第参拾肆話:誤算

 数の利を生かすにもそれなりの工夫がいる。一番は包囲して長槍などで触れずして倒す、これが上策であろう。寡兵であっても有効な兵法の王道こそリーチの差を生かす戦い方である。だが、夜とは言え東の都駿府、隠れ潜むにしても長槍は目立ち過ぎるがゆえに持ち合わせておらず、弓も同士討ちを避けるために用意していない。数で押し包み、圧殺する。出来ると考えていたのだろう。

 だが、

「甘ァい!」

 宇佐美新兵衛、長尾虎千代の強さだけは彼らも想定していなかった。鎖の弱い部分と成るはずの男が、屈強な僧兵たちよりも武芸が達者なのだから質が悪い。

 しかもこの男、人を殺すのに微塵も躊躇が無い。むしろ見せつけるようにあえて凄惨な殺し方をするなどの余裕すらある。

 向かってくるならば殺す。惨たらしく。

(……戦意は折れぬか。どうやら銭以外にも戦う理由がありそうよな。人質でもいるのか、それとも敵討ちか、ふん、厄介だ)

 虎千代は大いに揺らぎつつも後退する気配のない一団を見て、僅かに眉をひそめた。脅しが通じぬ以上、消耗戦は避けられない。ここで普段、腕利きの僧兵を護衛としていたのが裏目に出てしまう。おそらく、この一団を形成した者は彼らの実力を知り、なればこそこれだけの数を用意していたのだろう。

 自分一人だけならば、相手も侮りもう少し楽な布陣であった可能性もある。まあ、今更何を言っても仕方ないのだが。

「我が事のみを考えよ。己が生きれば、皆生きる」

「はっ!」

 大事なのは誰も崩れぬこと。僧兵三人、自分一人、背中合わせとすることで対応する範囲を四方から一方に絞る。全員が卓越した者であることが条件であるが、これを同じ間合いの武器で打ち崩すのは骨が折れることだろう。

 とは言え――

「やらねば、ならぬ。やらねば、ならぬのだ」

 じりじりと詰め寄ってくる彼らの眼には恐怖がある。先んじて突出してきた者たちも耐えられなくて、進み出るしかなかったのだろう。普通なら後退するところ、それをさせない何かが彼らを縛り、後ろに下がることだけは許されていない。

 厄介だ、と虎千代は思う。下手をすると彼ら相手に脅しは逆効果になりかねない。恐怖で理性を消し、死兵と化した者たちを討つは容易くないのだ。

 どちらにせよ、血みどろの戦いになる。


     ○


 長丁場の戦い、嫌でも疲労がたまっていく。相手も退く姿勢を見せず、間断なく攻め寄せてきて少しずつ、少しずつ、虎千代にも傷が増えてきた。

 普段とは違い、待ちの戦いであることも虎千代の消耗を誘っていた。碁の時にも思ったがそもそも受け身の状況がどうにも苦手であり、能動的に仕掛けていきたい性質なのだ。だが、これだけの戦力差でそれは自害するようなもの。

 ぐっとこらえるしかない。

「…………」

 しかし今、虎千代の頭の中には自らの消耗とは別に、僧兵たちの振舞いを理解できないことへの苛立ちもあったのだ。

 何故か、それはわかる。自分がそう仕向けた。神がかり的な勝負強さを示し、彼らを惹きつけ自らの手駒としようとしたのは他ならぬ自分である。

 ただ、それにしても――

「今のも俺の領分だ!」

「申し訳ありませぬ!」

 明らかに彼らの献身は度が過ぎていた。我が事に注力せよ、そう命じたにもかかわらず、どのような局面に置いても全て虎千代を第一に置き、その結果彼らは必要のない手傷を重ねていたのだ。今のも少し虎千代寄りに向かってきた敵の攻撃を、無理やり体を差し込み、自らの敵として対処する。

 その結果、

「ぐっ」

 不覚傷を負っても、

「オオウ!」

 それでもなおブレない。三人が三人とも、虎千代の思う以上に虎千代を守ろうとするから、無理が生じて傷が増す。敵も大勢死傷しているが、僧兵たちも満身創痍に近い状態であった。槍を支えに何とか立っている者もいる始末。

(……何故だ?)

 虎千代には理解できない。何故なら彼は何かを崇拝したことが無いから。誰かに愛されたい、認められたい、そういう欲求はあっても、身も心も捧げたいと思ったモノは存在しない。それは彼が本質的に崇拝される側だから、かもしれない。

 命を賭してでも虎千代を守ろうとする彼らを理解できない。それによって策が乱れることも、策が乱れてなお盛り返すほどに士気が高まり、満身創痍でも敵を圧倒する底力も、虎千代にはまるで理解できなかった。

