第15話 チャンス到来



ステレオ途切れたら 言葉につまづいた


どこかで聞こえてる 子供の笑い声


うかつに動けない手も出せない


見つめ合うだけの face to face


誰かに来て欲しい この部屋二人きり


不思議と夜遊びの 誘いが今日はまだ


灯りも消せずに決めかねてる 


見つめ合うだけの face to face


チャンス到来 あらわになった背中に moonlight


チャンス到来 恥ずかしがったうなじが stand-by


チャンス到来 転がりこんで秘密のジェスチャー





研一とかなでは電車に揺られながら窓の外を流れる景色とそれを照らす夕陽を見ていた。


2人の掌は強く握られていた。


「本当に帰ってきて良かったの?」


「・・・はい」


研一は隣に座っている奏を気遣うように訊いた。

しかし、奏は肯定した。

奏の掌の力が強くなったような気がした。


「でも叔母さんが泊まって行ってくれ、って言ってたし。何より君は久しぶりにお母さんに会ったんだから」


「良いんです。これからは堂々とお母さんに会いに行きますから」


奏の声には決意のようなものが感じられた。


「・・・それは、その。お父さんに隠れるようにして、じゃないって事だね」


「勿論です」


奏はキッパリと言ったがその掌は少し震えていた。

研一は何も言わずに奏の掌を強く握り返した。

研一は奏の母親の実家に居る時からずっと考えていた。


僕は奏の父親と正面から向き合わなければならない。

話し合いをするにしてもまだ高校2年生の自分がちゃんとした話が出来るだろうか?

あの叔母さんでさえ手を焼いた相手だ。果たして今の自分が敵う相手だろうか?


いや。


研一は首を振る。

これはやらなければならない事なんだ。奏の為に。

奏を護る為に。


しかし、全身から冷や汗が流れてくる。

研一は自分に自信が持てなかったから。

人との関わり合いを避けて逃げていたのだから。


研一は最近流行っている異世界ファンタジーの事を考えていた。

自分があの主人公だったら良かったのに。

そしたらチート能力であっさり解決するのに。


違う!


僕たちは現実を生きているんだ!

現実逃避の夢物語に逃げるんじゃない!

これは僕が僕自身でやらなきゃいけないんだ!


「・・・しかし、なぁ」


研一は途方に暮れてしまう。

実際問題として僕に何が出来るって言うんだ。

僕はまだ未成年者で親に養って貰っている立場なのに。


「・・・先輩?」


研一は身体を揺さぶられて我に返った。

隣にいる奏が揺さぶったのだ。

奏はとても心配そうな顔をしている。


「あ、えっと。どうしたの?」


「それはこちらのセリフです。あたしが話しかけても上の空みたいだし」


奏は本当に心配そうな顔をしている。


「ゴ、ゴメン。ちょっと考え事をね」


研一はぎこちない笑顔で答えた。


「・・・あたしの父の事ですよね。考え事って」


図星だった。


と言うか現状で研一が考える事はそれしかない。

僕は何をやってるんだ。奏に心配をかけてるだけじゃないか。

研一は自己嫌悪の底なし沼に落ちていくような気持ちになった。


「先輩、いえ研一さんは1人で抱え込み過ぎてます」


奏の目は少し涙目になっていた。


「あたしも居ます。叔母さんも助けてくれると思います。だから」


奏の目から一粒の涙が零れた。


「2人で一緒に考えましょう。もっと視野を広く持ちましょう。大人の人に相談しても良いですし。何かやり方は必ずあると思います」


研一はハンカチを出して奏の涙を拭いた。


「君は強いね」


「何、言ってるんですか」


奏はティッシュを取り出した。


「あたしが言った事は研一さんがあたしに言ってくれた事です。その言葉にあたしがどれだけ救われたか。自分で自分の事を追い詰めていたあたしの掌を掴んで引っ張り上げてくれたのは研一さんなんですからね」


