2/4 支援組の手筈
A05R05:キメラからノモズへ
山道からなだらかな獣道を経由して歩きやすい街道へと合流したら、目と鼻の先に一番堂が見えてくる。キメラとミカの到着に先んじて、一人の先客が中へ招き入れられた。扉を閉じる前に知った顔を見る。この礼拝堂を取り仕切るノモズも二人に気づき、手で控えめに招くので、二人は小走りで駆け寄った。
宗教団体エルモの信徒たちに盗み見せるため、ノモズはいつでも穏やかな雰囲気を纏う。長い銀髪の中心にいつも通りの微笑が張り付き、腹黒いものをすっかり隠して、各地での信頼を築いている。
「よっす。ただいま。こっちの新顔は応援だ」
「ミカ。よろしく」
「珍しい、助かりますね。私はノモズ、僭越ながらシスター長をしています」
「僭越だなんて。噂は聞いていますよ。貴女がいると問題がたちまち解決していくとか」
「探り合いより、向こうは? ノモズのお客様?」
キメラが指す人物は礼拝堂の中央で背を向けて手を揃えている。祈りを捧げているようにも見えるが、エイノマ王国風の和装と、肘の角度や足の開き方から、キメラは直感した。一部の地域に伝わる武道の構えで、周囲からの干渉に備えている。各方向へ広く間をとり、近寄り難い意志を漂わせる。
「彼はムラマサ、古い縁あって裏方の応援に呼びました。今日はこれで全員、礼拝堂を閉めますよ」
寡黙な男は微動だにせず、呼ばれるまでそのままでいるつもりらしい。キメラが声をかけても短くそう答えるだけで、ミカに至っては関わる素振りも見せない。
ノモズは助手たちに指示を出し、礼拝堂を閉鎖する。当分は外の広場に仮設小屋を置いて、住み込みの助手たちが参拝者に事情を伝える。近くの街への伝令も担う。シスター・ノモズの不調により、疫病の拡散を防ぐため、閉鎖する。およそ年に二度のペースで前例を見せている。多くの者は万に一つを重くみる慎重さから今年もやったんだな、と納得し、そうでなくとも命を守るためと言ったら不平はひとつとして出なかった。
一行は秘密の二階へ向かった。アナグマ専用のフロアで、覗き見も盗み聞きも怖くない。この場にいるのは五人。ノモズ、キメラ、ミカ、ムラマサ、そしてノモズの助手を束ね連絡を担うサグナだ。居住スペースの会食テーブルに揃ったら、ノモズは必要な資料を置いて、情報共有を始める。
「なあノモズ、その眼鏡は」
「目が悪くなったのではありませんよ。目を守るためです」
視点はキメラからノモズに移る。
各人は作戦会議のつもりで飲み物を用意していたが、ノモズからはごく短い決定事項を伝えるだけだ。まずキメラを送り出す、最前線の位置と行動から。地図を広げて、主戦場と想定する場所を指す。ガンコーシュ帝国の防衛線を描き足し、側面を取るルートを記し、このルートを一望できる山地がキメラの担当だ。演習で何度か使ったことがある。アナグマが抑えた建物からその位置への合図を送れるし、登山家が寄り付かないよう情報を流してある。
「要は時間稼ぎだろ。キノコが用意してる自走砲で勝てる数になるまで、消耗させつつ決着がつかないようにさ」
「そうですが、今回はもうひとつ、情報が来ています」
ノモズは資料を渡す。小型火器の図面と、山地の地図だ。等高線とは別に赤線が描き加えられ、ひとつはキメラの位置を、もうひとつはガンコーシュ帝国側からの進行経路を示している。
「帝国もこの位置を見つけたようで。側面を取る部隊とは別に、露払いをする部隊もそろそろ調ったようですね。確度に難ありの情報ですが、備えるだけ備えてください」
「殺しておけ、って話か?」
「避けたいですが。誰の怨みも買わないことです」
「難題だな」
「期待していますよ」
話と資料から、残りの面々の動きもすぐに伝えた。ムラマサは無人同然になる礼拝堂の用心棒で、ミカとサグナは前線のキメラに同行する。長丁場になるが、キメラならうまくやる。
必要な連絡を済ませたら、出発する深夜まで休憩とする。空き時間なので互いを知り合う雑談でもと提案すると、寡黙なムラマサは離席し軽作業班の協力へ向かった。地階では助手たちが携帯食の仕込みを進めている。
最初に口を開いたのはいつも通りキメラだった。
「アナグマの姫、って聞いたことあるか」