 彼はここまでのことを求めていない。

「これ以上は……すまぬ皆、宇佐美殿を頼むぞォ!」

「待て、早まるな!」

 不覚を取り、刀を突き立てられたまま、敵を力ずくで押し込み、川へ落ちる一人の僧兵。二人ほど抱きかかえて落ちたが、誰も浮かんでこない。

 決死、その迷い無き眼が虎千代を穿つ。

 そんな彼と同じ眼をしている彼らを、虎千代は怖いと思った。自身が思う以上に自身の策は効果を発揮していたのだ。命すらも顧みない死兵、虎千代への、宇佐美新兵衛への信仰が、彼らに殉教の道を選ばせる。

 虎千代は知らなかった。思い返せば今まで彼は一度として他者を使って何かをしたことが無い。ほぼ廃嫡同然の自分に使われようという酔狂な者は、少なくとも表立ってはいなかったし、元服前の自分にはそんな機会もなかった。

 何となく出来そうだとは思っていたが、ここまで出来るとは、出来過ぎるとは思わなかったのだ。何故ただの人間でしかない自分に、少し前に会ったばかりの男に、ここまで尽くすことが出来るのか。命を捧げることが出来るのか。

 わからない。何も、理解できない。

「宇佐美殿ッ!」

「ッ⁉」

 自分でもわからぬほどに揺れ、生まれた隙をたまたま敵が突く。完全なる自分の失態、その贖いは自らの手で、自らの身で受けねばならぬのに――

「良かった、ご無事ですか?」

「あ、ああ」

 身を挺し、守られてしまう。ジワリと滲む血は衣服の上からでもそれが取り返しのつかぬモノであることがわかった。自らの失態、その贖いを他人の命で払う。自分が殺めるのは良い。自分が殺められるのも、最悪飲み込める。

 だけど、この構図には、名状し難い嫌悪感を覚えてしまった。

 彼らは何も悪くない。

「……何故、ここまでする?」

 全て善意であり、感謝することはあっても、其処に嫌悪など抱きようはずがない。嫌悪しているのは、こうなると理解せずに惹きつけようとした、己。

「宇佐美殿は神の化身、当然のことです。お気になさらず」

 血を吐きながら僧兵は微笑む。曇りなき眼。僅かばかりの悔いすら、無い。

 虎千代の代わりに致命傷を負ったというのに――

 長尾虎千代は知らなかった。自分が特別である自覚はあっても、今までの旅で唯一無二ではないと知ったことで、逆に思い至らなかった。家を守らんとする強かさを持つ長野業正。剣も道を極めんとする上泉秀綱。五色備えという牙と、自身もまた鋭い爪牙を持つ北条氏康。計り知れぬ今川義元に、一線を退いてなお凄みを見せた武田信虎。彼らを知ったことが、虎千代を勘違いさせてしまう。

 自分と同じ、近しい器量を持つ者は少なくない。勝負の綾、勝つべき分かれ目を見逃す者は彼らの中にはいないだろう。優秀な者たち、自分もまたその一部。優秀な者であればこれぐらいは出来る。それが勘違いの要因。

 今宵、この局面を招いた原因であった。

 彼らは皆、例外はあれど史に名を刻んだ怪物たちなのだ。現代まで連綿と繋がる歴史の中で、いったいどれほどの名が時代を超えたと言うのか。

 優秀なだけでは名など残らない。優秀かつ何かを持っている者こそが史に名を刻むのだ。そんな彼らを基準に物事を考えてしまった。

 上質な出会いが、虎千代の秤を狂わせていた。

「必ずお守りいたします!」

「この命に代えても!」

 長尾虎千代が、宇佐美新兵衛が示した力。神がかり的な、奇跡。それは人を狂わせ、虜にする魔性をはらんでいた。その強度を、利用しようとした本人が理解できていなかった。だから、こうなってしまう。

「い、いい加減にしろ! 今回の件、ぬしらの住職も関わっているのだぞ!」

「知らぬ!」

「どうでも良い。我らの主は、宇佐美殿のみよ!」

 自分の強さを、輝きを、他者からどう見えるかが欠落してしまっていた。一向宗の住職、道詮から自分はどう見えていただろうか。自分の『力』、信仰を遥かにしのぐ力を前に怖れ、怯え、逃れたくなったのではないだろうか。

 富では打ち消せぬほどの、畏れ。

 それを虎千代に見たから――

「自分を優先しろよ! 人間だろうが!」

 虎千代は力いっぱい斬り捨てる。敵もかなり減った。僧兵たちも満身創痍だが、彼らを捨て置けば囲みを抜けるぐらいは出来るだろう。そして彼らはそれを見て充足を得る。自分の人生に、最後の時に希望を見る。

 それがたまらなく嫌だった。

「何か、おっしゃいましたか?」

 もはや隣に立つ者の叫びすら聞き取れぬ者、

「…………」

 槍を支えに、立ったまま命を散らせた者。全て自分のせいである。自分が駿府に訪れていなければ、今川にけん制するための策など考えねば、彼らがこうして死ぬことはなかった。道詮の、一向宗の武力として生き永らえていただろう。

