第佰拾話:鉄砲玉

 板鼻を北条から解放し、その足で越後へ戻って来た平子らを景虎と憲当が出迎える。上杉が御館にて、戦功を称える感状を主だった者たちに渡す。

「大義であった」

「ありがたく」

 大将である平子には感状と共に刀や金品が恩賞として贈られる。ここが侵略をせぬ戦の厳しい所。新たに領地を得ることがなく、金で済ませるしかないのだ。

 まあ、日本海貿易などで富だけはある越後ゆえ、何とか金でなだめすかせることは出来たが。されど領地に勝る褒美はなく、だからこそ後に織田信長は茶器のゴリ押しブランディングを強行することになるのだが、それはまた別の話。

 宇佐美らにも同様の恩賞が与えられ、最後には若輩の本庄繁長の番へと移る。

「ぬしの働きは俺の耳にも届いておる。で、俺は特別に面白い恩賞を用意してやった。先達と同じ価値あるものを取るか、面白きものを取るか、選べ」

「面白き方を」

 迷いなく繁長は言い切った。その返しに景虎は満足そうな様子でケラケラ笑う。

「甘粕、用意させよ」

「はっ」

 近侍である甘粕に命じ、件の恩賞を用意させる。

 それは、この場の誰もが見たことのないものであった。

「これは?」

「てつほう、鉄砲と言うそうだ。そこの縄に火を付けると、目にも止まらぬ速さで球が撃ち出され、鎧をも貫く雷と化す」

 この場の大半の者が怪訝な表情となる。景虎や憲当とて畿内の方から流れてきたそれを試し打ちするまでは同じような表情をしていたものである。

「ふむ、鳥銃のようなものでしょうか?」

「ほお、さすがに博識よな、宇佐美」

「恐縮でございまする」

 宇佐美定満の言った鳥銃とは、中国式火器を模したとされる武器である。そもそも日本の隣、アジア圏では十一世紀頃には火器が戦場で使われており、彼らと接点を持つ者であればさほど珍しくもなかった。実際に倭寇(日本の海賊)が朝鮮や明の沿岸部を襲った際に、それらで迎撃されたり彼らから接収した記録があるのだ。

 あくまで文献上、言葉として残るのみだが引き金などが存在しない旧式の鉄砲『鳥銃』、国内で硝石が製造出来ていなかったことや使い辛さ故浸透することはなかったが、火器の原形自体は在った、という見方もあるそうな。

 ただ、結局あったとしてもほんの一部、宇佐美のような博識な者とて知見はあっても本物など見たことはない。さらに引き金のようなギミックは、当然知る由もなかった。何しろ、京の細川が三好方に撃ったのが二年前の事。

