第10話 桃色黒歴史

 結局カミソリの件は、教師に報告しなかった。


 和奏が警戒すればいいだけの話だし、報告したらしたで、面倒なことになるかもしれない。探りを入れられ、元極道の事務所でアイドルになろうとしているなんてことがバレたら、小言を浴びせられるだろう。親に報告されようものなら死に一歩近づく。


 放課後。和奏と穂織は、事務所へとやってくる。


「ういーっす」

「こんにちは、京史郎さん」


「おう。きたか。宿題はやってきただろうな」


 和奏と穂織は、プロフィール用紙と親の同意書を提出する。親父との激戦のせいで、家では書けなかった。ゆえに、授業中を駆使して書き上げた。


「バ奏。同意書これ、自分で書いてねえだろうな」


「ま、ままままさか。ちゃんと親父に書いてもらいましたよ」


「そうか。ま、預かっとくから、とっとと説得しとけよ」


 バレているのか、カマをかけているのか。どちらにしろ、時間をかけてなんとかするしかないか。もし、和奏が国民的アイドルにでもなれば、熱狂的なファンが親父を始末してくれるだろう。それに賭けた方がよさそうだ。


「今日は、オーディションをやる。見所のある奴がくることになってるんだ。おまえらと同じ乙女華だとよ。同席しろ」


「どんなところが見所なんすか?」


「履歴書がポストに投函してあった。志望動機を原稿用紙十枚。しかも手書き。写真も貼ってあったが、加工してなきゃかなりの上玉だ」


「上玉……なんか、悪党の会話みたいっすね」


 苦笑する和奏。


 穂織が「原稿用紙十枚も……何が書いてあったんだい?」と、尋ねる。


「読むわけねえだろ。こう見えても、俺ぁ忙しいんだ」


「酷え……」と、和奏がつぶやいた。


 履歴書にメルアドが書いてあったので、オーディションに来るよう催促してみたらしい。すると、早速とばかりに返信。レスポンスのいい子で、今日の帰りにでも寄らせてもらうと言ってきたようだ。


 ――と、そんなタイミングでコンコンとノック。


「噂をすればなんとやらか。――おまえら、舐められるんじゃあねえぞ」


「ここ、ヤクザの事務所でしたっけ?」


 和奏と穂織は、京史郎の座るソファの背後に立って、志望者を迎える。


「失礼しまぁす」


 ドアがゆっくりと開く。すると、眼鏡の美少女が現れた。


「おぉ……上玉だ……」


 思わず声が出てしまう和奏。穂織も「はは、これはたしかに上玉だね」と、頷いていた。


 秋すらも感じられるしっとりとした栗毛色の長い髪。アイドルに相応しい小顔に、慈愛に満ちた瞳。溢れ出る清楚感と清潔感。眼鏡は知的さを演出するだけでなく、彼女という芸術品を完成させる最後のパーツとしての役目を果たしていた。


「え……? 和奏先輩……?」


 彼女は、和奏を見るなり目を丸くした。すると、京史郎が聞いた。


「バ奏の知り合いか?」


「覚えがねえっす」


「あ……ごめんなさい。和奏先輩は有名人ですから」


 和奏は学園のマドンナ。もとい、王子様である。和奏が知らなくても、相手が知っているというパターンは多い。


「和奏先輩もアイドルを志望してたんですか?」


「志望っていうか……ま、すでに所属してるっていうかな……。へへっ」


 アイドルとしての先輩風を吹かしてみたくて、ドヤ顔を見せる和奏。呆れたように京史郎がつぶやく。


「ここは学校の昼休みか。私語は慎め。オーディションにきたんじゃねえのかよ」


「京史郎さん。悪態をついていると、せっかくの上玉が帰っちゃうよ?」


 サラダ頭の苦言に、苦言を呈する穂織。


「ウチは、打たれ強いことが最低条件だ。嫌味のひとつやふたつで逃げ帰るようなら、やっていけるわけがねえ」


 うん。そりゃそうだ。定期的にチンピラの襲撃がありますしね。


「ふふっ。大丈夫ですよ。厳しい業界だって分かってますから。――本日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございます。乙女華高校の一年生、唯坂心音ゆいさかこころねといいます」


