第参拾壱話:勝ち続ける男

 全国各地、地域によって寺社勢力の構図は大きく変わる。例えば越後ならば長尾家が推す曹洞宗が強く、ここ駿府ならば今川家が推す臨済宗が強い、と言った具合に。まあ時勢によって様変わりするもの、その地の有力者次第でもあり、その地に居を構える寺社勢力の根っこの強さ次第でもあるが。

 だが、根差すためには歴史が必要なのはどこも同じ、であった。

 そんな中、一向宗(浄土真宗)の広がり方は少し異質である。他の宗派に比べ新興である一向宗は独自の持ち味を生かし、爆発的に信徒を増やしていた。

 彼らの持ち味とは、つまるところ信仰に対するコストの少なさ、に帰結する。とにかく念仏、南無阿弥陀仏と唱えていれば救われるわかりやすさ、気楽さなどが、形式などを重んじる武家や公家とは異なる庶民にウケた。それに僧侶にとっても肉食妻帯が許され、戒律も存在せず、剃髪を行う必要もない、と良いこと尽くし。

 結果としてこの時点でも爆発的に勢力を拡大し、現代においては国内最大の勢力を誇るまでに拡大する。格式や権威は確かに大きな力であるが、最大の力とは人の多さである。一向宗の強みはマジョリティを掴んだこと、人を集め、自然と物流を、銭を握り、全国至る所に内在的な戦力を有したことにある。

 法主の一声で民衆は立ち上がり、一向宗の槍と化す。この時代、戦続きで百姓たちも戦い慣れしているのがその厄介さを際立ててしまう。

 織田信長、上杉謙信、その両雄をも苦しめた見えざる巨大戦力。その力は如何なる大名にとっても軽視できず、常に警戒の目を向けられていた。

 のだが――

「ぎゃははははは!」

「先生! 素敵!」

「甘ァい! もっと寄越せ! 肉もだ!」

「いよ! さすが東海道一の打ち手! 健啖家!」

「馬鹿野郎! 世界一だ、ぶはははは!」

 長尾虎千代は駿府にあるとある一向宗の寺で、酒池肉林を満喫していた。

「イッキ! イッキ! イッキ!」

「おお、飲め飲め、俺様のおごりだ! 一滴たりとも残すなよ!」

「先生の酒、五臓六腑に染みわたります! おかわりィ!」

「ぶはははは! 愛いやつめ。おかわり持ってこーい!」

「先生のおかわり入りましたァ!」

 両手にやたら美人な尼僧を侍らせ、暴食の限りを尽くす虎千代。ついでとばかりに僧兵や信徒たちの酒や肉も銭を撒いて用意させる。あまりの太っ腹具合に、気づけば彼はこの場の王となっていた。さながら現代におけるホストクラブの太客が如く。

 銭が舞い、酒が飛び散り、酒池肉林。

「先生、そろそろ」

「おう、御院か。そんじゃ、ちょっくら稼いでくるとするか。今日の相手は公家か、それとも武家か、いずれにしても、毟り取るだけだがのォ」

「頼みます」

「任せとけェ」

 この寺の住職である道詮の呼びかけに応じ、長尾虎千代はのそりと立ち上がる。侍らせていた尼僧は顔を曇らせ、

「新兵衛さま、行っちゃいますの?」

「行っちゃやだぁ!」

「即行ぶっ潰して再開するから先に酒と肉と菓子、クソほど買い足しとけ」

「「やったー!」」

 尼僧も、僧兵も信徒も虎千代改め宇佐美新兵衛(偽名)の大盤振る舞いに狂喜乱舞する。ちなみにこの尼僧たち、道詮の趣味で信徒から選び抜かれた精鋭であり、それが虎千代に擦り寄る様を見て、道詮はちょっぴりしょんぼりしていた。