 これから爆発的に広まるとはいえ、現時点では珍品扱いである。

「撃ってみるか、本庄よ」

「はっ」

「腰を抜かすなよ」

「ははは、まさか」

 たかだか筒状の棒きれ。こんな玩具に己が慄くことなどありえない、と本庄繁長は鼻を鳴らす。若くして親の仇を討ち、此度の戦場でも武功を――

「うわぁ!?」

 轟音と共に、繁長は盛大に尻もちをついた。あまりの音に他の者も驚き、腰が泳いでいた。その様子を景虎はゲラゲラと大笑いしながら眺める。

 これが見たかった、とばかりに。

「ま、的の兜が……ひしゃげておるぞ!」

「ほ、本当に今ので、何と言うことだ。昼間から雷が」

「儂もあれが欲しかったのぉ」

「う、宇佐美殿は平気なのですか?」

「なんの平子殿。腰はきっちり抜けておる。ゆえ、立てぬ」

「……な、なるほどぉ」

 驚いておらぬのは堺からの商人が持ち込んだそれを、景虎が馬鹿みたいに撃ちまくってすぐに飽きた光景を知る者のみ、であった。

 知っている甘粕も耳を塞ぎ、引け腰であるが。ちょっぴりビビりなのだ。

「す、素晴らしい。これを頂けるのですか⁉」

「おう。十挺ほど用意させた。好きに遊んでよいぞ」

「ありがたく!」

 本庄繁長は面白き恩賞に大変満足したようで、若者らしい屈託のない笑顔を浮かべていた。この辺りはまだまだ童のようにも見える。

 まあ実際に景虎の元服時よりも若いのだが。

「いいのぉ、弥次郎殿」

「やりませぬぞ、宇佐美殿」

「いいのぉ」

 好奇心旺盛な宇佐美の視線から己が賜った宝物を死守する繁長。そんな様子を見てやはり景虎は大笑いし続ける。この光景のために買ったと言っても過言ではなかったのだ。皆が驚き、いつもと違う顔を見せる。

 こんな面白い光景は中々ないだろう。

 良い『無駄遣い』をした、と景虎は悦に浸っていた。


     ○


「おや、やっておりますな」

 瓢箪に酒をなみなみ注ぎ、どこかで一杯ひっかけながら月見でもしようか、と考えていると、どうやら同様の考えの者がいたようで――

「宇佐美殿もやりますか?」

「では、お言葉に甘えて」

 団子をつまみながら、酒で押し流す会の主催である揚北衆ではない本庄こと、本庄実乃と直江実綱が団子を肴に酒をちびちびやっていた。

 普通は逆であるが、彼らにとって大事なのは酒である。

「風流ですなぁ」

「酒を飲む口実に丁度良い」

「全くだ」

 珍しくすでに出来上がっている実綱を尻目に、実乃と定満は瓢箪と木杯を打ち付け、酒を一気にあおる。勢いが大事なのだ、こういうのは。

「しかし、昼間は驚かされましたな」

「ああ、鉄砲ですか。我々も御屋形様が試し撃ちする時には腰が抜けたものです。さすが御屋形様は最初からはしゃいで所かまわずぶっぱなしておりましたが」

「……眼に浮かびますのぉ」

 ぎゃはは、と大笑いしながら悪戯小僧が鬼の面を被り、山門を駆け回る光景に鉄砲を加味すれば――その辺りは童の頃より何も変わっていない。

 おそらく想像通りの光景が繰り広げられたことだろう。

 そんなふわふわした空気の中、定満が口を開く。

「鉄砲とやら、使えるのでは?」

 彼にとっての今日一番の出会い、収穫を。

「ふはは、直江殿も同じことを申されておりましたな」

「……もう忘れました」

「……?」

 良い歳をした大人が不貞腐れている様子に、定満は首を傾げる。こういう性質の男ではなかったと思うのだが、果たして何があったと言うのか――

「直江殿も同様の具申をされ、御屋形様に一蹴されたのです。それからこのように不貞腐れており、気分転換にと月見にお誘いした次第」

「不貞腐れているのではありません。我が身の不甲斐なさに絶望しているのです。御屋形様の覇道を解しながら、愚申してしまった己に」

「……鉄砲は興味深い武器でありましょう? 戦の形態が変わりかねないと儂は思いますぞ。折角越後には銭があるのだから、買い占めて――」

「……鉄砲は守りの武器であり、俺の戦には不要、とのこと」

「守り、の?」

 定満は顔を歪める。確かに火薬を詰めるなどの持ち回りの悪さはあり、鳥銃同様日本の戦と上手く擦り合わせるのは難しいとは思っていた。

 だが、それも専用の扱いにすればいい。騎馬隊のように、槍隊のように、特化させ運用すれば強力な武器となる、そう思っていたのだ。

「持ち回りの悪さが問題ではなく、現時点での性能では機動力を削ぎ落としてでも使う旨味がない、とおっしゃられていましたな。弓の汎用性に劣り、手間の割には弓と変わらぬ効果しか発揮できない。確かに一射一殺とすれば回転率は弓に軍配が上がり、銃の方が上であろう殺傷力も距離が開けば大きく下がる」

