第伍拾捌話:時代を彩るモノたち

 時は遡り、天文十一年、六月。上杉定実の自らの出家を盾にそれまでの姿勢を捻じ曲げ、伊達稙宗の子、時宗丸の入嗣推進派に鞍替えしたのが四月のこと。優柔不断と誹られながらも、その時点での最善手を打った晴景であったが、現実はあまりにも無情な結末を迎える。たった二か月、二か月で状況がさらによじれたのだ。

 その件も含めて嫡男晴宗と稙宗の関係は悪化の一途をたどり、稙宗の構想が彼に響くことなく、時宗丸が越後へ出立する直前、鷹狩の帰り道であった稙宗を捕らえ、幽閉するという事件が勃発した。これで稙宗が没すれば強引だが家督継承と言う形で幕を下ろせたが、残念ながらそうは問屋が卸さない。

 何と稙宗は側近によってすぐに救出され、不死鳥の如く復活し、諸勢力に協力を要請し、陸奥のみならず奥羽全域を巻き込む骨肉の争いへと移行する。

 元々一代で伊達家を巨大な勢力にした男である。老いてなお壮健、実力もある彼の下には錚々たる面々が集い、一気に晴宗を追い込んでいくが、これまた曲者揃いの東北勢、大人しくまとまることなく仲間割れによってこれまた陸奥の実力者蘆名氏が晴宗方に転じ、形勢逆転。最後は1548年、将軍足利義輝の仲裁によって稙宗隠居、晴宗が家督継承となってこの騒乱自体は終息する。

 ただし、ここから伊達家の凋落は始まり、かの有名な伊達政宗の時代まで陸奥地方は混沌に包まれることとなる。全ては越後上杉を挟み、戦国黎明期の巨人、長尾為景と伊達稙宗の鍔迫り合いが原因。結果として両者痛み分けなのが面白いところだが、当事者である長尾、伊達にとっては笑い事ではない。

 当然、足掛け六年にもわたる騒乱が起きた以上、入嗣の件はとん挫する。直前で鞍替えした長尾はまたしても馬鹿を見る羽目になった。

 何度も言うが、長尾晴景はこの件でただの一度すら悪手は打っていない。為景と稙宗の力比べ、その尻拭いに終始し、その時その時、出来ることをした。だが、だからと言って結果がついてこないのもまた、現実なのである。

 伊達家内紛があと二か月、早まっていれば優柔不断の烙印を押されることもなかっただろう。中条、平子、直江のせいで国が荒れたのだ、と押し付けることすら出来たはず。全ては時勢、世の流れが彼に傾かなかっただけ。

 しかして結局、そこが史に名を残す者とそうでない者の差なのかもしれない。

 同時期、時流に乗る綺羅星たちは皆、飛翔して行ったから。


     ○


 さらに遡り、虎千代が越後に戻った時期とほぼ時を同じくして、天文十一年三月、三好利長改め三好範長は父の仇の一人である畿内の実力者木沢長政の下へ駆けつけた。遊佐氏との死闘の最中、援軍と思った長政は三好の旗印を見て愕然とする。

 そう、彼は同じく父の仇の一人である主君、細川晴元より木沢長政討伐の命を受け、援軍として戦場に参戦したのだ。

「時勢を読み違えたなァ、長政ァ」

「三好のガキが!」

「潰せ」

 ただでさえ同盟相手からの援軍を心待ちにするほど拮抗していた戦である。そこに畿内でも頭角を現す三好軍が詰めろをかけてきたのだ。

 木沢方の側面を突き、世渡りによって上り詰めた梟雄、木沢長政の軍勢を蹂躙していく三好軍。長政はただ愕然と自身の権勢、上り詰め間違いなくその手に在ったはずの、『全て』が崩れ去っていく様を感じ取っていた。

 ほどなく長政は撤退を指示し、何とか逃げ出そうと画策するも、それを許すほど遊佐、三好の軍勢は甘くなかった。

「雑魚が」

 若き三好範長は対外的には父の仇であるはずの、木沢長政の首を一瞥しただけでそのまま興味が失せたように京の方へ視線を向ける。

 もはや若き野心家にとって踏み外した人間の討伐など大した意味はなかった。彼の死によって空いた席。あとどれだけ潰せば、自分が彼らの座るそこまで辿り着けるか、怪物の頭にはそれしかない。彼にとっては父も踏み外した落伍者でしかない。

 この世全ては己がモノ。三好と言う家ですら、己を引き立たせるための道具。

 深淵の蛟竜、躍動ス。


     ○


 同年八月、関東に激震が走る。

 尾張の織田信秀が三河国を実質支配する松平家の居城、岡崎城へ向け信秀自らが軍勢を率いて攻め寄せてくるとの報せを受けた松平家。これはまずいと判断した松平家は隣国、遠江国と駿河国を支配する今川氏へ救援を要請。今川家はこれに快諾し、今川義元の懐刀、九英承菊が援軍を率いて現れた。

