧を、土地を。為せるべき事為さずに、ただ滅びを受け入れるは愚かだと。

 野の野生動物とて己が生き残るために全力を尽くす。

 王よ。貴方は国や民を生かすために全力を尽くしておられるか?


 悪魔の囁きだった。


 周辺諸国とて同じだ。彼等の利にならぬ事はしない。

 我々が生きようが死のうが彼等には関係ないのだ。山脈一つ隔てたこちらで、大勢の死者が出ていても眉一つ動かしはしない。


 ならば、我々も何も気にする必要はない。


 とつとつと語る武官の言葉は染み入る毒のようにヒヨールディウスの思考を蝕んでいった。


 そして数年後。全てを武力に注ぎ、鍛え上げた兵士達の力により、ガスバルトは開けた山脈から周辺諸国の侵略に躍り出た。


 襲い、奪い、手に入れた物を更に武力に変えて、彼等は破竹の勢いで勢力図を書き換える。

 面白いように手に入る富、容易く支配下に置ける土地。沸き立つ高揚感と、的確に囁かれる武官の入れ知恵に操られ、ヒヨールディウスは無慈悲、残忍に諸外国を手中に収めていった。


 ある一国で二の足を踏むようになるまでは。


 女神様とドラゴンが棲まう国、ストラジア。


 巨大なドラゴンによる鉄壁な護りは固く、奴隷兵士数万を投じたが、跡形もなく焼き払われる。

 打つ手なしな状況に四苦八苦するガスバルトを嘲笑うかのように伝説のドラゴンは高い防壁を作り、帝国からの侵略をはね除けた。


 唖然としたガスバルトだが、周辺諸国の難民をストラジアが受け入れていると聞き、例の武官がまたもや皇帝に囁く。


「間者と禍を持ち込みましょう。勝手に自滅してくれますよ」


 ほくそ笑む武官の瞳には、人ならざる酷薄な炎が揺らめいていた。

 武官に全てを任せ、傍観していた皇帝だが、数ヵ月もたたない内に、本当に武官の言うとおりストラジアは瓦解した。


 なんとまあ。人とは愚かで脆いものか。


 流れ作業のように侵略を続け、見せしめに各国王族らを一族郎党処刑し、ガスバルト貴族から新たな王家を作り、土地を治めさせる。

 多くの他国人を奴隷とし、労働力に酷使すれば何の問題もなく国々は回った。奴隷は無尽蔵に増やせるのだから、濡れ手に粟だ。


 我々が地を這うようにドン底な苦しい生活を送る中、豊かに暮らしていた国々にかける慈悲はない。今度はお前らが苦しむ番だ。


 私は全力で国を救った。民を豊かにした。ガスバルトが失われる事はないのだ。私はやり遂げた。


 大陸の半分を収めた地図を眺め、皇帝は満面の笑みを浮かべる。


 しかし侵略から十年、勝利の美酒に恍惚と酔いしれていた皇帝の耳に、ある一報が告げられた。


 ストラジア王家の末娘が見つかっていないと。


 皇帝の描いた帝国図に穿たれた一刺しの楔。


 国の象徴たる一族が存在するなど許してはならない。何時なんどき、それを旗印として反逆が起こるか分からないからだ。

 だからこそ全ての王家を皆殺しにしてきたのに、ここにきてまさかの取り零しがあろうとは。


 全力で文字通り草の根を分けた捜索から、ストラジアが瓦解したさいに飛び立ったドラゴンが、某かを咥えていたという情報を得て、ガスバルト全属国からストラジア系奴隷を召集する。


 全ての支配地にドラゴン情報を求め、僅かでも手懸かりになりそうな土地があれば、そこへストラジア人の奴隷を送り、残忍な公開拷問の果てに惨殺した。

 末娘が見つからない限り、これが続けられるのだと徹底的に周知し、ドラゴンか娘が現れるよう仕向けた。


 前述したように、奴隷は番わせて無尽蔵に増やす事が出来る。この非道な行いが終わる事はない。


 それを理解していたのだろう。


 ある日、ドラゴンと共に一人の幼子が現れた。


 ストラジア王家の象徴である金色の眼をした少女。彼女は背筋を伸ばして皇帝に謁見を求めてきた。

 謁見の間で少女は捕縛され、そのまま牢に繋がれる。

 両手両足を鎖に繋がれたまま、少女は清しい瞳で皇帝を見つめていた。

 その姿は哀れな虜囚のものではない。


 こうして捕らえ膝を着かせているのに、何故か狼狽するのは皇帝の方だった。


 何だ、この娘は。


「明日お前は広場にて処刑される。他国の王族は一人たりとて生かしてはおけぬのだ。悪いが死んでくれ」


 悪いが? 何を口走っているのだ、私は。


 思わぬ自分の言葉に狼狽えた皇帝に、少女は静かな頷きを返した。


「承知しております。お心のままに」


 ヒヨールディウスは瞠目する。凪いだ海のように柔らかな雰囲気を持つ幼子。己の死を宣告されたにも関わらず、彼女の瞳には些かの動揺も感じられない。

 むしろ宣告した側のヒヨールディウスが狼狽える有り様だ。

 心の揺れを隠し、そそくさと牢を後にしようとする皇帝の背中に、幼女は静かな口調で語りかける。


「誰に恥じる事もない人生でした。王家の末席として民に命を捧げる機会を下さり、ありがとうございます」


 驚いた皇帝が振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべた少女がいた。

 花が綻ぶような無邪気な笑みは、ヒヨールディウスの心に一生消えない楔を穿つ。


 翌日処刑されたストラジア王家の最後の一人。


 この死を悼む人々の多さに、再び皇帝は眼を見張る。

 彼女は身を隠していた数年間、各地を渡り歩き、人々に善行を施していたという。

 王族でありながら民を守れない。何の力もない。嘆き苦しみ、僅かながらも人々の力になろうと、必死に努力してきたらしい。


 ああ。今なら彼女が微笑んでいた理由が分かる。


 最後の最後で、彼女は王族として大勢の民を救えたのだ。きっと誇らしかった事だろう。


 それがたとえ自己満足であろうとも、ヒヨールディウスは彼女に王族として死ねる場を用意してしまった。

 それが、あの言葉に繋がったのだ。ありがとうございますと。


 多くの民の涙に見送られた彼女の最後に、皇帝は己を振り返った。果たして自分も同じように誇らしく死ねるだろうか?

 民の涙に見送られるだろうか? むしろ喜ばれ、笑顔で祝杯をあげられやしないか?


 一人の少女の死はヒヨールディウスの心に深く根差し、ついぞ消える事は無かった。

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