奏はそう言ってティッシュで控えめに鼻を啜った。


研一は奏の言葉で少し冷静になれた。

確かに僕は自分1人で解決しようと考えていた。

しかも相手は自分よりも遥かに大人なのに。



視野を広く持ちなさい。



これは研一が母から何度か言われた言葉だ。

研一の母は夫を研一が6歳の時に事故で亡くしている。

それからは女手1つで研一を育ててくれた。今は中小企業とは言え、それなりの従業員がいる会社で役職をしている。男勝りと言うかなかなかたくましい母だ。


母は成長した研一に対しては特には何も言わない。

放任主義と言うよりも「自分の事は自分で何とかしろ」と言う事らしい。

そんな母が研一に対してした数少ないアドバイスの1つが「視野を広く持て」だった。


物事には色々な側面がある。

それを1つの固定観念でしか見ないと解決に至るのは難しい。それで「視野を広く持て」と言っているのであろう。

研一は母に相談してみようか、と考え始めていた。


やがて電車は研一達の住む街へと到着した。

研一と奏は電車を降りて駅前広場で向かい合っていた。

夕陽はすでに西の空に沈みつつあった。


「先輩、今日は本当にありがとうございました。もしも先輩と出会っていなかったら、今のあたしは存在していないと思います」


奏はそう言って深々と頭を下げた。


「いや、僕の方こそ感謝してる。視野を広く持て。本当にその通りだ」


それから2人は互いを見つめ合った。

どちらも、もう少し一緒に居たいと言う雰囲気だった。


「・・・あの」


「え? 何?」


奏のか細い声に研一は少し大きな声で聞き返してしまう。

2人は「しまった」と思った。

やはり不器用な2人である。


「その、先輩はこの後って何か予定とかありますか?」


「えっと、いや特には無いよ。母は今夜も飲み会で帰りは遅くなるだろうから」


奏は勇気を振り絞るように言った。


「でしたら、今日のお礼をさせて頂けませんか?」


「お礼?」


これを読んでいる方は思うであろう。

研一よ。

そこは疑問形やないやろ。


「はい。・・・その、あたしの作った夕食を食べて頂けませんか?」


「あ、うん。食べてみたいな」


研一の答えに奏の顔に笑みが浮かんだ。

それでも、はにかみながら言った。


「あたしの手料理じゃお礼にはならないかも、ですけど」


「とんでもない!」


研一は大きな声を出してしまった。

週末の夕刻だから駅前広場を通る人は多い。そのうちの何人かは研一と奏の方を見た。

つくづく不器用な男である。


「えっと、その。とても嬉しいよ、君の手料理が食べられるなんて」


数人の好奇の視線を感じながら研一は小声で言った。

奏は頬を染めてうつむいている。

研一は奏の手を取った。


「と、とにかく移動しよう」


研一は奏の掌を握りながら歩き出した。

奏は黙って着いていく。

人通りが少ない場所まで来たら奏はふぅっとため息をついた。


「・・・ちょっと恥ずかしかったです」


「ゴ、ゴメン。大きな声を出してしまって」


そう言って謝る研一を見て奏はクスクスと笑った。


「良いんです。恥ずかしかったけどそれより嬉しさの方が大きかったので」


奏は研一が握っている自分の掌を強く握り返した。


「そ、そう? それなら良いんだけど」


「はい。良いんです」


奏はニッコリと首を傾けた。

少しその髪が揺れた。

研一にはまた奏の髪が踊っているように見えた。


「さぁ、あたしの家に行きましょう」


今度は奏が先に立って歩き出した。

研一は慌てて奏の横に並んだ。

奏は研一と寄り添うように距離を詰めた。


「うーん」


奏は寄り添って歩きながら少し考え込む素振りを見せた。


「どうしたの?」


研一は奏が距離を詰めたのでドキドキしながら尋ねた。


「あたしの手料理が先輩のお口に合わなかったらどうしよう? って」


「大丈夫だよ。君の手料理なら美味しいに決まってる」


奏は研一を見ながら可笑しそうに言った。


「先輩って時々、そう言う根拠のない事を堂々と言いますね」


「根拠ならあるさ」


「えっ?」


奏は少し驚いた顔をした。

しかし、すぐに楽しそうに言う。


「どんな根拠なんですか?」


「だって君の手料理だろ? 美味しいに決まってるじゃないか」


奏は思わず吹き出した。


「先輩って、そういう突き抜けた部分もありますよね。でもそう言うの好きです」


え?

この子いま、好きって言ったよな?

それは僕の発言か? それとも僕自身の事か?


またも考え込んでしまう研一であった。





「着きましたよ」


奏は明るい声で言った。

昨日来たばかりだがやはり大きな家だ。

日が暮れて暗くなると灯りの点いて無い大きな家は却って淋しさを助長するようだ、と研一は思った。


「先輩が暗証番号を入力してください」


玄関の横にあるタッチパネルの前で奏が言った。


「うん。判った」


研一は小型の照明で照らされたタッチパネルの前に立つ。

そして昨日、奏に教えて貰った番号をタッチしていく。


ガチャリ


玄関のドアから重い金属音が聞こえた。


「先輩、スマホを出して頂けませんか?」


「うん」


研一はジーンズのポケットからスマホを取り出す。


「あたしが先に入ります。先輩はあたしからの連絡が来たら入って来て下さい」


「それは良いけど。何で?」


奏はウフフと笑った。


「何でも良いですから。そんなに時間は取らせませんから」


奏はそう言って素早く玄関のドアを開けて中に滑り込んでしまった。

しばし呆気にとられていた研一だったが、数分後には歓声を上げていた。


「うわぁ。スゴイな」


真っ暗だった家に次々と灯りが灯って行く。

庭の照明も点けられて研一には光の宮殿のように思えた。

すると研一のスマホが鳴った。


「お待たせしました。どうぞお入りください」


「了解」


研一は玄関のドアを開けた。


「おかえりなさい!研一さん!」


奏の明るい伸びやかな声が響く。

少し呼吸が荒いのは奏が家中を走り回って照明を点けたからだろう。

その奏は玄関に正座して研一を満面の笑みで出迎えていた。


「ただいま!奏!」


研一も少し大きな声で答えた。

何故だろう?

