第9話 怒ったら怖い?
遠坂瞳という女性がどういう学校生活を送っているのかという疑問は常にあったが、今日俺はそれを少しだけ晴らすことができた。
いや、もう頭ではわかっていたのだけどいざ目の当たりにして確信にかわっただけ、とでもいうのか。
彼女は……女子にいじめられているようだった。
「ねえ遠坂さん、パン買ってきて」
「はい、お金をお預かりしますね」
「帰ってきたら渡すから立て替えといてよ。あとさ、昨日の宿題見せてくれない?私、やってたのにノート忘れちゃってさー」
「あら、それは大変ですね。いいですよ、はい」
「サンキュー。じゃあ、パンよろしくねー」
こんな会話をしているところを偶然歩いていた廊下で見聞きしてしまった。
そして俺の姿を見て遠坂さんが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「あらごしゅじ……こほんっ、深瀬君どうしたの?」
「いえ、職員室に用事があって。それより、あれって」
「ええ、同じクラスの高峰さんたちですね。いつも私のことを頼っていただいてるんですよ」
「いやいや、聞いてましたけどあれは体のいいパシリですよ。お金だって払う気ないでしょ」
「そういえば、まだ一度も立て替えたお金を返済してもらったことはないですが……友人でしたら多少の融通も大切なのかなと」
「ダメです。きっぱり断ってください。遠坂さんがババ引いてるのは見過ごせません」
どうしてこの人はこうも人がいいのだろう。
性善説、なんて言葉があるけどこの人は完全にその上位互換の説を提唱している。
世の中なんてはっきりいって悪い連中もたくさんいるし、遠坂さんみたいな人を食い物にして私腹を肥やす連中がさっきみたいなやつらだ。
「でも、引き受けてしまった以上私がいかないと彼女たちの昼食が」
「……それは俺が買ってきます。でも、次からは絶対に断ってください」
「は、はい」
どうして年上のお姉さんにこんなことを説教しなきゃならないのかと、パンを買いに行きながら俺はため息が出た。
でも、彼女に買わせるわけにもいかず俺は渋々パンを買って遠坂さんに渡して、その後で彼女の後ろをついて行き様子を伺うことにした。
「高峰さん、これ買ってまいりました」
「ああ、さんきゅ……ってこれカレーパンじゃん。私嫌いなんだけど」
「え、でもパンとしか伺ってなかったのでなんでもいいのかなと」
「まじ使えねえ。もういいわ、あんたの奢りってことで許してやるよ」
やっぱりだ。あの手の奴らは難癖付けて結局お金をちょろまかす。
高峰さんのことは、全く耳にしたことがないわけでもない。
彼女は二年生の間では有名なギャルで、美人だし友達も多いし下級生の俺たちの中でも早速評判になっている一人だ。
しかし見た目通りというか、やっぱり素行は悪そう。
それに何より、俺の遠坂さん(言い方に語弊があるが)を騙してパシリにしてるのは、いくら先輩でも見過ごせない。
「あの、お金はちゃんと払った方がいいですよ」
「ごしゅじ……深瀬君?」
「誰よあんた。一年?」
「そ、そうですけど」
思わず飛び出してしまった。
遠坂さんは驚いた表情で、高峰さんはちょっとイラっとした様子で俺を見る。
「もしかしてあんた、この子の彼氏?」
「え、いや俺はですね……」
「まあいいわ。下級生がナマ言ってんじゃないわよ。これは私と遠坂さんのことなの。ねえ、遠坂さん」
「え、ええ」
なんちゅう迫力だ。顔こそ美人だけど怖えよこの人。
絶対に付き合いたくないタイプだな。
でも、言うことを言わないと遠坂さんがまた流されてしまう。
「ダメです。遠坂さんのことを騙すやつは俺が許しません」
「お? かっこいいじゃん坊や。でもさ、あんまり調子乗ってたら……こうよ」
「ぐはっ」
油断していた。女子だから暴力なんてないと、勝手に決めつけていた。
でも、彼女の振り上げた足は俺の横っ腹を直撃して俺はその場にうずくまった。
「ぐっ……蹴るなんて」
「私、こう見えて空手もやってたの。それに綺麗ごとばっかいうやつって嫌いだし。じゃあ遠坂さん、私たちはもう話がついてるからこれで……え?」
「よくもご主人様を……殺す」
「え、え?」
痛みをこらえながら遠坂さんを見ると、その辺にあった箒をもって高峰さんの方を向けていた。
そして顔を見ると……怒っていた。
顔が真っ赤で、目が鋭くなって、見たことのない迫力を……ていうか毛が逆立ってないか?
そのあまりの迫力に高峰さんもたじろぐ。
「と、遠坂さん? じょ、冗談よ。別に本気で蹴るつもりは」
「許しません。あなたとは友人関係は今をもって解消します。さあ、今までのお金を全て返してください」
「え、いや、でもいくらかなんて」
「昨年からの累積で計19,782円です」
「そ、そうなの?」
「払わないというのであれば……」
「わ、わかった払うから。は、はいこれ二万円!おつりはいいから」
「あ、おつりはちょうどありますよ。はい、どうぞ」
「ど、どうも……」
まるでフェリー乗り場の切符売りの人のように手際よくポケットからおつりを出して高峰さんに渡すと、彼女はニッコリ笑いながら「謝ってください」と高峰さんに迫る。
そして俺のところに高峰さんが来て、ビクビクしながら「ごめんなさい」とだけ小さな声で言って走って去っていった。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。それより遠坂さんこそ、いいんですか?」
「何がです?」
「いや、彼女って結構学校でも目立つ人なんでしょ?だったらあんなことして後で報復されないかなって」
「あー、なるほど。でも、その時はその時です。それより、ご主人様を傷つける連中は誰であってもこの遠坂が許しません!」
えっへんと。腰に手を当ててふんぞり返る彼女はごそごそとポケットにお札をしまいながら、俺の手を引っ張って体を起こしてくれた。
「いてて。でも、お金だけでも戻ってきてよかったですよ」
「そうですね。あっ、今日は臨時収入があったのですき焼きにしましょう」
「いや、元はといえばそれ、遠坂さんのお金だから……」
あっ、そうかと手を叩く彼女は、すっかりいつもの遠坂さん。
でも、さっき怒った時の彼女はすんごく怖かったなあ……
「じゃあ戻りますね。遠坂さん、もし俺が悪いことをしたら遠坂さんはさっきみたいに怒りますか?」
「え、ご主人様が? いえ、そんなこと考えてもみませんでしたが」
「も、もし仮にの話ですよ。もちろんそんなことする気はありませんが」
「そうですよね。でも、もしそんなことになったら……」
何かを考える遠坂さんは再びお怒りモードに入りそうになったのか、髪の毛がふわっと逆立つように見えた。
「い、いややっぱりいいです!それより、早く戻りましょう」
「そ、そうですね。では、お気をつけて」
遠坂さんは温厚で思いやりがあって、誰かのために怒ってくれる素晴らしい人だ。
でも、怒ると怖いということだけは肝に免じておこう……
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