 自分を慕う者を、自分が殺したのだ。その現実が、重くのしかかる。

「どいつも、こいつも」

 虎千代には理解できない。おそらく生涯理解できることはないだろう。彼は強き者として生まれた。誰かに寄りかかることなど絶対にしない。する必要が無い。彼はただ一人で完結できてしまうから。弱き者を理解することなど、出来ない。

 しないのではなく、出来ない。

「そんなに死にたけりゃあ全員まとめてぶち殺してやる!」

 苛立ちが虎千代から正常な判断を奪う。逃げ出せば生き延びられるところを、あえてただ一人残った満身創痍の僧兵に背中を合わせ、抗戦の意思を示す。

「宇佐美、どの。どうか――」

「俺は宇佐美新兵衛ではない。越後の長尾虎千代だ!」

 周囲がざわつく。肝心の僧兵に伝わったかはわからないが、どうしても名乗らずにはいられなかった。彼らの内の一人が、まだ生きている間に。

 冥途の土産に、せめて――

「越後、長尾家、越後ってどこだ?」

「守護代……馬鹿な、ありえない」

「だが、これだけ武芸にも秀でているのなら――」

 宇佐美新兵衛として残した伝説に、越後長尾家の名が乗る。それで僅かに混乱する彼らの下に、一筋の閃光が煌めく。

「え?」

 刀を握る者の、手首を吹き飛ばすかのような強弓。それが間断なく打ち込まれ、残り少なくなっていた手勢を一気に減らしていく。

「な、なんだ⁉ 何が起きている⁉」

 そう言った者も、次の瞬間にはこめかみを打ち抜かれ、勢いよく地面に倒れ込みそのままピクリとも動かなくなる。

「全く、そなたはつくづく私の庭を荒らすのが得意なようだ。その名が決して安くないのはそなたも理解しているだろうに」

 暗闇の中から弓を担ぎ現れたのは、

「何だ、そのふざけた面は?」

「ふふ、今のそなたにだけは言われたくない。これは火男を模した面だよ。なかなか愛嬌のある顔つきだと思わないかい?」

 そんな、他愛もない話をしながら、口を尖らせたふざけた顔つきの男、そんな顔を模した面を付けた武士が正確無比かつ凄まじく強い矢を放ち、虎千代の敵を削っていく。意図がわからない虎千代はただ立ち尽くすのみ。

 あまりにも無慈悲なる殺戮に、とうとう逃げ出す者も現れ、戦況は完全に傾いた。虎千代、ではなく火男とやらの面を被った男に、である。

「海道一の弓取りが、本当に強い弓を打てるとは知らなかった」

「弓は得意なんだ。読めば当てられるだろ?」

「聞いたことねえよ、そんな理由」

 海道一の弓取り、それはこの駿府が座す駿河国と遠江国、東海道の覇者に向けられた称号である。弓取りとは弓を使う者、武士を表しているだけで、卓越した弓術を持つ者に授けられる名ではない。

「いいのか?」

「どちらの意味で?」

 面の下に浮かんでいるであろう意味深な笑みを察し、虎千代は顔を歪める。

「とりあえずは連中を逃がして、と言う意味で」

「ふふ、この辺りは私の手勢で包囲しているからね。蟻一匹逃げることはできない。それに道詮殿以外、今宵の首謀者たちにも手は打ってある。一応、整理するきっかけとなったことは礼を言っておくべきかな、長尾虎千代殿」

「……礼は要らねえよ、今川殿」

 火男の面を外し、いつも通りの笑みを浮かべた今川義元が虎千代の前に立つ。

「あはは、覚明から話を聞いているよ。義元で構わないし、最初の挨拶通り彦五郎でも構わない。どちらの名も気に入っているからね」

 そう言いながら、義元は虎千代の背後に回る。

「良い部下を持ったね」

「……どんな、貌をしてる?」

「良い笑顔だよ。虎千代殿の餞別が届いたのかもしれないね」

「……そうか」

 今の虎千代が浮かべている貌を、見た者はいない。悔いているのか、それとも悲しんでいるのか、それを知る者は誰もいないのだ。

「少々お時間頂けるかな?」

「拒否できる立場じゃない。煮るなり焼くなり好きにしろ」

「では、お言葉に甘えて少し話をしようか」

「死体の前で?」

「風情があるだろう?」

「……理解できねえ」

 義元が川を望む場所に手招く。ここで話そう、と言うことなのだろう。

 虎千代は小さく一言「南無阿弥陀仏」と唱え、そちらへ向かう。

「良い景色だね」

「どこが?」

「無常、今の世そのものじゃないか。光輝ける駿府の影に、屍がひっそりと倒れ伏している。光と影、これもまた一つの調和だよ」

 言っていることが何一つ理解できぬ、と虎千代は思った。この男と会話が成り立つ気がしない。だが、それと同時に話したいとは思った。

「どこからどこまでが今川殿の掌で、どこで俺は間違えた?」

「なるほど。まずは――」

 少なくともこの男は、自分の求めている答えを持つ者だから。

 無常の景色が広がる中、二人の男が並ぶ。

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