第73話 オカンと竜と青嵐 ~9~
祭りの後の仄かに寂しい海岸で、にわかに騒ぎが起こる。なんと浜辺に全裸の子供が漂着していたのだ。
ろくに言葉も話せない、赤子にも近い六人の子供達。
発見した漁師らは慌ててディアードの街へ連絡を入れた。
「マジか」
駆けつけた千早ら来訪者組三人とタバスら探索者組五人は、目の前の子供達を唖然と見つめる。
漁師達により適当な服を着せられていたが、歩く事すら覚束ない。どうみても生後半年かそこらの子供らだ。
何がどうしてこうなったのか全く分からない。
近くで船が難破でもしたか? しかし秋津国南の海側は人間の国ではない。帝国側にはアダマンタイトの柵があり、船は入れない。
しかも、こんな幼い子供らだけが漂流して辿り着いたとは考えにくい。誰かが運んだと考えるのが妥当だろう。
裸であった事もかんがみると、海から子供らを運び込んだに違いない。
こんな小さな子供を捨てなくてはならない事情を理解したくはないが、放置する訳にもいかない。
まあ孤児院もあるし、なんとかなるべ。
良く似た面差しの六人は揃って薄い緑の髪に真っ青な瞳。兄弟か血縁なのだろうか。千早はグスグス泣く赤子を抱き上げ優しく微笑んだ。
「泣いて良かよ。怖かったなぁ、飯食うべ」
千早にしがみつき、赤子は、ふえぇぇっと細く泣き出す。
それを皮切りに他の子供らも泣き出してしまい、タバスらが慌てて抱き上げ、急いでディアードへと引き返していく。
それを見送りながら漁師達は安堵に胸を撫で下ろし、顔を見合わせて苦笑いした。
「こまいなぁ、めんこい子らだ♪」
孤児達の御下がりを着て、這い回ったり掴まり立ちしたり。
一時もじっとしていない赤子達に、孤児らはてんやわんやの大騒ぎだった。
「ほな、よろしゅうな、アルス爺」
「承りました」
好好爺な相好を崩し、白銀色の司祭は深々と頭を下げる。
それを一瞥して軽く頷き、千早は孤児院裏手の農場へ向かった。
春まで家畜を放牧していた場所を耕し、さらに地球のダンジョンで手に入れた栄養満点なポリマーを散布して、今年から農地に使う予定だ。
既に大豆や甜菜など、多くの種苗の植え付けが始まっている。
温室も拡大し、季節を問わぬ野菜や果樹が栽培され、胡椒やカカオ、バナナなど気温と湿気が必須な物を育てていた。
今年の目玉は、なんと言っても甜菜である。砂糖の原料になるコレを植えるかどうかは、かなり迷った。
こちらには蜜と果実以外の甘味は存在しない。
天然のミネラルを多く含む自然な甘味は、ある意味、雑味を持つ。これは製菓において痛恨のえぐみともなり得る物だ。
純粋な糖分のみに精製された砂糖に勝る甘味はない。
同時進行でサトウキビも植え付けているが、こちらは黒砂糖にするつもりだ。
白砂糖を隠すための隠れ蓑。
甜菜を精製して作る白砂糖は、ディアードの加工品のみに使用し、門外不出とする予定である。
表向きには黒砂糖を販売し、ディアードの名物として印象付け、多くの御菓子に使われるであろう甘味の正体を誤魔化す。
数十ヘクタールに及ぶ畑をながめ、千早の野望はとどまる事を知らない。
冬の間に拡張し定着した養鶏や牧畜に合わせて、燻製場や発酵場も拡張されていた。
今では用途に合わせて専用の建物があり、沢山の人々が作業に追われている。
砂糖も作物の成長に合わせて精製場所を作らねばならないし、日本式の耕作に切り替わった麦なども従来の倍は収穫が見込めるため、備蓄に回しても余るだろう余剰穀物を使って、醸造蔵も考えていた。
この世界の酒は果実酒か蜂蜜酒しかない。
穀物は保存のきく大切な食料であり、酒になるかどうか試すという発想すら浮かばないのだろう。
果実酒なども長期保存の過程で偶々出来た物らしく、酒を狙って作られてはいないため、アルコール度数は低い。
これも作るのは要注意である。
砂糖と同様に、酒も過ぎた嗜好品だ。
どちらも暴力的なほどの誘惑を放つ一品。しかも中毒性が高い。地球の現代人のほとんどが大小の差はあれど砂糖中毒に侵されているのは周知の事実。
ただ、ありふれた物であるため、免疫があり理性で抑制可能なだけで、免疫のないこの世界の人々を虜にするは容易いだろう。
核兵器並みに扱いには用心しなくてはいけない。
考える事は山とあり、やるべき事も腐るほどある。
事はまだまだはじまったばかり。
思わずニヤける千早の前に、いきなり旋風が巻き起こった。見慣れた金色の風と翠色の風。
慣れた手つきで彼女が両手を差し出すと、右には七つ葉のクローバー、左にはシメジがポフンっと現れた。
《千早ちゃんっ、大変よっ、すぐに何時もの人達を集めてちょうだいっ!》
《海が死ぬかもしれませんっ、妹様っ、お早くっ!!》
真剣に訴えかけるクローバーとシメジ。しかし、掌サイズの二人の動きは踊っているかのように可愛らしく、言葉の内容とズレが生じ非常にシュールだ。
だが、まあ話は理解した。なにがしか大変な事が起こっているらしい。
神々が見て慌てる事態なんて、人間から見たら大惨事でしかあるまいて。
幼女は掌の二人を軽く握り、探索者ギルドへ転移した。
