第佰弐拾参話:がっかり洛中

 天文二十二年九月末、長尾景虎は一度目の上洛を果たす。

 この時の京は三好、細川の権力闘争が長引き、疲弊していたのだろう。かつての天文法華の乱による傷痕は癒えても、その傷跡の上で争い続けていれば生傷は絶えず、徐々に全体の活気はしおれていく。

 まあ、それを言えば応仁からここまで、京が元気であったことなど一度もないのだが。それでもこの地は日本の中心、皆は洛中に夢を馳せる。

 その結果、

「……いや、まあ、朽木はさ、わかるよ。所詮代理の御座所だろ? でも、ここは京の都だ。花の都、伝統と格式の……みたいなさ」

「これが京の都、かぁ」

「人少ないよな。敦賀湊の方がよっぽど栄えていたぜ」

「しょぼ」

 がっかり観光地のような扱いとなってしまう。一応フォローしておくと、そもそも日本海貿易で栄える春日山が国内でも有数の都市であり、そこが基準の彼らは少しばかり目が肥えているのだ。とは言え、応仁以前の京なら、このような感想が生まれることもなかっただろうが。それだけ中心地の力が落ちているのだ。

 争いが重なり、人が減り、物も減り、人ものが減れば金も減る。

 絶対的な悪循環。

「建物は立派に見えるけど壁や塀が穴だらけだな」

「この辺って結構いいとこだろ、洛中じゃ」

「……ってかあれ」

「う、うわ」

「ひでーな、こりゃ」

 京の御所、帝がおわす日本の中心にして頂点。その壁にはものの見事な大穴が開いていた。皆、それを見て愕然としてしまう。

「壁ぐらい直せばいいのに」

「本当に銭ないんだな、朝廷って」

「そら銭の亡者にもなるかぁ」

 為景が築き、景虎が拡張を続ける春日山城にあのような穴はない。出来てもすぐに直すだろうし、気付かぬまま放置など絶対にありえないだろう。

「……十年経ってもそのまま、か」

「あの穴、ずっとあったの?」

「俺の記憶が正しければ、な。と言うか、広がっとるわ」

「……貧しい」

 景虎と梅太郎こと梅が誰にも聞こえぬ声で会話する。十年前と変わらぬどころか、記憶よりも酷くなっている御所の壁。であれば必然――

「ん、なんだ、あの童たちは」

「おいおい、ちょっと、やば――」

 越後勢驚愕の、

「っしゃああ!」

「帝のボケ!」

「バーカ、あーほ、うんこたれ!」

 花の洛中キッズたちによる、日本最先端の遊びが繰り広げられていた。これもまた十年前と同じ。と言うか罵詈雑言の内容は酷くなっている。

 石を御所に投げ入れるは、壁に向かって小便をするは、とにかくやりたい放題。何かの怒鳴り声と同時に穴からにょきにょきと童たちが這い出てきて、ゲラゲラ笑いながら逃走していく。内側にもいたのか、と越後勢は何も言えなくなっていた。

 壁がもう微塵も機能していなかったから。

「とうの昔に権威は死んでいたのか」

「悲惨な」

「……」

 大熊、柿崎、斎藤らもかける言葉が見当たらない。自分たちの国、春日山に思うところはあれど、京の様子を見ると何も言えなくなる。

 あまりにも酷過ぎる。

「面白いと思わぬか? このような有様であっても、壁一つ直せぬ貧しさ、童一人捕まえられぬ実力であっても、俺たちはこうして仰々しく出向いておるのだ」

 景虎は空虚な笑みを浮かべながら皆に語り掛ける。

「ただ御言葉を賜るために、な。笑えぬさ。俺たちもまたこのハリボテの権威に縋らんとする者なのだから。誰も実など見ていない。名だけ、見ておる」

 まさか京がこのような有様とは知らなかった景虎以外の者は、彼の言葉に対して押し黙るしかなかった。皆、知らぬだけなのだ。昔の栄光を、今も在るのだと思い、浮かべているだけなのだ。これ以上滑稽なことなど、ない。