 それぞれ自己紹介。心音は、京史郎と向かい合うようにソファへと腰掛けた。


「あの……面接を始める前に……。……履歴書と一緒に入ってた手紙……読んでもらえましたか? 読んでもらえたのなら――」


「読んでねえ」


「きっと、私のことを思い出して――って、ええっ? よよ読んでないんですか?」


「文句あるのか?」


「も、ももも文句なんて、……うぅ……え? あぅ……予定と違うぅ……」


 しゅん、と、困り果てる期待の新人。おろおろしている様子がかわいらしい。


 ボーイッシュに不思議ちゃん。この辺りで普通の女の子を入れないと、イロモノ戦隊になってしまう。絶対に逃したくないと和奏は思った。


 京史郎は溜息をつくように言った。


「穂織。デスクの履歴書と手紙を取ってくれ」


「ああ。っと――これだね。…………ぇ?」


 何か気にしている様子の穂織。けど、すぐさま履歴書を持ってきて、彼女は京史郎に手渡した。彼は、バサバサと扇ぐように見せる。


「これのことを言ってるんだな」


「は、はい!」


 京史郎も、気を遣うことができるじゃないかと和奏は思った。わざわざ手紙を読んであげるなんて、きっと心音には期待しているに違いない。


「――よし、じゃあ読め」


 手紙を放り投げるようにテーブルへと置いた。


「へ……? えええぇぇえっ!」


 ――最悪だわ、この鬼畜サラダ。


「手紙を読まねえと始まらねえんだろ? 見ての通り、俺は両手が塞がってて読めねえ」


 ――塞がってませんが? ノートパソコンでソリティアやってるだけですよね?


「うぅ、わかりました……読みますよぅ」


 京史郎から原稿用紙を受け取る哀れな少女。立ち上がって、朗読を始める。


「ええと……京史郎さん。私のことを覚えていますでしょうか……」


「覚えてねえ」


「あ、あなたは……わ、わわわたしのサンタクロースでした」


 ――サンタクロース京史郎!?


 心音の顔が徐々に紅潮していく。和奏も倣うように顔を紅くしていく。


「あれは、二年前のクリスマス……真っ赤な苺さんのショートケーキを買いに、ブランデーズというケーキ屋さんに行ったときのことでした」


 ――真っ赤な苺さん!?


「最後の一個だったケーキを買って、るんるん気分で商店街を歩いていたら、怖いお兄さんにぶつかってしまって、もの凄く怖い思いをしたんです」


 ――るんるん気分!?


「長えな。オチはまだか?」


 やめてあげてください。心音ちゃん、顔真っ赤ですよ! 乙女心全開で書いたんですよ! テンションも上がって、あえてかわいい言葉遣いとかしてるんです!


 そう心で唱える和奏であったが、口を開いたら吹き出してしまいそうなので、黙る。


「なにぶつかっとるんじゃこらー。よくみたらかわいいじゃねえかー。へへ、兄貴、こいつ上玉ですぜー、なんて、下品な言葉で攻め寄られて……私は泣きそうだったんです」


 ごめんなさい。ここにいる三人共が上玉なんて下品な言葉使ってました。んで、目の前にいる男も、あんたを泣かせようとしてますんで、たぶんレベルはそんなに変わらないと思います。あと、かわいいですね、あなたのヤクザ言葉。


「そこに現れたのが、わ、わわ私の白馬のおおおおぅぉ王子様でし、でした。そそ、そう、京史郎さんです!」


 ――白馬に乗った京史郎王子!?


「下手くそな文章だな。さっきはサンタクロースだったのに、今度は王子かよ。テンションだけで書いたって丸わかりだ。そういうのって、冷静になってから読むと、すっげえ恥ずかしくなるんだよな。黒歴史にならねえといいけど」


 ――あんたが黒歴史にしてんでしょ!


 女子高生三人は全員赤面。京史郎は淡々とソリティアをやっていた。


「京史郎さんは、怖い人たちをやっつけてくれました。もし、あの時、京史郎さんが現れなかったら、きっと私は酷いめにあわされていたと思います……」


「社長、そんな粋なことしたんすか?」


「覚えてねえ」


 心音に絡んだ奴が、偶然にも京史郎の敵だったのだろう。暇潰しで、ぶちのめしたに違いない。ただ、結果として心音を救ったのはたしかのようだ。


 助けてもらった恩が、恋心を紡ぐ。それが、唯坂心音の志望動機。だから筆を執った。京史郎のことを想うと、むねがぽわぽわと温かくなる。けど、極道と学生という間柄。現代日本のロミオとジュリエット。これは運命のアカシックレコード。


 和奏は、授業参観をしている母親のように心音を見る。恥ずかしさを押し殺して朗読する姿は、健気でかわいらしい。いいよいいよ。それが心音ちゃんなのだから。


「穂織ぃ、お茶入れてくれ。濃いめでな」


 それに比べてこの抹茶頭は、何を呑気に茶を啜ろうとしているのか? 抹茶が煎茶飲もうとしてんじゃねえよ。これ以上、緑色になってどうすんだよ。ピッコロにでもなるつもりかよ。