「三日ぶりか。さすがに勝ち過ぎたかよ」

「ええ。ですが、だからこそ今回の敵、厄介かと」

「安心しろ。俺は負けねえよ。そっちが準備するのは俺が勝った後、連中がゴネないようにきっちり兵力を整えておくことだぜ」

「そちらは万事抜かりなく」

「なら良し」

 いつの間にか主従が逆転し、虎千代が先陣を切って歩む。戦力を引き連れて威風堂々歩姿は、まさに王そのもの。

 路銀稼ぎの一助が目的だったはずだが、気づけばこの駿府に馳せる、一大勢力を構築しつつあった。狐面の男、宇佐美新兵衛。

 その名が東の都にて、轟く。


     ○


 今川義元は報告を聞いて、

「あっはっはっはっは!」

 人目もはばからずに大笑いしていた。と言っても、この場にいるのは碁の指導を依頼された覚明と報告にやって来た九英承菊だけであったが。

「……虎千代。何をしておるのだ」

 ちなみに承菊も彼のことは義元より聞いており、この場では皆彼が越後の長尾虎千代であることは知っている。

「偶然か、それとも――」

「さて、どちらだろうか。いやはや、どちらであっても恐ろしい男だよ。まだ元服前であるにも拘らず、随分と人様の腹の中で暴れ回ってくれたものだ」

「承芳、虎千代は悪意などない。ただ、やり過ぎてしまう面があるだけだ」

 承芳と言う呼び方は、本来還俗した義元を表すものではないのだが、本人の強い希望で二人、ないし承菊のいる場ではそう呼ぶようになっていた。

「そうでしょうか? 私には彼が悪意はともかく、害意を持ってことに臨んでいるように思えますが。選んだ勢力を鑑みても……」

「それは!」

 承菊の発言に覚明は顔を歪める。確かに彼の言う通り、虎千代のやり口はあまりに性急で、凄まじいほどに苛烈、敵を大勢作ってしまうものである。

 それこそ、管理者たる今川にとっても――

「覚明、慌てなくて良い。承菊も喧嘩腰はいけないな。彼には間違いなく、害意があるよ。ただしそれは、自分たちに手を出すならば刺す、と言うものだが。こちらが手を出すならば黙っていない、どんな手段を用いても噛みついてやる、と。けなげではないか。何よりも発想が豊かだ」

 義元は面白そうな笑みを浮かべていた。観察するに、これほど面白い存在もいないだろう。たった二週間と少し、瞬く間に彼は一向宗を味方につけて、駿府で暴れ回った。覚明に鍛えられた技術をこれでもかと利用し、道詮を唆して短期間に大勝負を連発、これに勝ち続ける。折角丁寧に力を削いでいた駿府の一向宗が今川の意に背く形で、以前にも増して急激に力を伸ばしてきたのだ。

 その原因が全て賭博なのだから恐ろしい話である。

「私たちは公家に阿るため、私自身、承菊の伝手を最大限生かすために、駿府を、駿河を、臨済宗で染め上げるつもりであった。最終的にはそれこそ、本山の機能をこちらに設け、名実ともに……などと考えていたのだが、そのためには今この地に存在する勢力を整理せねばならない。ただし、それらは上手くやる必要がある」

 敵を作るやり方で整理してしまえば後の災いと成り得る。極力、角が立たぬよう丁寧に、じっくりと時間をかけて削ぎ落としていく必要があるのだ。今はまだ義元が当主になって日が浅く、始まったばかりと言ったところ。

 しかし、それでも確実に、一歩ずつ、進んではいたのだ。

「これで一歩か二歩、遠のいたわけだ。しかも相手は一向宗、敵とするわけにはいかない。特に今は……はてさて、どこまで考えた上での行動なのか」

 偶然か、必然か。偶然であってもこの状況を掴んだ運量はすさまじく、必然であれば視野の広さ、閃き共に常人の理から外れているだろう。

 どちらであってもこの状況を創り出した時点で怪物。

「碁の強さなど問題ではない。如何なる名手であっても、この短期間でこれほどの勢力を構築することなど不可能。良かったですね、覚明」

「何がだ?」

「将器有り、と。これ以上ない証明でしょう?」

「……そう、だな」

「ふふ」

 揺らぐ覚明を見て、義元は微笑む。彼は真面目で、愚直で、純粋な人物であった。そんな彼にとって今の世は許し難く、だからこそ偶然越後で出会った才能に、力に、見出してしまったのかもしれない。

 自分望みを叶える力を。

 ただ、彼は同時に思慮深く、人並み以上に愛情深い。だからこそ彼は出家したし、ある意味でそれゆえに彼は今の世に絶望していたのだ。

 その愛情は今、彼に向けられているのだろう。だから迷う。何故なら彼の望む先に人としての、個人としての幸せなど存在しないから。

 それが王の、真に人を率いる者の宿命なのだ。

「彼はどこまで勝ち続けるのかな?」

 今川義元は推し量る。

 越後に生まれた龍の、その器を。


     ○


「聞いておらぬぞ! 碁ではないなどと!」

 道詮が怒るのも無理はなかった。多額の銭が動く大勝負、勝負の内容、日時、ありとあらゆる要素は事前に取り決めしている。勝負の内容は当然、囲碁だと決めてあったのだ。そのための代打ちである。それが反故と成れば勝負は成立しない。

 僧兵も色めき立つ。今宵はどうやら、血を見ずには終われぬようである。

 だが――

「サイコロ、か。構わんぞ。俺も遊んでみたかった」

 長尾虎千代は、断らなかった。

「宇佐美殿⁉」

「御院、どんな勝負でもな、俺は勝つんだよ」

 自信満々、威風堂々、如何なる思考をすれば相手が用意したこの場で、イカサマなど当たり前に存在するであろうはずなのに――

「さすがは新進気鋭の博徒、宇佐美殿! この丁半は単純明快、互いの意見が割れた時のみ勝負が成立し、掛け金が勝者の手に渡る、それだけ。いやはや、碁では宇佐美殿の快進撃を止められぬと苦肉の策でしたが、やはり名を馳せる御方は違いますな。如何なる勝負でも受けて立つ心意気、まさしく英傑のそれ!」