 誰もが踊っている。わけもわからずに。

「行くぞ」

「はっ」

 童は正直な生き物である。彼らは賢しらな大人たちよりもよく理解しているのだろう。実の伴わぬ権威の無力さを。馬鹿にし、嘲笑う。

 踊る滑稽な大人たちを。

 自分たちもまた、その一部なのだと景虎は言う。


     ○


 景虎は公式に御所へ参内を果たす。約十年の時を経て、守護代の四男が守護代行の国主として再び御所へ足を踏み入れた。

 形式ばったしきたりの数々。服装はもちろん、一挙手一投足がその場に適しているか、を考えなければならない。武士の世界でもそういうものは多々あるが、公家の世界はいわば貴族の本場である。その厳しさ、細かさは武士の比ではない。

 格に応じた服装、振る舞いが求められるのだ。特に御所の内側では。

 今の景虎は従五位下弾正少弼、である。貴族の下っ端、と言ったところであろうか。当然、客人であっても扱いは相応となる。

 間違っても御所であれば、関白を務めた近衛家の者が案内役となることなどありえない話。あれは朽木で、しかも色々あって人がいなかったからこそ起きた珍事であった。そんなことは景虎も重々承知している。

 それでも――

「よくぞ参った、越後守護代行、長尾弾正少弼景虎よ」

「ははっ」

 この『距離』はさすがに想定外であったが。

(遠いな)

 内裏、帝がおわすところまで連れてきてもらえたのは僥倖であった。せっせと銭を包んだ甲斐があったと言うもの。しかし、今の景虎が首を垂れている位置から帝がいるであろう位置まではかなり離れている。

 その上、帝の前には御簾が提げられており、御顔を見ることすら出来なかった。これでは人となりなどわからない。

「――――――」

 さらに、景虎の耳朶を打つ声は奏者、いわば取次の言葉であり声すらも知ることはなかった。顔も声もわからず、影だけが見える。

 それとて着込んでいるのだろうし、体格すらわからないが。

(これが今の俺と、帝の距離か)

 帝とこうして『対面』すること自体、長尾景虎の格を考えると充分過ぎるのだが、彼がここまで足を運んだ最大の理由は、日本の頂点を、連綿と続く王の一族をひと目見たかった。自らの尺度で推し量ってみたかった。

 しかし、これでは何も見えない、わからない。あの影が帝でなかったとしても気づけないし、そもそも今の奏者が語る言葉のどれだけが帝の御言葉なのか、それもわからない。ただ首を垂れ、仰々しい言葉を聞くだけ。

 なんと寒々しいことか。

(今はまだ……だが、次は必ず)

 今は仕方がない。色々と焦り過ぎた。信濃で武田が暴れ散らかさねば、上杉を掲げ大手を振って関東入り、その武功を携え京入りも出来たかもしれないが、春日山の目と鼻の先で地盤を固めさせるわけにもいかない。

 結果として、半端な時期に訪れることになってしまった。

 実りは零ではないものの、最初に考えていた頃とは随分絵面も変わってしまった。格の足らぬ田舎武士。こうして拝謁出来たのは、朝廷の財政が苦しく、そこを銭で攻めたから、である。もっと力がいる。実績もいる。

 今はまだ――足りない。

 長尾景虎はこの時、帝から改めて治罰の綸旨が下され、同時に御剣(無銘豊後瓜実)、天盃を賜った。これで信濃攻めの大義名分を深め、国主としての格式を高めることにもつながった。関東管領の処遇について言及はなかったものの、憲当を受け入れた行為は正義であり、正当な行いであったとも伝えられた。

 とりあえずの正しさは得た形である。

 ただ、今の景虎ではここが限界でもあったのだ。

 名門とは言え、所詮は守護代の家。京から見れば下等な存在であろう。もっと力がいる。もっと積み上げねば、届かない。

 それがわかっただけでも収穫はあった。


     ○


「今後の予定ってどうなってるんだっけ?」

「確か高野山行って……その後なんだったかなぁ。堺は覚えているけど」

「おいおい。大丈夫か?」

 御所に赴いた景虎を待つ越後勢は今後の予定に思いを馳せていた。とにかく堺行だけは楽しみだが、他の物詣に関してはそれほど深い興味があったわけではない。景虎の兵とて信仰心厚いものばかりではないのだ。