 なんだか虐めに荷担しているようで、もやもやする和奏。心音の黒歴史を浄化するためにも、この抹茶頭は消した方がいいのではないか。こいつは、心音の記憶にある不純物でしかない。この位置からならチョークスリーパーを仕掛けられる。仕留められないことはない。


「……バ奏。俺に手ぇだしたらクビだぞ」


「な……な」なんでわかったんですか、と、言いそうになる和奏。


「さっき、パソコンが暗転したとき、てめえの般若みてえな顔が見えた」


「そ、そんな顔してました?」


 そんな時、心音が困惑しているかのようにつぶやいていた。


「あの……みなさん、私の話、聞いてます……?」


 五分後。ようやく原稿用紙十枚の朗読が終了する。和奏と穂織は慈愛に満ちた表情を保っていた。心音は、赤面しながら半泣きだった。


「い、以上です。京さんは、私の人生を救ってくれました。だから、恩を返したいんです。極道をやめ、アイドル事務所を立ち上げた今なら、お役に立てると思ったんです」


「あ、悪い。途中から聞いてなかった。すまん、もう一度最初から――」


「もういいだろうが!」


「はい……京史郎さん、私のことを覚えて――」


「読むのかよ!」


 要約すると、中学生の時に京史郎に助けられた。けど、彼は町でも有名な極道。相容れない存在だったけど、カタギになったので、恩を返すチャンスだと思ったそうだ。


「趣味は?」


「ラブレターを書くことです。うふふ、京さん宛のが、机の引き出しの中にいっぱいありますよ」


 けど、渡さない。それが心音の楽しみ方らしい。ちょっと変な子だ。


「そりゃ気になるな。今度また聞かせてくれ」


「あの……。ラブレターって、聞くものじゃなくて読むものなんですが……」


 心音が困ったように言った。ツッコミもできるらしい。


「じゃあいいや」


「社長、いい加減に――」


 和奏が叱ろうとしたその時、京史郎は片腕をあげて制する。真面目な顔になって、彼はノートパソコンを閉じた。


「なあ、心音。こんなんでも、おまえはまだうちでアイドルやりたいか?」


「へ?」


「俺が元極道だって知ってんだろ。性格が悪いってのもわかっただろ。和奏にちんちんがはえてるのも知ってんだろ」


「はえてねえよ」


「それでもアイドルになりたいって気持ちが、おまえにあるのかよ」


 ……和奏は、京史郎の考えていることが、少しわかった気がした。


 高校生が新進気鋭の弱小事務所で働くという現実。しかも事務所という存在自体が時代錯誤。そしてローカル。その道には茨が敷き詰められている。


 努力と根性だけではない。屈辱に耐えうる忍耐、折れない心だって必要。だから試した。恋心だけで突き進める道ではない。ピュアなだけでは生きていけない。もし、途中で折れるとわかっているのならば、ここで追い返してあげた方が、彼女のためなのだ。得る物なく、青春時代を終わらせたくないから。


「あ、あります! 叶わぬ恋でも構いません。どんな結果が待っていようとも、経験は私の糧になります。そして、絶対にアイドルとして成功して見せます!」


 ――心音も強い。こういう強い子じゃないと、この事務所では続かないだろう。


「特技は?」


「は、はい! 歌が得意です」


「なにか歌ってみろ」


「じゃあ、京さんの好きな永渕でいいですか?」


「なんで俺が永渕が好きなの知ってんだよ」


 うん。ずっと遠くから見守っていた辺り、ちょっとストーカー入ってるよね。


「もっと似合う奴にしろ。そうだな……クランボワネットのセカンドシングル。あなたの心にラスティネイルはどうだ?」


 和奏が玉砕した曲である。トラウマを抉ろうとしてんのか、このキャベツ頭。


「あ、それなら歌えます」


 心音は、スマホを操作して動画サイトからカラオケ用の曲を引っ張ってくる。


 前奏。

 そして歌い始める健気な恋愛乙女。


 ――スローテンポなメロディに、心音のウィスパーボイスが乗せられる。山奥の湖畔のように澄んだ声だ。素人でもわかる。素人ではないレベルだと。


 曲が終わりに近づくと、彼女はまぶたを閉じて、眠りにつくかの如く静かに俯いた。胸に手を当て、鼓動を沈めているかのようだ。気がつけば、和奏は小さな拍手をしていた。穂織もだ。


「おまえ、子供の頃のニックネームとかあるか」


 その質問は、プロフィール用である。即ち、彼女をメンバーのひとりとして、登録するということ。つまり、遠回しに合格と言っているようなものであった――。


 榊原組構成員。

 組長   榊原京史郎(抹茶色の悪魔)

 若頭   秋野和奏(若様)

 若頭補佐 夏川穂織(ほーりぃ)

 若衆   唯坂心音(コロネ)←NEW!



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