 今を時めく守護、守護代をもしのぐ尾張の雄、織田信秀と東海道の覇者今川家。さらに近年当主の急死から弱体化しつつも三河国を実質支配する松平家。三者三様の思惑が絡む戦が勃発した。誰もが今川、松平の勝利を確信していたが、

「殿、我が方の勝利でございます!」

「あの今川を破った! 我ら弾正忠家こそが最強だ!」

 結果はまさかの織田方に軍配が上がる。織田の軍勢は大いに盛り上がり、士気もうなぎ上り。このまま岡崎城へ攻め寄せるべし、と言う意見も出始める。

 だが、父からの地盤を引き継ぎ、ここまで高めた実力者、織田信秀だけは何とも言えぬ違和感に顔をしかめていた。戦自体は文句なしの勝利である。もちろん相手は今川と松平の連合軍。無傷での勝利とは言えない。

 それでも周りの評価を覆すだけの結果ではあった。

 喜んでしかるべきの。

「……我が方の損害を調べよ」

「はっ! その後は岡崎城、ですな」

「……それが出来るなら、の」

「……?」

 手応えはあった。間違いなく勝利したのだ。あの今川に。

 しかし結果として――この年、織田信秀が岡崎城に手をかけることはなかった。それどころか信秀が岡崎城を得るのは今より五年後のことである。

 それも、そこでは攻め落とせたが――

 晩年、信秀はこう吐き捨てた。北条氏綱の時と同じ、『あの男』は自分を勝たせ、西三河を取らせたのだ、と。手を広げ過ぎたがゆえ、隙を生むことになった、と。その結果かどうかはともかく、現実として信秀はここより数年絶頂期に至り、それから一気に勢いを欠き、翼をもがれたかのように墜ちることとなる。

 そして三河を得たのは、織田でも松平でもなく、今川であった。


     ○


 しばし時は流れ――

 北条氏康は偉大なる父、北条氏綱の後をしっかりと引き継ぎ、今のところ何の問題もなく日々を過ごしていた。荒れ模様なのは今川との境界線、父が奪い取った河東地域のみ。それも小規模な争いが頻発するぐらいで、大きな問題には至らない。

 万事抜かりなし。平時だからこそ、勢力を整える手間を惜しまず、盤石の態勢を整えんと忙しい日々が続く。

 懸念はない。今のところ、何も。

「今川の様子は?」

「織田に敗れた後も特に変わった様子は」

「……そうか」

 何もない。だからこそ、怖いと氏康は思う。父が悔いた理由、勝ち過ぎるなと言う言葉が重くのしかかる。何かある。あるはずなのだ。

 自分が見逃している、何かが。

 されど思いつかない。

 それこそ、天変地異でも起きない限りは。

「いや、いくら何でもそれはありえない」

 ちらりと過ぎる天変地異とさして変わらぬ荒唐無稽な妄想。氏康はそれを浮かんですぐにありえないとかき消した。北条早雲が関東に現れる前から、関東が乱れていたのは『彼ら』が反目し続けていたから。

 その『彼ら』が手を結ぶなど、それこそ天変地異であろう。


     ○


 例えそこに、

「ふむ、我ながら上手い字だ。師を超えたと思わぬか、承菊」

「まだまだですな」

「手厳しい。では、『両家』に頼むよ。つつがなく、ね」

「承知致しました」

 誰かの影がちらつこうとも。

「何事も分相応でなければならない。さて、三代目新九郎、そなたの分を私に示してもらおう。なに、大したことではないよ」

 穏やかなる笑顔の男、山を動かさんと画策す。


     ○


 この時代、大勢が輝きを示す中、誰よりもその武威を示したのはこの男、武田晴信であった。武田信虎の時代、今川と血縁関係を結び、山内上杉、扇谷上杉の両家とも良い関係を築いた上で、厄介な相手は北条くらいのものであった。

 ただ、今川、両上杉家と結んでいる以上、北条とて手出しは難しい状況でもあった。北条には両面との同盟で蓋をしたも同然、後顧の憂いなく隣国信濃を攻められる。その際、信濃の実力者諏訪氏と結び、共に佐久郡、小県郡などで戦っていた。

 これが信虎時代の話。

 しかし、晴信と信虎の仲は息子が追放した通り大変悪く、やんちゃくれの息子が親の路線を追従するなど考えられない話だった。

 案の定、晴信は早々に信濃の諏訪氏に対し、惣領家に不満を持つ諏訪庶家である高遠氏らと手を結び、侵攻を開始した。諏訪氏には信虎が娘を、つまり晴信の妹を嫁に出しており、血縁関係があったにもかかわらず、この蛮行に及ぶ。

 通説ではこの戦の手前で、当主交代の隙を突き諏訪氏が信濃守護小笠原氏と手を組んで、甲斐へ侵攻した、と言われているが、この瀬沢の戦いには疑問点も多く、明確な一次資料も現状存在しない。この戦の存在自体、武田方に色々と都合が良いため後世の創作ではないか、と言われている。