 と言うか、彼自身が周りに置きたがるのはどちらかと言うとそういったものが薄いものばかりである、かもしれない。

 ちなみに正しい行程は、高野山、本願寺、堺、大徳寺、帰路となる。

 そんな感じで緩く世間話をしていると、

「よォ、長尾弾正少弼殿はいるかァ?」

 突然彼らの前に凄まじく横柄な男が現れた。

「只今参内されている。何処の御仁か知らぬが――」

「三好筑前守様です」

 ここにはいない、去れとする意味の言葉を包んで言おうとした大熊を前に、するりと供の男が割って入り、うさん臭い笑顔で自らの主の名を告げた。

 それは、

「阿波の、三好殿でしたか」

「阿波の、じゃねえなァ。京の、だ」

 畿内で将軍家を牛耳っていた細川を下したばかりの、天下に手をかけた男、数年前にさらに改名し、今の名を三好長慶、とする男であった。

 筑前守を始め、多くの呼び名がこの男にはある。阿波国が本拠地であるのはそうだが、摂津国の守護代でもあり、さらに多くの国が彼の勢力圏でもある。それもそのはず、将軍を傀儡とし権勢を振るっていた細川から奪い、喰らったのだ。

 未だ健在とは言え、もはや勢力は完全に三好が上。

 畿内、京とてもはやこの男の掌の上、と言える。

「どうせ顔も見れねえのに仰々しいこったな。この俺が待つのもあれだし……俺はどうすべきだ、松永ァ?」

「蛟竜なれば、人でもさらいましょうか」

「くは、そりゃいい」

 何を言っているのか理解できない。だが、彼らは何も言えない。何か言って、この男の不興を買えば、自分たちのみならず景虎の努力は水泡に帰す。

 と言うかおそらく、越後へ帰ることも出来ない。

「んー、ぬしだ。そこの顔が良い奴、こっちへ来い」

「……は、はい」

 指名されたのは梅太郎、こと千葉梅であった。

「名は?」

「小島、梅太郎と申します」

「ほう」

 何故か長慶は梅に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。

「……女か」

「ッ⁉」

 彼女にのみ届く声で長慶はつぶやいた。蛇のような男である。蛇のような眼をしている。蛇のような、ぬるりとした雰囲気をまとう。

「長尾殿に伝えよ。参内を終えたら俺の屋敷へ来るように、と。この梅太郎とやらは預かっておく。俺が大事に大事にしておくから、ゆるりと来い、とな」

「お、お待ちくだされ。それであれば私も――」

 彼女を知る甘粕が割って入ろうとするも、

「口を慎みなさい。この御方を誰と心得る。京の童すら近づかぬ、真の実力者ですよ。弁えなさい、若き武士よ」

 松永、と呼ばれた男が甘粕を止める。害意ではなく、これは助言であろう。御所すら侮り、石を投げつけ小便を引っかける童が、往来を一人歩く長慶には近づこうともしない。幾度暗殺されかけようとも、全て返り討ちにして堂々歩む男。

 彼は言う。己の庭を自由に歩けずして何が王か、と。

「ではなァ、田舎者共。精々荒廃した俺の庭、京を楽しめ。娯楽なぞ何もないがな。くく、くっはっはっはっはっは!」

「では、失礼します」

 そして彼は細川を下し、とうとう手に入れたのだ。

 京を。自らの庭として。

 誰が彼を止められようか。畿内を手中に収め、天下を治めたに等しいこの男を。織田信長より前に天下を得た、第一の天下人。

 後に『日本の副王』と呼ばれる三好長慶が、堂々と梅を掻っ攫っていく。

 気まぐれで。しかし今の長慶には、それが許される。

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