第37話 オカンと異邦人 ~前編~


「あたしは、まったり一般庶民としてスローライフを満喫するんだぁぁぁっ!!」


 いや、無理だろ。


 泣き叫ぶ幼女を生温い眼差しで見つめつつ、周囲の人間の心は一致していた。


 そんな長閑な一幕の翌日。


 幼女は孤児院の教会で女神様とヒソヒソ内緒話をしている。


「んだからさ。此方の大陸の人間さヤバいなも。あたしらいきなり檻ん中だべ。地球からの渡りは制限せなあかん。少なくとも利用しようとか拉致しようとかする帝国系の教会には渡らせないほうがええなも」


《そんな事が....承知しました。幸いこの街にも教会はありますし、アルスや千早ちゃん達もいます。ここにのみ渡らせましょう》


 顔を見合わせて頷く姉妹。


 これより、この僻地が地球人達の拠点として帝国を脅かす一大都市になるのだが、それはまだ先のお話。




 そして、寒さも本番にさしかかり始めた頃。荒野に異変が起きていた。


「軍隊?」


 荒野の海側にある塩田から来た早馬の報告によると、別の大陸に繋がっているとされる細い浅瀬に大量の人影が確認出来るとの事。

 あちらから何かが来るのは初めてで、狼狽えた職人のアワアワ話を総合、解析したところ、そんな感じの報告だった。


「対岸には魔族とか獣人とかがいる大陸があるんだっけか?」


「そう言われてますね。確認はされていませんが、ときおり塩田あたりに羽や角の生えた溺死体とかが上がります。獣みたいなのも。だから、そう言われています」


「ふむ。じゃ、ちょっくら見てみるか」


「はい?」


 タバスの説明を聞きながら、千早は窓を開けて風向きを見る。風は荒野に向かって吹いていた。


「頼むね」


 そう呟くと幼女は意識を風に預ける。風の精霊と同調し、そのまま吹く風に身を任せた。


「何を....?」


 千早の肩に触れようとしたタバスの手を、親父様が叩き落とす。剣呑な眼差しに見据えられ、タバスの全身がブワッと粟立った。

 それを確認して、親父様はふいっと視線を外す。


「そこで無言かよっ、怯えてるじゃんか」


 千早不在のため、言葉少ない親父様のフォローを敦が務める。


「あんた、風の精霊支援がないんだな。今、あの子は風の精霊に同調して意識を飛ばしてる。触れたらバランスが崩れて、がたーんと倒れちまうから親父様が止めたんだよ」


 彼等には見えていたらしく、いってきますと幼女はとんでったそうだ。


 意識飛ばす前に言えっ!!


