第16話 目標

 翌朝。

 少し体が重い。たぶん、セナと話しすぎたせい。たくさん話した後はだいたいこうなるから、普段はなるべく意識しないようにしてます。



 セナがボクにのは、スラムに居着いてしばらく経った頃。きっかけはアンドレに美人局の真似事を手伝わされ、挙げ句に裏切られたとき。

 路地裏へと誘い出したおじさんに身体を撫でまわされ、唇をふさがれ、アンドルは来ない。ああ、裏切られたんだと気づいたら、ふと教会に居た頃のことを思い出した。あの神官や仲間たち、そしてセナのことを。


****


 あの教会で、神官は絶対だった。口答えをすれば容赦なく折檻された。孤児院のそれとは比較にならないやり方で。しかも折檻した後に教会お得意の回復術式を掛けるから痕跡が残らない。きっと世間的には「身寄りのない子を引き取り養育する聖職者の鑑」だったのでしょう。

 セナもボクも折檻自体は怖くなかったけど、そういう子供を従わせるには別の方法がある。仲間を折檻するんです。一度、セナが孤児院への連絡を試みたことがある。すぐにバレてしまい、その時はセナ以外の5人が死ぬほど痛めつけられた。拘束されたセナの目の前で。

 一般的な回復術式は、痛みには効かない。表面的に傷は癒えても、受けた痛みは残ったまま。場合によっては急激な治癒自体が更なる痛みを連れてくる。だから拷問との相性は最高だ。相手を殺さず、痛みだけを与え続けることができる。

 10代はじめの子供たちに、この支配を打ち破るすべは無い。ただ沈黙し、教会を出る日が来るのをじっと待つ。幸いなことに、孤児院からは毎年新人いけにえが送られてくる。新人が入れば神官の興味はそちらに移る。


 しかしセナは、敢えて神官の興味を引き続けた。普段から奴が何を喜び、何を嫌がるのかを観察し、他の仲間から矛先を反らし、そうした努力の甲斐あって見事に奴の「お気に入り」となった。もちろんボクらもセナの行動の意図は分かっていた。分かっていたはずなのに、いつしかそれを当然のように受け容れていた。あの日が来るまで。


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 だから、はきっと罰なんだと思ったんだ。

 セナの献身に何一つ報いることなく、見て見ぬふりをし続けたボクへの。


 アンドルは事の後にニヤニヤしながら現れ、おっさんを殴り飛ばして身ぐるみ剥いだ。「いいもの見せてもらった礼だ」とか言って、いつもの倍の報酬を渡され。もちろん文句を言って殴ったけど、体格差があるからあまり効きません。最後までニヤニヤしながら「明日も頼むぜ」なんて言ってきた。どういう神経しているんだか。


 自分でも何故だか分からないけど、翌日もアンドルの仕事を手伝いました。その日は特に問題なく。その後は何回かごとに助けに来ないようになったんだけど。


 何度目かの裏切りで、不思議な感覚を味わう。

 犯されているのが自分ではないような、意識が上空から自分を俯瞰して見ているような。……ああ、またセナが助けてくれた。不思議なことに自然と、そんな感想を抱きました。


 あれは自分であって自分ではない、そう思うと男と交わることに以前ほどの嫌悪感を感じません。……アンドルとの仕事なしに自分で客を取ったこともあります。最初は驚かれるんですが、たいていは上手くいく。ベティほどではないにしろ、ボクの技術もなかなかのものかもね。稼ぎすぎればアーロン一家に目を付けられるので、通りに立つのは週に1,2回。いつしか半ば楽しみながら男を誘うようになっていました。


――『ねえ、いい加減返事してくれてもいいじゃん』


 ある時、ボクの中のセナにこう言われました。驚いた。

 分裂した意識が、ボクの中に明確な他者として存在しはじめたらしい。これは末期かな……と思いつつも、日々の退屈しのぎには丁度いい話し相手。調子に乗って会話しすぎると意識が混濁し卒倒すること、翌日激しい頭痛に襲われることも学びました。



 教育所に通い始め、症例がそれほど珍しいものではないと知りました。戦場に立った者、略奪を受けた者、奴隷として凄惨な日々を送った者。そういう者たちの心の防衛反応としてしばしば見られるものらしい。かつては「悪魔憑き」などと危険視され、処刑されることもあったとか。昔の話とは言え、あまり他人に知られない方がよさそうです。


 そうそう、重大な弊害が一つあります。

 こうなってから、「生活術式ライフ」が使えません。たぶん、術式発動時にイメージの固定ができなくなってる。意識が分裂してるから、イメージにぶれが出ているのだと思う。<着火イグニッション>、<清浄クリーナー>、<加熱ヒーター>なんかが使えないのはとても不便。ふつう10歳児でも使えますから。

 同じように「即発術式インスタント」もダメ。まあこっちは元からあまり使えなかったので日常での実害はありませんが、冒険者としては致命的です。

 仕方ないので、よく使う術式は陣形成サーキットした木片を持ち歩いています。お陰で陣形成はそれなりの腕になりました。



****



 昨日セナと話して、一つの目標を決めた。

 ボクは、セナを安心させたい。


 仮にセナがセナの魂っぽい何かだとすれば、それは健全な状態とは言えないでしょう。教会の教えでは、死者の魂は天国に昇り、そこで次なる命への転生を待ちます。あんな教会でしたからボクには信仰も何もありませんが、それでも死者の魂を監禁しているような状況が望ましいとは思えない。

 もちろん、基本的にはボクの意識が分裂しただけのもので、セナの存在もボクの妄想でしかないとは思っています。しかし、昨日の会話の中に「ボクには知り得ない情報」が含まれていたことも事実。思い返せば過去にもそういった情報はあったような気がします。だから、このセナの正体は一旦保留。


 これがセナであれボクであれ、もう見守る必要の無いボクになる。


 それが、今後の目標です。

 そのためには……生活の安定、敵対者から身を守る術、生きていく知恵。最低限この辺りは揃えていかないと。ギルドの給金は有難いけど、スラム以外で生活するには全然足りません。即発術式インスタントの使えない身では、敵対者との戦闘になれば物理的手段が重要です。同時に、陣形成サーキットだけでなく「詠唱術式レリック」「論理術式ロジック」を学んでいく必要もあるでしょう。

 その点でギルド職員という立場は非常に恵まれています。冒険者向けの講習があり、依頼受注で実践することもでき、少ないながら安定した給与がある。当面の目標は5級認定ですね。職員としての仕事をこなしつつ、なるべく早く真鍮級ブロンズになる。


 よし、がんばります!

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