第112話 平民の生活と役割
市場まではもう少し時間がかかる。また別の話でもしようか……俺がそう考えていると、アルテュル様が小さく呟いた。
「リュシアン、お前は食事が作られていることを知っているのか?」
「ああ、当たり前だろう?」
「ステファン様とマルティーヌ様は、知っておられるのですか?」
「ええ、学びましたわ」
「王族は平民の暮らしも知っておかなくてはならないからな。少なくとも私はそう思っている」
「そうですか……」
アルテュル様はそう言ったきり黙ってしまった。かなり落ち込んでいる様子だ。なんか虐めてるみたいで可哀想になってきたよ。
それに今はまだ分からないかもしれないけど、この話の行き着くところは、アルテュル様の周りの大人が何故教えなかったか、だからな。
俺が口を出したら不敬だと言われるかもしれないけど、口を開かずにはいられなかった。
「アルテュル様、私の立場で意見を言うなど烏滸がましいことかもしれませんが、学んでいないことを知らないのは当然のことだと思います。……知らないことがあるのならば、これから学ばれていけば良いのではないでしょうか? 私に答えられることでしたら、いくらでもお答えいたします……」
「そうだな……ありがとう」
全然上手いことは言えないけど、これで良かったのだろうか? お父さんとの関係などはアルテュル様が考えないといけないことだからな……。それに、プレオベール公爵家がこれからどうするのかも。
「レオン、市場に着くまでに平民のことについて教えてくれ」
「かしこまりました。では、平民が普段何をしているのかについてお話しいたします」
「ああ、よろしく頼む。考えてみれば、私は平民が何をしているのか何一つ思いつかないからな」
「先程述べたように、野菜を栽培している者、酪農や畜産をしている者、食事を作っている者、食器やカトラリーを作っている者、それらを売っている者、アルテュル様が普段食べている食事にもこれだけの平民が関わっています」
「そうか……」
「また、今アルテュル様が着ているお召し物も平民が作っています。糸を作り布を織り、服を作っています。お屋敷にある家具も、平民が木を切り加工して作っています。お屋敷を建てたのも平民でしょう」
「そんなにも平民に支えられていたとは……これでは本当にいらないのは私ではないか。私は今まで何もしていない」
この話を聞いただけでそんなふうに考えられるなんて、本当に素直な子なんだよな……
「貴族には貴族の役割があるのではないでしょうか。それは私ではなく、リュシアン様に聞いた方が良いと思われます」
「そうだな……リュシアン、教えてくれるか?」
「ああ、いつでも教える。だがもうすぐ市場に着くからこの話は後でだな」
「わかった」
馬車が市場に着き、速度が殊更ゆっくりになる。
「アルテュル様、ここが市場でございます。たくさんの物を売っていますのでご覧ください。質問があればお答えいたします」
「ああ、あそこにある大きな袋はなんだ?」
「あちらは小麦粉を売っている店でございます。その隣は調味料ですね。塩や砂糖などが袋に入れられています。実物をご覧になりますか?」
「見てみたい」
「かしこまりました」
俺は御者さんに小麦粉と塩、砂糖を買って欲しいと告げた。すると馬車が止まり、少しの時間が経つと御者さんから三つの袋を渡される。
仕事早いな……というか御者さん馬車から降りてなかったよね? また王族の護衛の人かな?
こんなに至れり尽くせりの生活に慣れたら、ダメ人間になりそうだよ。
「アルテュル様、こちらが小麦粉、こちらが塩、そしてこちらが砂糖のようです」
「これがそうなのか……どれも似たようなものだな。食べてみても良いのか?」
「小麦粉はこのままでは危険ですが、塩と砂糖であればこのまま食べても問題ありません。ただ、ここにはカトラリーがないので素手で召し上がっていただくことになってしまうのですが……。もしそれでもよろしければ、私で良ければ毒見をいたします」
「いや、毒味は良い。素手で食べてみよう」
そう言ってアルテュル様は、塩を手で一掴みとった。え? それは食べ過ぎだよ! つかみ取りのお菓子じゃないんだから!
