第130話 夕方にはナーシアがやってきて、ラネス様もやってきたが……

 その日の夕方。

 ふたりで昼間のことを話しながら自室でゆっくりしていると、ドアをノックしてナーシアが入ってくる。


 どうやら魔術の勉強を見てほしいとのことだ。

 サティスは快く了承し、セトはそのさまを見守ることに。


「────であるからして、火の魔術のシンボルである"牙を向く太陽"は……」


「へぇ~、じゃあこの────……こうだから……────"嘲笑う鴉"をシンボルとした水の魔術のこの……あぁなるほど」


(なにを話してるのかさっぱりわからない……)


 セトはイスに座って勉学に励むふたりを見ながら首を傾げるばかり。

 魔術だけでなく、ほかの分野における学問でさえセトにとっては最早難解な呪文に近い。


 ふたりはわかったような顔をして納得しているが、一体この会話のどこに納得できる部分があるのかまるで理解不能だ。


 あまりに理解不能な会話を耳にし続けたことにより、セトの頭から湯気のようなものが立ち昇る。


「じゃあ少し休憩しましょうか。────あら?」


「セ、セト君大丈夫!?」


「なにが?」


「なにがって……すごい湯気だよ!?」


「大丈夫だ俺自身なにも問題はない」


「あ~、難しい話ばっかりしてたから頭が追いつかなくなっちゃいましたかね。紅茶を淹れましょうか?」


「あ、はい。お願いします。あぁ、サティスさんってすっごく教え方上手だから助かります」


「いえいえ、ナーシア様の理解力がとてもよろしいんですよ」


 3人でテーブルを囲いながらのひとときのティータイム。

 ほんわかとした薫りと温かさが、じんわりと頭の疲れをほぐしてくれるようで気持ちがいい。


「なぁ、ずっと気になってたんだが、なんで魔術ってそんなに難しいんだ? なんていうか、その……う~ん」


「ふふふ、"回りくどい"ですか?」


「そう、それそれ。火の魔術にしたってそうだ。いちいち変な説明やらなくったって火は火でいいんじゃないのかなって。これ作った奴はなんでそうしなかったんだろうって」


「そういえば……う~ん、これが当たり前なんだって感じで魔術を覚えてたから……なんでだろうね」


 ふたりはサティスのほうを見る。

 それに応えるようにサティスは嚙み砕いて説明した。


「様々な説がありますが、一番は『秘匿性』ですね。魔術は文字通り魔力を操る術です。その術を操る者は非常に重宝されてきました。ただ、魔術が産声を上げてまだ間もない時代では、自分や自分の認めた存在以外の者が同等の魔術が使えるというのを忌み嫌ったそうです。たとえどんなに小さな魔術でも、偉大なる力を他人に奪われるわけにはいかないって。しかし、後世には残しておかねばならない。ただそのまま残すと、敵に奪われて解析される可能性がある。そういうときにコテコテの比喩を使って暗号化したり、文化を組み合わせてシンボルを作ったり歌や呪文にして残したりして身内にだけわかるようにしたみたいです」


 今は呪文や概念などはおおよそ統一ははかられているが、それまでは様々な解釈と比喩が入り乱れて一種の闇鍋状態だったらしい。

 どこも考えることは同じだったらしく、編集者は大変だったのだろう。


 そんなことがあるのかとまるで想像がつかないセトとナーシア。

 しかし、事実は小説より奇なりともいう。


「とはいえ、統一化され解釈が多くの魔術師たちに共有できるようになったあとも、古き良き伝統ということで比喩や呪文にはこと欠かないみたいですけどね」


「なるほど、魔術にも歴史ありか」


 点と点を繋ぎ合わせて、ひとつの形態へと。

 太古の昔に星を観測し、そして星座を考案した人々と似た軌跡をたどっているのかもしれない。


 魔術、それは途方もない荒涼の旅。

 魔術がなんのために生まれたか、それは人間に意味を与えるためとも言えるらしいが、そこに完全なる真理はない。


 力とは導きの星。

 旅人が北極星を目指して歩いたように、遥か昔の彼らもまた魔術になにかを見出し、迷わぬための道標としたのかもしれない。


 ────魔剣もまたそうなのだろうか?


 ふとセトの脳裏に魔剣の刀身が浮かぶ。

 真っ暗な中で赤い剣閃を帯びながら振るわれるそのイメージを、セトは紅茶と一緒に飲み込んだ。

 

 そろそろ勉強を再開しようかと思ったそのとき、またドアがノックされる。

 この時間に何度も来客が来るのは珍しいとセトとサティスは顔を見合わせると、ドアの向こう側から声が聞こえた。

 

「すまないラネス・クライファノだ」


「え!? も、申し訳ありません! すぐにドアを開けます!」


 サティスはそそくさとドアを開けて、ラネスを迎え入れる。

 白銀都市の黒幕に囚われ、長い間眠らされていた女性騎士にして、現当主アダムズ・クライファノの元妻。


 彼女が一歩入ったとき、ナーシアの姿が視界に入る。

 お互い目と目が合った瞬間に硬直。


「あ、あの……ごめんなさいサティスさん! また勉強教えてくださいね! 失礼します!」


「え、あ……!」


 ナーシアは勉強道具をまとめてラネスの脇を通り抜けて出て行ってしまった。

 ラネスはひと声かけようと手を伸ばしかけるが、それが届くことはない。


「……すまない。見苦しいものを見せてしまったかな」


「そんなことは……」


「いやいいんだ。突然自分の祖父の元妻がこの家にやって来たとなれば誰とて驚くだろう。ましてや……若い姿でなぁ」


「自分の祖父の大切な人が戻って来たのに、それがなにかまずいことなのか? 家族みたいなものだろう? ナーシアは喜んでないのか……」


 セトのなに気ないひと言。

 サティスが注意しようとするも、ラネスは微笑みながら優しく制した。


「かまわない。セト君だったな。君の疑問はもっともかもしれないが……そう簡単にはいかないのが人間関係というものだ」


「そう、なのか……」


「あぁそうだとも。シンプルに考えればもっと円滑にことは進むのだろうが、そうはいかない。そればっかりだ。────……さて、そろそろ本題にいこうかと思うのだが、君たちはどうかな?」


「あ、これは大変ご無礼を致しました。どうぞこちらへ」


 ラネスを上座に、ふたりは下座に。

 話の内容は『赤砂漠の民の遺跡』のことだった。

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