「それは、そうであろうが――」

「ただ、城の守り手にとっては強力な武器となる、とも申されておりましたよ。城ならば配置次第で撃つべき距離を定めることが出来ますから……同様に事前に強固な陣を敷き、迎え撃つ側であれば仕掛けとしては使える、と」

「それを、その場でそう答えられたのか?」

「ええ。商人も青ざめておりました。こんな嬉しそうに撃って回った人も初めてなれば、その後に別人のような表情で『玩具』と称されたのも初めてでしょうから。童のようなところがありながら……怖い御方だ」

 鉄砲が全盛となる戦国末期でも、武器の役目としては主に守戦であった。そう、鉄砲とはイメージとは異なり守りの武器であったのだ。

 無論、それは運用していく中でわかることであり、普通は鉄砲を撃ってすぐに気づけるものではないだろう。大体の大名はその威力に仰天し、自らの軍団にも運用したいと購入した後、使ってみて初めてそうであることに気付くのだ。

 だが、景虎はほぼ初見でそれを見抜いた。守戦での有用性を認識しつつも、攻め取る戦では役割が薄いと判断し大量購入は見送っている。

 大量に出回り、安くなったところで城に配備すればいい。今の長尾家が急いで購入する必要性は皆無。そこまでを初見で見切ったのである。

 その戦術眼は、宇佐美定満のそれを大きく超えている。いや、果たして並び立つ者がいるのであろうか。あの轟音を、あの衝撃を、肌で感じて、これは守りの武器だ、攻めには使えない。ならば玩具だ、と笑い飛ばせる者が。

 普通は買う。家財が許す限り、買い占めたくなるのが心情であろう。それだけの光景だったのだ。それだけの衝撃だったのだ。

 だが、長尾景虎の眼は――

「し、しかし、守ることもあるだろう? 戦をするのだ。攻める時もあれば守る時もある。今、購入しておくのも悪い選択肢ではあるまい」

「…………」

「これまた驚きですな。反論まで直江殿と同じと来た。それにも御屋形様は答えておりましたよ。まあ、ちょっと過激でしたが」

「なんと答えられていた⁉」

「ふはは、酔うておりますな。随分と前のめりだ。冷静な宇佐美殿らしくない」

 定満は今、微塵も酔いなど感じていなかった。ただ、自分が有用であると認識したものが、無用であると断じられた、その事実に顔を歪めていたのだ。

「俺が守ることはない。反乱なれば上田の時のように自ら出向く。黒田が時でも城内を逆に攻め落として見せる。守らぬから、俺は強いのだ、と」

「そんな、馬鹿げた、ことが」

 眩暈がする。上田の時にも感じた自らが不要なのではないか、と言う懸念。今回の戦で払拭したはずのそれが、足元をジワリと侵す。

 考えれば考えるほどに、確かに長尾景虎の戦に鉄砲は必要ない。噛み合わない。関東へ攻め上がるのも、信濃へ赴くのも、反乱を鎮圧するのでさえ、あの男は全て攻め寄せる側。攻めて、奪い、勝ち取ることしか考えていない。