 武田と反諏訪惣領家連合軍は諏訪惣領家を圧倒するも、諏訪惣領家も意地を見せ桑原城下にて防衛線を展開、何とかしのぎ切る。

 防衛も成功したので和睦も通るだろう、と諏訪惣領家は武田に和睦を申し込み、晴信もそれを受け入れた、のだが――

 条件は生命の保証と引き換えに、諏訪郡から撤収。甲斐で過ごせ、というもの。

「馬鹿な連中だな」

「……謀ったな、晴信!」

「俺の狙いは信濃全土の支配だぞ? 何故ぬしらを許すと思った? 冥途の土産だ、よく覚えておけ。歴史はな、勝者が創るんだよ!」

 諏訪惣領家当主、諏訪頼重らを『自刃』させ、諏訪惣領家を滅ぼした。

 しかも武田晴信の進撃はこれで終わらない。

 これまた後世では、この後宮川よりも西の諏訪郡しか得られなかった先の同盟相手、高遠氏が不満を抱き、武田領となった諏訪郡の上原城を攻め落とした、とされる。ただ、普通に合意に至ったはずの条件が元で、僅か二か月後に仕掛けてくることなどあり得るだろうか。その合意自体がかなり強引なものであったり、意に反したものであったり、そもそも合意自体がなく、力ずくで領土を決めた、とでも考えないとこの流れは少し不自然ではある。

 歴史では欲をかいた高遠らが武田領へ侵攻、そこから俗に言う宮川の戦い、が始まったとされる。それが歴史、なのだ。

「奴らは逆賊だ! 俺たちにはこの、千代宮丸がおる。諏訪を治めるにふさわしきは、俺たち武田と言うことだ。皆の衆、俺たちの正しさを世に示せ!」

「応!」

 千代宮丸、言葉も話せぬ赤子を晴信は掲げた。この子は亡き諏訪頼重と武田信虎が娘との子である。自らが殺した男の息子を大義として、武田晴信は諏訪支配及びこの戦の正当性を世に示したのだ。ちなみに、甲斐で引き取った際、晴信はこの子の名を今の千代宮丸と改めさせている。元の名は寅王丸、であった。

 大義と力によって武田は宮川にて高遠を破り、敗走させる。その際、高遠家当主高遠頼継の実弟を仕留め、八百人近くを殺したと言われる。

 こうして武田晴信は信濃の諏訪郡を掌握した。

 ここまでの血生臭い流れが天文十一年、たった一年間で行われたのだ。

 そして翌年、諏訪を平定した後はさらに信濃侵攻を本格化、元々信虎が攻めていた小県郡の方に手を出し、信濃国衆長窪城主大井貞隆に狙いを定める。

 長窪城を攻囲し、敵方の家臣と内通し徹底抗戦の構えであった城主、大井貞隆を捕らえ、長窪城を手にする。さらに大井に味方した佐久郡の望月氏も破り、まさに破竹の勢いで力を示し続けていた。

 父よりも強引に、腕力にモノを言わした力攻め。

「俺はとうに、父を超えている!」

 さらに翌年、天文十三年、戦だけではないと父の代では敵対していた北条氏と和睦し、今川、北条両家と対立することなく手を結ぶことが出来た。

 これで後顧の憂いは完全に断たれた。信濃攻めに注力することが出来ると共に、厭戦感の漂う今川、北条間の橋渡しとなれば彼らに貸しを作ることが出来る。

 自分は政治も出来る。

 そしてそれ以上に――

「くく、上等だ。やってやる。信濃守護がナンボのもんじゃい!」

 強かった父よりも己が優れたることを示す。

「俺は武田晴信様だ!」

 景虎が初陣を飾った栃尾城の戦いと同年、諏訪を奪われた高遠頼継が信濃守護小笠原長時の助力を得て再起する。武田晴信はそれを迎え撃つために戦力を整える。

「御屋形様、声が大きいですよ」

「うるせえ次郎」

「信繁、もしくは典厩とお呼びください」

「はいはい。とりあえず……勝つぞ、信繁」

「もちろんです、兄上」

 信濃守護小笠原氏率いる軍勢、迎えるは武田兄弟。

 天文十三年から十四年に渡る高遠合戦を前に血濡れた道を生き急ぐ兄を、弟はどう見ていたのだろうか。その思惑が語られることはないのだが。

 力に満ち満ちた若き怪物、さらに飛翔せんと天に手を伸ばす。


     ○


 畿内では三好が、東側では織田や武田が暴れ回る。北条も盤石、今川は精彩を欠いているように見えるも、そもそも地力が違い過ぎる。

 畿内より西も、決して落ち着いていたわけではない。この時代、争いは何処も絶えないのだ。西から東、北から南、何処も戦火に塗れていた。

 だからこそ、戦国時代と呼ばれるのだ。

 さらに天文十二年、大隈国、種子島にポルトガル人が漂着する。

「これは何じゃ?」

『なんと伝えれば良いものか』

『撃てば伝わるだろ。度肝を抜かすぜ』

『違いない』

『五峯。今から実演すると伝えてくれ。びっくりして死なんように、ともな』

『わかりました』

 ここもまた、時代の分岐点が一つ。


 あらゆる事件が、人物が、戦いが、暗躍が、絡まって歴史を織り成す。

 ここより時代はさらに加速する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る