第佰弐拾肆話:三好長慶
つつがなく用向きを終え、皆の下へ帰った景虎を待っていたのは、理解し難い状況であった。普段、飲み込みの早い景虎でさえ、状況を汲むのに時間を要した。まず、ふらりと京を掌握した男が現れたこと自体がおかしいのだ。
それで、しかも、何故か梅を選び連れて行った。
景虎の急所を突いてきた。
「……申し訳ございません。御屋形様」
「よい。ぬしが何を言おうと、今の三好は止められん。誰にもな」
官位自体はそれほど高くはない。だが、実力が違う。おそらく今となっては帝すら逆らえまい。それはまあ、足利の世、細川の傀儡政権、それを継承もとい簒奪した三好の治世、どれをとっても朝廷が主導権を握っていたことはなかったが。
越後の田舎者との差は、見た目以上に大きい。
対面すら出来ぬ者と掌握した者の差は――
「俺に用向きがあるのだろう。すぐに向かう」
「お供いたします」
「……腕の立つ者で固める。他の者はもしもの時に備え、京を出る準備を」
「そちらは某が」
「頼む」
本隊の指揮を柿崎に預け、景虎は大熊を始めとした数人を選び、三好の屋敷へ足を向けた。藪に蛇がいると知りながら、手を突っ込むような気分である。
それと同時に、少しワクワクする自分もいた。
あの足利義藤を追いやった男を見つめるまたとない機会が訪れたのだから。
○
三好の屋敷、そこに辿り着いた後、景虎たちは長い時間待たされていた。日が傾き、ゆるりと落ちていき、沈む。何故こんなにも待たせる、と思っていたが、
「……これは」
「なるほど、な。嫌な男なのは、間違いなさそうだ」
「ですね」
夜になってわかった。京の夜に煌々と輝く三好の屋敷、ここだけなのだ。駿府はもちろん、春日山よりも暗い京の街並み。
ここだけが真昼のように明るく、輝く。
「お待たせいたしました。弾正少弼殿お一人で、とのことですが、如何致しますか? 交渉の余地はなくもありませぬが」
相手を試すような視線。この松永、景虎は初対面であるが、ひと目で難物だと理解する。実綱と似た匂い。少なくとも真っ当ではない。
「御屋形様」
「御指名なら、構わんよ」
佩いていた太刀を外し、甘粕景持、本庄秀綱に向けて放る。
「武装を解かれるのですね」
「話し合いであろう?」
「なるほど」
松永は笑みを深め、どうぞ、と屋敷の中へ手招く。皆はその顔に嫌な予感しかしない。輝ける屋敷の中、踏み込めば最後、戻って来られないような。
そんな気がしたのだ。
「こちらへ」
「おう」
景虎一人が立ち入り、門が締まる。残された彼らは気をもみ、待つしかない。何かあればすぐにでも門を破り、駆け付ける次第。
しかし果たしてこの中、何人詰まっているのだろうか。
「……」
「……うむ。おるな、何人も」
斎藤の言葉、と思しき何かを何とか聞き取り大熊が頷く。容易く敗れる気はない。もしもの時は死に物狂い暴れ、武威を示す気である。されど、乗り越えて生還できるかと言われたなら、果たしてどうであろうか。彼らをしてそう思う。
ここは魔窟、全てを飲み込む蛇が館である。
○
「松永です」
「入れ」
臥間の先には、これまた絢爛豪華な景色が広がっていた。堺から取り寄せたのか国内外問わず名品珍品の数々が並べられていた。その部屋の中央に、
「そなたが長尾弾正少弼か?」
「お初にお目にかかります。三好殿」
三好長慶がいた。嫌な笑みを浮かべて。
「くく、これまた……俺の言った通りであっただろう? 松永ァ」
「はっ」
苦笑する松永に苛立ちを覚えながら景虎は、
「家臣を取り戻しに参った」
端的に用向きを言った。
「家臣? 愛妾ではなく、か?」
女であることも露見している。であれば――
「……あれで腕が立つので、男装させ傍に置いているのです」
「あの細腕で、腕が立つ、ねえ」
長慶の言葉に景虎の顔が歪む。この男は彼女が女であることを知っている。彼女の細腕、と言うからにはそれも見たのだろう。
つまりは――
「あれは何処に?」
「さて、どうだろうなァ。俺は喰った女の事など一々覚えておらぬのでな。道中、喰らい、しゃぶり、殺して、捨てた。何か文句、あるかァ?」
「……あれは越後の民です。国主たる俺が守るべき存在に手を出されたのであれば、如何に三好殿とは言え黙ってはおれませぬ」
「京で、俺に逆らうのか?」
「ことと次第によっては」
怒髪天を衝く景虎。今にも手を出しそうな様を見て、長慶は嬉しそうに嗤う。これが見たかった、とばかりに。
「たかが女一人に何を怒っておるのやら。松永、代わりを用意してやれ。一人が不足なら二人でも三人でも構わんぞ。俺の妾は美人揃いだぞ。何せ畿内全域から集めさせたからの。気立てもよく、品もある。越後にはもったいないほどの――」
「俺の女だ!」
べらべらしゃべる長慶に対し、景虎が怒声を飛ばす。俺の女、俺のもの、それに手を出したなら許さぬし、代わりなどいない。
本人を返せ、と叫んだ。
「俺にそれを向ける意味、わかっておろうな?」
「二人まとめて殺すぞ」
「くく、舐められておるぞ、松永」
「まあ、たぶん私は殺されるでしょうね。さほど腕は立ちませんので。御兄弟ならいざ知らず、私ではこの化け物相手に力不足かと」