塩がひとつまみでどれほどしょっぱいのかも知らないんだな。
「ア、アルテュル様! お待ちください!」
「なんだ? やはり食べてはいけないのか?」
「いえ、そうではなく量が多すぎるのです。塩は指先で少しつまむ程度でもかなりしょっぱいので、少量から試してみてください」
「そうなのか。この程度か?」
今度は指先に少し乗る程度の塩の量になった。これなら良いだろう。
「その程度でしたら問題ありません」
「わかった」
アルテュル様はそう言って、塩をペロッと一舐めした。すると途端に厳しい顔に変わる。
「なんだこれは……全く美味しくないではないか」
「調味料とはそれだけで食べても美味しいものではないのです。他の食材と合わせることで美味しい料理に仕上がります」
「これが美味しくなるなど信じられんな」
「確かに塩だけを食べるとそう感じられるかもしれませんが、普段アルテュル様が召し上がっているお食事にもたくさん使われていると思います」
「本当か……?」
やっぱり信じられないよね。今までの人生でここまで常識が違う人と会ったことがないから、説明が難しい!
そう思っていたらステファンが助け舟を出してくれた。
「アルテュル、それも食堂に行き実際に作っているところを見ればわかるだろう。私も以前に塩をまぶして焼いた鶏肉と、塩をつけずにそのまま焼いた鶏肉を食べ比べたことがあるが、塩をつけた方が圧倒的に美味しかった」
やっぱり貴族は貴族同士の方がお互いの気持ちがわかるんだね。まあ、ステファンは王族だけど。
それにしても、ステファンは常識あると思ってたけど、それも全て学んだ結果なんだな。俺が今まで当たり前のように生活する中で身につけてきたことだから、改めて学ぶっていうのが変な感じだ。
「ステファン様もそのように学ばれたのですね」
「ああ、アルテュルも食べ比べてみればわかるだろう。食堂に行ったら作って貰えば良い」
「かしこまりました。私のためにご協力いただき感謝いたします」
「気にしなくて良い。それより砂糖も食べてみろ」
「かしこまりました」
アルテュル様はそう言うと、砂糖をさっきの塩と同じくらい手に取り口に入れた。
「これは……確かに甘いが、このまま食べるとそこまで美味しいとは思えないな」
「やはり砂糖も塩と同じで、料理して更に美味しくなるのです」
アルテュル様はその言葉を聞くと、しばらく黙り込んでしまった。何かを考えているようだ。
そうして少しの時間が経つと、また市場に目を向ける。
「レオン、あそこのお店は何を売っているのだ? 緑のものや他の色のものもあるが……」
「あのお店は野菜を売っています」
「野菜なのか!? 野菜とはあのような大きなものだったのだな」
「あちらも実物をご覧になりますか?」
「ああ、それからあの店で売っているものと、あっちの店と…………」
そこからアルテュル様は、目につくお店全ての商品を網羅するかのように、購入し実物を見て、時には試食をしていった。
もう馬車の中が商品でいっぱいになってきた。流石にこれ以上はヤバそうだ。
俺はリュシアンに目配せをして、アルテュル様を止めてもらうことにした。流石に俺が止めるのはどうかと思うからな。
「アルテュル、そろそろ食堂に行く時間だぞ」
「ああ、もうそんな時間になるのか?」
「既に三十分以上は市場にいるからな」
「もうそんなに経ったのか……では、次の場所に行こう。ステファン様、マルティーヌ様、長い時間付き合わせてしまい申し訳ございません」
「私が無理に付いてきたのだから良い」
「そうですわ。それに、市場に来る機会などそうありませんから、結構楽しんでいますわ」
確かに二人は王族だからな。貴族よりもこういう場所に来るのは大変そうだ。
そう考えると二人を連れ回してるのって結構ヤバいのか? かなり護衛がいるみたいだし……
まあ、俺が考えることじゃないか。二人とも楽しんでるみたいだから良しとしよう。
「そうおっしゃっていただけて嬉しく存じます」
「では、食堂に向かってもいいか?」
「よろしくお願いいたします」
そうして俺たちは、馬車で王族の護衛の人たちが予約した食堂に行くことになった。
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