 虎千代を褒め称える敵方の男。まず、間違いなく何かの策がある。まさかわざわざ吹っ掛けておいて正々堂々運勝負、などありえないだろう。

「ただし――」

 だからこそ――

「そっちが勝負を変えてきたんだ。その分、勝負を続けるかどうかは俺が判断する。ああ、もちろんクソみたいな額で切り上げることはしねえよ。これはそっちが逃げないように、どっちかが死ぬまでやろうって話だ」

「死ぬまでとは穏やかではありませんね」

「無一文になるんだ。死んだも同然だろ。ケツの毛一本、残るとは思うな」

「……上等だ、クソガキ」

 相手の領域に、あえて踏み込む。虎千代はお面の奥より、相手の眼を見ていた。結局如何なる勝負であれ、戦うのは人である。眼を見れば、貌を見れば、相手がどれほどの人物か、ある程度計ることが出来る。

 ここまでの旅で突き抜けていたのは上泉と北条御一行。わからなかったのは今川義元。わからない相手と戦う気はない。突き抜けた彼らの領分で戦うのもまた、今の段階では避けたいところ。だが、それらよりずっと劣るのであれば――

「良い屋敷だな。金回りが良さそうだ」

「恐縮です」

 如何なる勝負でも勝てる。

 例えそこに――

「おやおや、運が良いですね。二戦してこちらが二勝。どうやら宇佐美殿は運勝負があまり得意ではなかったようだ」

 如何なる障害があったとしても――

「ぶは、どうだろうな。俺もそこが知りたいんだ。だから――」

 虎千代は護衛の僧兵から槍をふんだくって、流れるような所作で床に深々と突き刺した。床下から、絶叫が響く。槍を引き抜くと、そこから血が溢れ出る。

「やろうぜ、運勝負」

「ひ、ひィ⁉」

 相手の仕掛けは床下に忍ばせた人間であった。出目を床につけられた僅かな傷、隙間から覗き、それを伝えるという単純かつ床下に人などいないという心理に付け込んだイカサマ。看破するのは難しい。そもそもこのサイコロ賭博自体が、まだ誕生して日が浅いのだ。このイカサマも、この時代では最新鋭。

 ただ、相手が悪かった。

「続行だ。しっかり振れよ、おっさん。意図は込めるな。何も考えずにただ、運に任せて振ればいい。何かしたら、床下の鼠と同じ末路を辿ることになるぜ」

「……へ、へい」

「さァ、振れェ」

 本来であれば自らの領域、仕込みも上々、看破されたとしても状況は五分でしかない。それでも彼らは飲まれた。血と、何よりも虎千代が放つ尋常ならざる雰囲気によって。そして彼らは気づく。

 長尾虎千代は最初から、徹頭徹尾――

「う、宇佐美殿、もう、これ以上は――」

「続きだ続き。勝負の継続は、俺の権利だろ?」

 相手を殲滅することしか考えていなかった、と言うことを。味方すら怖気が走る勝負強さ。これはもう、仕掛けが看破された以上、ただの運勝負なのだ。続ければ続けるほどに結果は平坦になっていくはずである。

 勝敗は揺れ、勝負が長引くだけ。そのはずなのに――

「な、何をしている⁉ ぬし、まさか坊主どもに買収されておったか!」

「そ、そのようなことは。ただただ、私は賽を振っているだけです!」

「で、では何故、何故こうも結果が偏る⁉」

 虎千代は勝ち続ける。まるで勝つのが当たり前とでも言うかのように、自信満々に五分五分の勝負を自らに引き寄せる。

 敵も、味方の道詮も、僧兵たちも、彼に、長尾虎千代に神を見た。もはや人の業にあらず。理を超えた、圧倒的なまでの『力』。

 勝ち続ける人などいない。運勝負であればなおさら。だからこそ、この光景はありえないし、ありえないからこそ人は其処に神を見る。

 今日の虎千代は神がかっていた。相手をきっちりケツの毛まで毟り取って、駿府からまた一つ大きな商いをしていた家が消えることになる。

 その銭は全て、一向宗が、道詮が得る。

「う、宇佐美殿、こ、これは、やり過ぎでは?」

「御院。人間、欲のないことを言っちゃ駄目だぜ? 俺は其の方の、一向宗の欲深きすらも許容するところが気に入っているのだ。じゃんじゃん稼ごう。その銭で人を、モノを集めて、より巨大になろう。其の方が王だ、なァ」

「……は、はいぃ」

 道詮は生まれて初めて、勝ち続けることの恐怖を知った。今日もそうだが、この二週間ほどで勢力を拡大したのだが、それ以上に多くの敵を作ってしまった。だからこそ、そこから身を守るためにより多くの力が必要となり、結果としてさらなる敵を作る負の連鎖。それを生み出したのがこの男なのだ。

「なァに、勝ち続ければ良いんだよ。簡単なことだ」

 今日、駿府における一向宗はさらなる銭を得て、力を増した。自らが得た富を守るために、さらなる力を身に付ける。

 そしてそれは全て、ここ駿府における長尾虎千代の力と成るのだ。

 怪物は嗤う。高らかに。

 その眼は駿府の中枢、今川館に向けられていた。

 選ぶのはそちらだぞ、とでも言わんばかりに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る