「おいおい。側近が弱気じゃ困るな。ま、俺でも逃げるか。だが、逃げれば勝てる。ここは俺の巣だ。逃げ場も、見えていないだけで色々ある。暗殺慣れしておるのだ、この俺は。容易く殺せると思うな。そして殺せねば、五十人が死ぬ」
長慶は景虎の怒りをそよかぜのように受け流し、
「己以外に価値を見出す者の不自由か。がっかりさせるな、景虎。つまらんものに縛られておるようでは、天など掴めぬぞ」
怒れる男を嗤う。
「何を言っている?」
「わかっておるだろう? ここで愛一つ切り捨てられぬのではたかが知れている。俺なら親兄弟でも迷いなく捨てる。そして生き延び、機を窺い、俺が天を掴む。俺以外は全て踏み台だ。わかるか、出来るか、長尾景虎よ」
怒りが、冷める。己以外の全てを、彼は平等に見下している。こんな人間を景虎は初めて見た。自分か、それ以外。明確過ぎる線引き。
シンプルさとは強さである。純粋であればあるほど強度は増す。
この男の『強さ』は今までにないものであった。
「殿、失礼いたします」
「くく、丁度いい。入れ」
美しい女中が中へ入って来る。そして、彼女らが手招くのは、
「……え?」
「…………」
顔を真っ赤にした小島梅太郎、ならぬ千葉梅であった。景虎は呆然とする。何せ彼女、男装でもなければ普段の気楽な格好ですらない。越後入りして来て以来の美しい着物をまとっていたのだ。いや、それ以上か。
「デカい声であったなぁ、梅太郎」
「……き、聞こえていません」
「だそうだ。よかったな、景虎ァ。愛の叫びは届かなかったようだぞォ」
「……三好、殿」
嵌められたことに景虎はようやく気付いた。確かに彼女を殺す利などない。だが、三好長慶ならやる。そんな雰囲気を醸し出していたのだ。
それも含めての策略、景虎はぷるぷると震えていた。
「如何ですか、殿」
「髪を伸ばせ髪を! どんな着物を着せても映えん! 折角の美貌を無駄にするな。尼削ぎが趣味とは変わっておるな、景虎」
「趣味ではありません。あれが勝手にやったことです」
「何だ、妾に嫌われておるのか? くは、おい松永、笑えるな!」
「はっ、笑えますな」
「じゃあ笑えよ」
「あっはっは」
「死ね」
「死にません」
主従のよくわからない会話が続く中、景虎は混乱していた。普段であればすぐに落ち着きを取り戻し、頭が働くのだが、何故か今は微塵も動かない。
蛇の腹の中なのに、頭を動かさねばならぬのに。
「三好殿、これは、どういうことですか?」
「察しが悪いな。美人を見たら着せ替えを楽しむ。俺様の雅な遊びよ。女を見たら抱くなど猿の戯れ。俺ほどの大人物となるとな、女はこうして愛でるのだ」
景虎には言っている意味が微塵も理解出来ない。
「では、ずっと?」
「おう。ずっと着せ替えして楽しんでおる。髪以外は本当に、俺の知る限りでも最高の素材なのだが、如何せん一番重要な部分が……何であろうな、この宝刀に傷が入っているような、名状し難い残念な感じは」
梅で遊び、ついでに景虎でも遊んだ。この男にとってはただそれだけ。どうやら現状では色んな意味で格が違っていたようである。
「三好殿」
「その呼び名は好かん。長慶様と呼べ。ちょうけいでもながよし、でもどちらでもいいぞ。俺も面倒だから景虎と呼ぶ。私的な場ではな」
三好と言う名は他にもいる。兄弟や親戚など、自分以外が含まれることが好きではないのだろう。何処までも自分大好き人間である。
「長慶様、何がためにこのようなことをされたのですか?」
「遊び相手の晴元もとうとう折れた。義藤も朽木まで退き、暇だったのだ。だから、丁度遊び相手が来たと言うからお誘いしたまでのこと。酒は好きか、景虎」
「嗜み程度には」
「好きなやつの言葉だな。梅太郎に続き、皆着替えよ。宴だ」
「承知致しました」
女たちはそそくさと部屋を出る。一緒に梅太郎もとい梅も出て行く。
この短い間ですっかり家に馴染んでいるようであった。
「俺は夜の宴がたまらなく好きでな。天に逆らい夜を照らす、この全能感こそが酒を旨くする。松永、門前の者共に伝えよ。今日、ぬしらの主君は帰らん、とな」
「こちらも遊んでいいですか?」
「ほどほどにしておけ」
「合点承知」
ニコニコと笑顔で門へ向かう松永。あれは絶対に良からぬことをたくらんでいる顔つきである。実綱よりもわかりやすく、性格が悪い。
案の定、門前で騒がしくなる。
おそらく松永が何故主君を返さないのかを濁し、口論となっているのだろう。ほどほどに遊んだら、宴の旨を告げ解散させる寸法である。
主従揃って立派な性格をしている。
「側近があれ、ですか」
「弟たちは優秀だが、どうにも真面目過ぎてな。あれぐらい遊べる男の方がそばに置きたくなる。わかるだろ、ぬしならば」
「……わかりません」
「そうか? 俺とぬしは、似ていると思うがなァ」
普段、家臣で遊んでいる景虎であったが、ここに来て遊ばれる者の気持ちが初めて理解出来た。たぶん、これほど不快なことはないだろう。
今度から少しは自重しよう、と肝に銘じる景虎であった。
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