 幼き日の城郭模型も、彼は守り手の工夫に腐心するも、それは攻め取る時の楽しみを増やすため、であったことを定満は思い出していた。

 あの時眩しく感じた才気が今、定満の心を裂く。

「戦の天才なのでしょうな、御屋形様は」

「……うむ」

 酒が何の味もしない。鉄砲を見て心躍っていた己が阿呆のように感じてしまう。景虎はその場で全てを掴み、無駄な出費すら避けて見せたのに、己は――

「疑う必要はありません。ただ従えば良いのです。争いごとに関して、御屋形様が違えることはない。我らは粛々と従うのみ。争いごとに関しては、ですが」

「おや、直江殿は不穏なことを申されますな」

「御屋形様により良き道を用意するのも臣下の務めかと。私は御屋形様の穴を埋める、そのために仕えているのですから」

「本当に酔うておられるようだな」

 実乃が実綱を見て笑う隣で、定満は空虚な想いで月を眺めていた。実綱は穴を埋めると言った。確かに彼ならば荒事以外の所で輝けるだろう。

 しかし己は、戦働きこそが真価である己には、そんなこと――

 酒の味がしない。香りも、無い。


     ○


「御屋形様、突っ込み過ぎです」

 月を見ながら囲碁がしたいと駄々をこねた景虎の相手をする文。近侍の甘粕はとうに眠りにつき、梅も当然のように寝ている頃合いである。

「急に地を荒らしたくなってのぉ。これでこの地は荒れるぞぉ」

「地もわずかしか残りませぬが、黒石は全滅。損な手です」

「ぶはは、この黒石こそがな、俺だ」

「死にますよ」

「最後は、そうなる。覚悟が無ければ踏み込まぬよ。だがな、こうして踏み込まねばこの地は、秩序は、何一つ揺らぐことも無かろうがよ」

「……碁の話ですか?」

「いや、俺の人生の話だ」

 攻めて、攻めて、攻め寄せる。相変わらずのキレ味であるが、これが碁盤である以上、文は冷静に、着実に打ち回し、景虎の黒を殺さんとする。

「最近、揺らいでおる。ぬしらのおかげか、せいか……だからな、ぬしには話しておく。俺が何を見て、何を感じ、何故死なんと思ったのか、を」

 文は無理攻めを通させず、完全に殺し切った。

 踏み込んだ景虎の黒は物の見事に全滅、影も形を残らずに討ち取られてしまう。

「何故、私なのですか?」

「言わんとぬしは、梅の居場所を奪おうとする。実綱の娘らしいやり口だが、それを見逃すほど俺も阿呆ではない」

「何の話でしょうか」

「とぼけるな。伊勢守の家からついてきた連中を焚きつけておるのは知っておるぞ。連中からすれば梅の変心は飲み込み難いことであろうしな。まあ、最近は俺の変調を見て、手を緩めておったのも知っておるがな」

 顔をしかめる文を見て、景虎はニヤリと笑う。

「……それで、何故咎めぬのですか?」

「無意味だからだ。全て話した後、ぬしがそうしたいと思えばするが良い。俺も約定を守るため、それを阻むまでよ。だが、まずは聞け」

 全て話す。そう言ってから随分時が流れた。話すべき内容を吟味するなど、彼らしくはないだろう。普段は思ったことをそのまま口にするくせに――

「……承知致しました」

「俺の経験と、目的を話す。これを話すのはぬしが最初で最後だ。誰にも言うでないぞ。生涯、胸の内に仕舞っておけ」

「梅さんには?」

「俺の周りが煙たくなったら逃げろ、とは伝えてあるが、それだけだ」

「……何かあるのですか?」

「あるのではない。起こすのだ。この俺が、な」

 景虎は黒石を玩び、嗤う。

「その果てに俺は死ぬ」

「……!」

 景虎は彼女にのみ伝える。己が大望を。どういうものを見て、聞いて、触れて、その考えに辿り着いたのかを、全て包み隠さず伝えた。

 自分でも完全に言語化出来ていない怒りを、噛み砕きながら――

「――理解出来るか?」

「出来ませぬ!」

「ぶは、であろうな」

「……ただ、意図はわかりました。本当に、酷い人ですね、景虎は」

「すまぬな」

「それを何の利害なく、私を止めるためでもなく、ただ話して欲しかったと思うのは、きっと傲慢なのでしょうね、私の」

「すまぬ」

 今日、あの日の虎千代を知る者が二人となった。彼があの日何を決意し、そのためにどう動こうとしているのか、それを知るのは彼女のみ、である。

 その結果、直江文の暗躍は途絶えた。今は、ただそれだけ。

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