 喉元まで競り上がった言葉を、タバスは賢明にも呑み込んだ。




「あれかな?」


 精霊の力を借りて、千早は荒野を吹き抜け塩田を越え、件の浅瀬にたどり着いた。

 確かに大勢の気配がある。百...いや、もっとか。

 蹲る集団を確認して、千早の眼が見開いた。


「ヤバいっ、すぐに戻らなっ」


 一瞬で千早は自分の身体に戻る。


「ヤバい事なっとるっ、アルス爺は一緒に来てっ、他は炊き出しの用意をして浅瀬に向かってくれっ、大至急だ!!」


 そう言うと幼女はアルス爺と親父様を連れて転移した。

 置き去りにされた敦は、言われた通りの指示を皆にして、取り敢えずの食糧と燃料、道具一式を馬車に載せると、御者とともに浅瀬に向かった。


 荒野をしばらく行き塩田を横切ると、そこには大海原が見える。地球と変わらぬ青い海。違いと言えば、地球のより遥かに綺麗な水か。


 地球の海も昔はこんなんだったんだろうなと、感嘆の眼を向け、透き通る浅瀬の波を眺めていた。


 そしてさらに浅瀬を進むと、遠くに対岸がうっすら姿を現し、その境に千早達がいた。


 大勢の人々と共に。


「なんだ、これ....」


「わからないが、命の危機なのは確かなり。炊き出しするぞっ、胃に優しいミルクでチーズを少し。固形物の無いよう薄味で」


 敦は頷き、即座に竈を組み立て火を起こす。


 鍋に魔法で水をそそいで火にかけ、持ってきた食糧から小麦粉とバター、牛乳を出し、別の竈でホワイトソースを作る。

 煮たった湯に固形スープを入れて、ホワイトソースを足し、塩コショウで味を調え、溶いた小麦粉でとろみをつけたら完成だ。


 難民相手に散々作ってきたスープである。慣れたものだ。


 敦はチラリと件の集団を見た。


 獣人や、たぶん魔族と呼ばれている人々。


 皆、一概に痩せこけ、皮膚はカサカサで、落ち窪んだ眼が虚ろに宙を見ていた。

 土気色の肌で、誰もが枝のような手足をしている。


 敦は出来上がったスープを器に移し、自力で食べられそうな者に手渡した。

 すると手渡された人は、敦とスープを交互に見つめ、そのまま他の動けない者の元へ行き、その口に匙を運んだ。

 口の端からスープを滴らせながらも、必死に舐めとろうと動く舌先。

 動ける者は涙をこぼしながら匙を運ぶ。


 なんだ、この有り様は。余りの悲惨な光景に、たまらず敦は叫んだ。


「俺がやるからっっ、あんたらは食べてくれっ!!」


 敦が叫んだ時、ようやくタバス達の馬車がやってきた。そして同じく目の前の惨状に絶句する。


 この状態でよくぞ生きていた。よくやった、えらいぞ、もう大丈夫だ。


 ディアードの人々が口々に励まし、誉め称える。

 街の人々が動けない者の介助をしつつ、動ける者は恐る恐るスープを啜った。


「暖かい...」


 この枯れた身体の何処に水分が残っていたのか。不思議になるほど、彼等はポロポロと涙をこぼしてスープを啜っていた。


 重度の者から順にアルス爺が治癒をかけ、動けなかった者もしだいに手足がしっかりしてくる。


「ありがとうございます。本当に....」


 あまりの安堵に声を詰まらせる彼等から話を聞くと、どうやら対岸では大規模な飢饉が起きているようだった。


 とても全てを養う事は出来ず、働けない老人や病人、障害者、幼児など、社会的弱者を口減らしに辺境へ放逐したのだと言う。

 国へ戻る事も許されない彼等は、一縷の望みをかけて対岸に渡ろうと試みた。

 しかし、元々が飢えて枯れ果てた身体だ。浅瀬を半分越えた辺りで動けなくなり、ここで既に二日間も行き倒れてたとか。


 話を聞いて千早は、ひゅっと息を呑む。


 この寒さ本番に差し掛かった季節。本当に危ないところだった。


 塩田の職人が気づかなければ、目と鼻の先で死体の山が出来上がるところである。

 街の年配者達も同じ気持ちなのだろう。過去に難民だった彼等は、誰よりも飢えの恐ろしさを知っている。

 炎に巻かれ、奴隷狩りに追われ、飢えて雑草を食み、泥水の上澄みを啜った当時の自分達と、今の彼等がピタリと重なった。


 なんとも言えない悔しさや切なさが辺りに満ちる。


「良かったぁー」


 全身から力が抜ける安堵の声。


「本当に生きててくれて良かったわ。あたしらの街に来な。食べる物はあるから、しっかり食べて、元気になったら、食べた分、働いておくれ」