研一の目には涙が滲んでいた。


「あれ? あれ?」


研一の目から涙が溢れ出た。

何故、こんなに涙が出るのか研一にも判らなかった。

それを見ていた奏は靴下のままで靴脱ぎ場に下りて来てハンカチで研一の涙を拭いた。


「・・・ゴメン。・・・なんでこんな」


「良いんですよ」


それから奏は柔らかく研一を抱きしめた。


「研一さんの家は母子家庭でお母さんが働いていらっしゃるんですよね?」


「・・・うん」


研一は涙を止めようとしたがダメだった。


「お母さんは、いつも帰りが研一さんより遅かったんですよね?」


「・・・うん。母はいつも残業してたから小学生の頃から僕は鍵っ子だった」


奏はとても暖かい笑みを浮かべた。


「おかえりなさい、を言って欲しかったんじゃないでしょうか? 研一さんは」


次の瞬間、研一は声を出して泣き始めた。

自分でもどうしようも無かった。

これまで必死になってこらえていた心の防波堤が一気に決壊したように感じられた。


そうだ。


僕は淋しかったんだ。


小学校から帰って来ても家には誰も居なかった。

母が自分を養う為に必死になって働いている事は子供心にも理解していた。

だから誰も居ない家に帰って来るのは当たり前だと思うようにしていた。


だけど。


やっぱり僕の深層心理には淋しさが蓄積されていたんだ。

僕は本当は淋しかったんだ。

灯りの灯った家で「おかえりなさい」と言ってくれる人が欲しかったんだ。



母さん!


僕は淋しかったんだよ!


悲しかったんだよ!



研一は号泣していた。

これまでの想いを全てぶつけるように。

奏は何も言わずに研一を抱きしめていた。




しばらくして研一の涙は止まった。

身体の中の涙を出し尽くしたように。

そして、冷静な思考が戻ってきた。


「・・・本当にすまなかった。僕が泣いてる場合じゃないのに」


「いいえ。あたし、嬉しいんです。少しでも研一さんのお役に立てたのなら」


研一には奏の言葉がキレイな湧き水のように染み込んできた。

そして、とてもスッキリした気持ちになれた。

これまでのコミュ障の要因が無くなったのかも知れない。


「・・・あの」


「なんですか? 研一さん」


奏はそっと抱きしめていた両手を離していた。

研一はバツが悪そうな顔で言った。


「洗面所を使わせて貰えたら嬉しいんだけど」


「あ、そうですね」


奏は靴脱ぎ場から玄関のマットに移動すると履いていた靴下を脱いだ。

そして研一に声をかけた。


「どうぞお上がり下さい。洗面所はこちらです」


そう言って玄関の奥の通路をパタパタと小走りに駆けて行った。

また奏の髪が踊っている。

何故か、その髪はこれまでより美しいものに研一には感じられた。


研一は「お邪魔します」と言って靴を脱いで玄関に上がった。

そのまま奏が駆けて行った方に進んだ。

そこには奏が待っていた。


「どうぞ。こちらをお使い下さい」


そう言って洗面所を手で示した。


「ありがとう。少し時間がかかるかも知れないけど」


奏は「構いませんよ」と言ってその場から立ち去った。


研一は鏡で自分の顔を見た。


号泣の後とは言え我ながらヒドイ顔だ。



水道のコックを倒すと勢いよく水流が出てくる。


研一はバシャバシャと顔を洗う。


流れていく水と一緒に自分の中にあった「何か」も流れ落ちて行くように研一には感じられた。


一通り顔を洗った研一は再び自分の顔を鏡で見つめる。


そこには明らかに今までとは違う自分が居るように感じられた。




「えっと、タオルは?」




「こちらです」



奏がタオルを差し出す。



「ありがとう」



研一はタオルで顔を拭く。



そんな研一を奏は思い詰めたような表情で見つめている。



「どうしたの?」



顔を拭き終わった研一は奏を見た。



「研一さんにお願いがあります」



奏は思い詰めた表情のままだ。



研一も真面目な顔つきになって奏と正面から向き合った。



「言ってごらん」




研一に促された奏は少し躊躇するような素振りを見せたが意を決したように言った。




「研一さんの唇であたしの唇を清めて欲しいんです」







つづく


チャンス到来


作詞・作曲 いまみちともたか 

編曲    バービーボーイズ

演奏・唄  バービーボーイズ




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