ギルドへ転移した千早は、速攻非常召集をかけ、何時もの面々を会議室に集めるよう指示を出し、待ってる間に女神様らから詳しい話を聞く。
話は最悪の事態を孕む大惨事の予見だった。
「つまり、沖で多くのモンスターらが一足触発な状態にいると言う事ですか?」
確認するタバスに、女神様達はコクコクと頷く。
《何時もなら子育て中の聖獣ラプトゥールまで参加してるの、あの子が本気で暴れたら海が割れるわ》
《相手は聖獣リヴァイアサンです。神々に次ぐ次位の聖獣同士が争えば、海どころが海底まで割れるでしょう。普段は西と東に分かれて不干渉である二人に何かがあったようです》
クローバーの説明に、集まった面々は驚愕を通り越して凍りついた。今にも崩れ壊れてしまいそうなほど真っ青だ。
聞けば、どちらも伝説の霊獣で、その存在すら確認された事はなく、海の覇者である二対の争いなど過去をいくら遡ろうとも記されてはいない。
高波、津波、大地震。あらゆる惨事が想定できる。
そこへ幼女が些か低い声音で更なる惨事を予見した。
「ここから水平線近くの海底には火山がある。休火山だが、生きている。ここに引いてる源泉の源だ。海底が割れれば火山が復活するだろう。被害は想像もつかぬほど甚大。ここらの海は死ぬ。もし、周辺にも火山が在れば連鎖して誘爆する。そうなったら、ディアードは簡単に滅ぶ。いや、付近の大陸殆どが捲き込まれて瓦礫と化すだろう」
部屋の中の空気も凍りついた。
誰もが眼を見開き、言葉を失う。
大地震や大津波。火山弾や火山灰。一気に押し寄せる大惨事の特急列車に太刀打ち出来る大陸はあるまいて。
海が一時死んだとしても、時間が解決する。大地や国が瓦礫になろうとも、野獣や魔獣には関係ない。しばらく暮らしにくいだけで、こちらも時間が解決する。
困窮するのは人間らだけ。
彫像と化した人々を見渡し、千早は軽く首を傾げて悪い笑みを浮かべた。
無表情に近い微笑み。酷薄なそれに見覚えがあるリカルドは瞠目する。ヤバい。あの顔は以前ガラティアで無法者達の四肢を切り落として断罪した時な笑みだ。
ぶわっと全身鳥肌が立つ。知らず戦慄く指を押さえて、リカルドは止めなくてはと、立ち上がった。
それを先んじて千早は言葉を紡ぐ。
「ぶっちゃけ、あたしは放置でも良いかなぁと思うんだよね」
ふわりと微笑む幼女に周囲の視線が集中する。
「秋津国とガラティア辺りなら結界で守れるし。帝国には恨みこそあれ恩も義理もないし。聞いた範囲だけど魔族の国もろくでもなさそうだし。猛犬みたいな奴等は津波や地震で一掃された方が、こちらには利があるのよね」
くふんっと顎をひき、少し上目遣いで悪戯気にほくそ笑む幼女に、凍りついていた人々が顔を見合わせて物憂げに思案する。
確かに言われてみれはその通りだった。
帝国など百害あって一利無し。秋津国に害が無くば、ある意味、千載一遇のチャンスかもしれない。文字通り土地ごと独立し、自給自足で賄える秋津国には何の問題も無いのだ
《あらあら。それなら慌てなくても良いわね♪》
《そうですね。妹様が人々にお優しいので、大事かと思いましたが、言われてみれば帝国なんか要らないですしね》
「でしょ? 」
神々とわきゃわきゃ話す幼女の姿に、人々も安堵し、何となく静観なムードが漂いだす。
そこへ悲痛な叫びが割り込んだ。
「待ってくださいっ、帝国には家族や友人がいるんですっ!!」
声の主はキャスパー。見開いた眼を大きく揺らし、真摯な眼差しで幼女を見つめていた。
ああ、とばかりに千早は柔らかな笑みを深める。
王族もかくやと言う魅惑的な微笑み。他意の欠片も無く、ただひたすら優美で高貴な笑みに、部屋中の人々が息を呑んだ。
一切の異論反論を封じ込める笑顔。いや、そんな気など微塵も起きない。ただただ頭を垂れて平伏したい神々しさ。
「何故に我々が帝国を慮からねばならない?」
何でも無さげな幼女の問い。
キャスパーは声を失う。今の彼女に答える言葉を思いつかない。思わず膝をつきたくなり、狼狽えた。
「ねぇ? どうして?」
含み笑いを溢しながら、幼女は更に問う。
遥か高みから見下ろされる錯覚に陥り、キャスパーはとうとう膝をついた。
畏れおおくて顔すら上げられない。
しかし、祖国を思う心が絞り出すような懇願を唇にのせた。
「....帝国に御慈悲を。せめて、事態を知らせるだけでも、御許し下さい」
「そうだねぇ。まあ、それくらいは良いか。あんたら良く働いてくれたしね」
そう言うと千早は捕虜らの労働を金額に換算し、大金貨四枚だと知らせる。四人を解放出来るから、帝国へ報せに帰還しなさいと旅支度一式も用意してくれた。
「無駄になる気もするが、がんばれ」
にかっと笑い見送る幼女に、先日の陰惨さはない。
顕現なされた神々にも驚いたが、その神々と対等に話し、その神々に勝るとも劣らない神々しさを見せた幼女に、キャスパーは言い知れぬ恐怖を抱いた。
神々の棲まう楽園、秋津国。
噂は真実であった。祖国へ報せ、更には未曾有の大惨事が起こり得る事を進言せねば。
帰路へと立つキャスパーらを、神々は切無げな眼差しで見送っていた。
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