ついさっきの、ミカから聞いたばかりの言葉だと共有した。アナグマの姫、語感から連想するなら重要人物のようだが、アナグマには指揮系統がない。各自が得意領域を把握し、自らの役目を全うする。通常の組織ならあり得ない形態だ。大型化で認知の限界を超えれば破綻し、一人の無能が混ざるだけでも破綻する。そのリスクを飲んででも自己を重んじて気軽に生きたい者が集まっている。上下関係も大義もなく、目的のみを共有した共助組織、傭兵団体アナグマの本質を踏まえると、姫などとは相容れない。
「知りませんね。ミカさんがそうなのですか?」
「姫らしい艶やかさだもんな」
鎌をかけると、キメラも乗ってきた。考えることは同じだ。仲間はいつでも信用するべし、同時に疑念も向けるべし。アナグマの掟なので悪い気をするはずがない。
「私はただの噂好きよ。お褒めは嬉しいけど、きっと期待には応えられない。噂といえば、ノモズの昔の噂も聞いてるわよ。だめな男にも誠実すぎるせいで言い寄られてるとか」
「その話はやめてやれ」
呼吸が止まりかけたが、キメラの制止で助かった。ノモズは調子を伏せて、資料を片付けて寝室へ向かう。明日も朝からカラスノ合衆国に戻り、交渉やロビイングが待っている。久しぶりの礼拝堂では、落ち着いたために疲れを実感してしまった。
「すみませんが、私はひと休みしますよ」
短い礼をして、ベッドで横になった。キメラには今度、埋め合わせをしよう。いつだったか、モーテルの宿泊料が自分だけ増やされたとか聞いた。柄でもないが、実態調査くらいはしてやろう。メモに残して今は休む。つい思考を走らせてしまう。興奮状態だ。短い言葉でこうなるとは、もし本物が嗅ぎつけたらどうなるか。今は無理矢理にでも落ちつかせて、数分でも眠る。
気づいたとき、ノモズは夢を見ていた。この場にいるはずがない男。カラスノ合衆国の西海岸にいて、チューリップの紋を掲げる騎士。気に入らないが、目を開けると掛け布団を抱えて暗い天井を見ていた。
重要なのは夢の内容ではない。ぼうっとしていただけか、確実に眠ったかを区別する証拠になる。少しでも眠れたならきっと少しでも回復している。ノモズは改めては寝付けなかったので考えごとの続きを始めた。キメラから聞かされた、アナグマの姫の噂について、四個の仮説が浮かんだ。
第一に、探っている場合。アナグマの姫と聞いて行動を起こす誰かに用がある線だ。本人とか側近とかの他に、調べ始める者も少なからずいるだろう。
第二に、席を作っている場合。存在しない何かをあたかも存在するように思わせる。噂が広まりきったところで「私が噂の姫だ」と名乗り出れば、登場が唐突でなくなり、を受け入れる者も現れる。
第三に、暗喩である場合。権力者や実力者を指すならノモズ自身がそうだ。アナグマ全体でも発言力が高く、今はカラスノ合衆国の代議士としても多少ながら影響している。
姫と呼ぶ、女性に限る理由があるならば、この一番堂そのものを指しているとも思える。一番堂は女性だらけの空間だ。この場で杯を交わしたうちユノアとキノコも大きな影響力を持った。女性率が高まった後は男性陣が気を使ってか居心地を悪くしてかで離れてしまった。
あれこれ考えられるが第四に、本当にただの噂の場合もある。それらしい仮説が思い浮かぶあまりに、ありもしない企てを自己生産して、勝手に騙されていく危険がある。情報の処理が得意なほど陥りやすい歪みだ。
対処法は、事実と仮定を区別すること。この場にある事実は「アナグマの姫の噂を知っているかと問われた」のみ。調べているとは言っていない。多重質問じゃないか。「アナグマの姫の噂が存在する」とも言っていない。意識の矛先を知っているか知らないかに誘導して、存在するか存在しないかを隠している。
ここまでの考え自体も、情報の処理が得意なほど陥りやすい歪みだ。答えが出ない問答に意味はない。話がキメラを経由したときにどう歪んだかは不明なので、ノモズにできるのはここまでだ。
ノモズが担う役割は結局、カラスノ合衆国を誘導して戦争の終結を早める。横で軍備を整えておけば、漁夫の利に繋がる疲弊を避けるため、判断を非戦側に寄せざるを得ない。
ノモズは目先で待つ役目を実行する。キメラを中心にした最前線組の装備と指示を用意する。ベッドから降りて、各部屋に声をかけていった。
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