第80話 私はアナタを愛しています。

 部屋に帰ったあと、セトは連戦に次ぐ連戦ですっかりと疲れてしまっていた。

 まずは一休みと言わんばかりに、勢いよくベッドに腰かける。


「お疲れさまですセト。ホラ、お水」


「ありがとう。────ぷはっ」


 隣りに座るサティスから手渡された水筒の水が、喉をとおって身体の中でまだくすぶっていた熱を冷ましていく。

 血管の奥まで冷えるような爽やかさに、セトの頭に穏やかな波長が流れ込んでくるような感覚が、彼の中で起こった。


 サティスはそんなセトの隣で、微笑みながら彼の髪を撫でている。

 心配から解放され、サティスの気持ちはとても和らいでいた。


 こうして夜の穏やかな一室で、ふたりきりでいること自体、もうずっと味わっていなかったかのような錯覚さえある。

 それほどまでに、このセトとの時間が愛おしく思えた。


 それはまたセトも同じで、こうしてサティスと安らげることにこの上ない幸福感を抱いている。

 だが、それと同時にセトは自分の都合に彼女を振り回しているのではないかという罪悪感にも似た感情が、心の闇の底から湧き出てきた。


 元を辿れば、自分が巻き込まれていることに、これまで彼女が無理矢理つき合わされているようなことがずっと続いているとセトは感じている。


 セトは自らの運命の過酷さと、その隣で支えてくれるサティスの優しさについて一考していた。

 しかし、サティスはそんなセトの考えを一蹴する。


「セト、アナタがなにを考えていようと、私の考えは変わりませんよ? アナタと一緒にいたい。それだけです」


「いや、別に別れるとかそういうことじゃないんだ。ただ、全然サティスが安らげないんじゃないかって……ベンジャミン村のときだってそうだったし……」


「ん~……」


 サティスは隣でセトの様子を見ながら言葉を選んでいた。

 様子からしてセトは別に落ち込んでいるわけではない。


 ただ、"これからも魔剣を振るうような出来事に見舞われるだろう"という自らの経験則からくる未来予想にセトは悩んでいる。


 ならば、年長者として告げねばならない。


「いいですかセト。誰かと一緒にいるというのは、けして楽なことばかりではありません。それは組織の人間関係でもそうだし、家族という枠組みでもそうです」


「……あぁ、まぁ確かに」


 戦場で少年兵として働いていたころや、勇者一行のメンバーとして生きていたころを思い出すように、セトは頭を掻く。


「大切な人と一緒にいる。それはそれで美しいことです。でもねセト、それはゴールではないんです。むしろ、新しいスタートなんですよ。私たちがあの森の中で出会ったときのことを思い出して下さい。あそこから、私とアナタの新しい人生がスタートしたんですよね?」


「あぁそうだ」


「本当に大事なことはね、お互いが"この人は大切な人である"と認識することではないんです。むしろそのあとのお互いの関係なんですよ。これまで自分のことだけを考えてきた人生を、【ふたりの人生】として考えて生きること。これが重要で難しいところなんです」


「ふたりの人生? ……俺の人生、サティスの人生じゃなくて?」


「そう。ふたりの人生、私たちの人生だから、私たちで幸せを作り上げていかなきゃいけない。きっと障害だってある。アナタの言う魔剣を使うような戦いだってね。それをアナタだけの課題として、私は知らんぷりするなんてことは断じてできません。────愛は安楽に至る道にあらず。それでも相手を愛することができるのか。セト、私はアナタを愛せますよ?」


「あ、愛……ッ?、さ、サティス……」


 サティスは明るい表情でセトを見下ろしながら、彼の頭をまた優しく撫でた。

 恥ずかしそうに顔赤らめ、こそばそうに目を細めるセトを見ながら、サティスはこれまでの旅で感じたことを優しく語っていく。


「もしもここからまた厳しい道のりになっても、私はアナタと一緒にいたい。アナタと一緒にその困難を乗り越えます。大丈夫、私たちならきっとできる。……一緒に静かな場所で穏やかな生活ができるように。今の私たちにできるのは、そのために最善を尽くすこと。きっとそれは常に勝ち負けを意識した生き方よりずっと厳しいものになるでしょうけど、それでもアナタと一緒ならって。セトはどうです?」


「俺か? 俺は……。うん、サティスと同じだ。俺もサティスと一緒にいたい。一緒に生きたい。その、あ、あ、あ、愛っていうのはちょっと俺まだわからないけど、うん、がんばるよ」


「フフフ、私も愛についてすべて知ってるわけではありませんよ? だから、これから紡いでいきましょう? だから、アナタは気にせずに、全力で現実に向かっていきなさい。私も一緒にいますから、ね?」


 そう言ってサティスは立ち上がる。

 そろそろ夕食を食べに行こうということだった。


 野盗の件はチヨメがやったということになっているらしく、彼女の話題で持ち上がっている。

 チヨメの好意を無碍にするのは不義理というもの。


 セトも納得し、空腹を告げる音を腹から鳴らしながら、サティスの差し伸べる手を取り、一緒に街のほうへと歩いていく。


 野盗が滅んだということで、街は前の夜より賑わっていた。

 歴史あるこの街の風は、乾いてはいるが妙に温かく感じる。


 キャンバスに色彩が宿り中の世界の温度が表現されるように、ホピ・メサの街に吹く風もまたきっと様々な色彩を宿しているのだろう。


 古えの時代より大地と人間を見守り続け、時代の熱狂や様々な感情の渦を巻きこんでここへ帰ってくるのではと、セトは想像を膨らませた。


 ────歓喜、愛恵あいけい、正義、仁義、そして嫉妬、哀傷、恐怖、空虚、憤怒……。


 複雑に入り混じった思念を宿して、また次の時代へと吹き抜ける。

 時代の風は止むことなく、セトたちの背を追ってくるのだ。


 しかしそれがどうしたと、セトとサティスはともに歩み続ける。

 握り合った手から確かな温もりを感じながら、大地を踏みしめて生きることに邁進まいしんする。


 セトはサティスと話したことを脳内で反芻しながら、料理店へつくまでの道の雰囲気を楽しんだ。

 やはり嬉しいことがあると人間は酒を酌み交わしたくなるのか、そこら中で酒の匂いがした。


「この匂いだけは、歴史のある風でもどうにもならないらしいな」


「アハハ、セトはお酒苦手そうですもんね」


「煙以上に苦手だ……」


 ふたりは料理店に入り、安らかな食事の時間を楽しんだ。

 ほかの街と違って、調理の仕方が違うのか肉の旨味が断然に違った。


 戦いで疲れたセトの身体に肉汁のまろやかさが染み渡っていく。

 嬉しそうに食べるセトを、サティスはいつまでも嬉しそうに見ていた。 

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