 にかっと笑う幼女につられ、周囲からも笑い声がもれる。


 本当に良かった。土地は余ってるし、また家を建てよう。畑も広げよう。等々、皆が笑って彼等を迎え入れる事を全身で伝える。


「宜しいのですか?」


 呆ける彼等に、街の人々は揃って頷いた。皆も通ってきた道である。


 自分たちも戦争で焼け出された難民だったのだと告げると、酷く驚かれ、飢えの苦しみは良く知っていると笑う街の人々に、魔族や獣人たちは言葉もなくハラハラと泣いた。




「飢饉か」


 現代日本では久しく聞かない言葉だった。


 ディアードの街の食糧政策はまだ始まったばかり。街には過不足なかれど他所様に施せるほどの余裕はない。

 しかし、飢えて苦しむ国々が対岸に存在する。

 千早は口を引き結び、切なげな眼差しを対岸に向けた。


 うっすらと影しか見えないが、確かに大陸があるようだ。


 街中総出で馬車を往復させ、行き倒れていた難民を全て回収し、幼女達はディアードの街に引き上げた。




「取り敢えず春までここで暮らしてもらえるかな。春になったら新しい区画を作って家を建てるから」


 幸い難民用の建物が空いていた。


 一見安普請な倉庫に見えるが、中は数十の部屋に区切られており、寝具も揃っている。ペチカ構造で、壁が二重。空気が外気を遮り夏は涼しく、冬は暖炉を焚けば壁が暖まる。


 歓声を上げる難民達。暖かい食事に寝具。これだけでも天国だと、揃って号泣して周りを驚かせた。


 こういう光景も久し振りだ。幼女は苦笑する。


 秋までは次々とやってきていた難民も、冬に差し掛かったあたりからめっきりやって来なくなり、寒さが厳しくなる頃には皆それぞれの区画に家が建ち引っ越していった。

 難民が増えるにつれ、千早はディアードの街周辺に区画を作り、それぞれ国別で難民を分けた。


 郷に入れば郷に従えというが、国別の風習もあればしきたりもあるだろう。


 色んな文化があるから面白いし楽しいのだ。


 知らない御祝いやお祭り大歓迎♪


 幼女が嬉しそうに、にししっと笑うと、周囲は有り得ない物を見る眼で千早を見つめていた。


「それは不味くないですか? 国によっては遺恨もあるし、女神様を祀っているからディアードには争いがないのです。創造神様は世界共通で敬うべき御方ですから」


 それぞれ国によって信仰する守護神様は違うらしい。そのせいで国によっては血で血を洗う戦争にも発展したとか。そんな国々は未だに険悪で、手がつけられないらしい。


 馬鹿臭ぇ。千早は眼をすがめた。


「今は皆一纏めに難民でしょうが。アホ臭っ、そんな細かい事、美味い飯の前には吹っ飛ぶわ」


 手をヒラヒラさせて面倒くさそうに一蹴する幼女を、街の人々は不安げに見ていた。


 しかし、それらも杞憂に終わる。


 千早の言ったとおり、ディアードの美味い食べ物の前では誰もが笑顔だった。争う気配の欠片もない。

 幼女はあちらこちらとチョロチョロ走り回り、大量のメモ書きを抱えて満面の笑顔である。


「これっ、御祝いやお祭り情報。他の区画と被らないように調整して、それぞれの国の区画でやろうっ! 楽しいと美味いは正義だっ!!」


 ほくほく顔でメモの情報を説明する幼子に、周りの人間もつられて笑顔になる。


 なんともはや。型破りと言うか、おおざっぱと言うか。これでは争いが起きようもない。


 幼女いわく、不理解が争いを生むのだと言う。自分を理解して欲しいなら、まず相手を理解しないと、ぶつかるに決まってるじゃないか。

 なんのために言葉があるんだ。お互い納得いくまで話し合い、おとしどころを見つける。そんな努力もしないで、拳を張り上げれば、相手だって同じ事するに決まってる。

 そんなんも分からないから争いになるんだ。


 自分を尊重して欲しいなら、相手も尊重しろ。


 全く考え方も価値観も違う。


 街の人々は、常に眼から鱗が落ちるのが日常になりつつある、この数ヶ月である。


 戦火の前では国も信仰もない。飢えの前では誇りも矜持もない。ドン底を味わい這いつくばったからこそ、国を越えた結束が生まれるのだ。


 幼女の言葉は現実を見据えた至言だった。


 かくして国どころが大陸や時空すらも越えた多国籍都市が、ちゃくちゃくと築かれつつある異世界辺境である。であるある♪♪♪

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