第92話 《災い》



「……さ、そこのソファに座って」


 シュテラの言うとおりにし、イブキとシャルはふかふかのソファに腰掛けた。

 ここはリビングの奥にある寝室だ。ベッドの上と床には本が散らばっている。さっき、なにかの本を踏んづけてしまったが不可抗力だ。


 シュテラが、リビングの方へと戻っていく。戸棚の中を探っているようで、「これでもない」「これも違う」とぶつぶつと唱えている。どれくらいかすると、シュテラが戻ってきた。手には包帯やコットン、ガーゼ……さらに液体の入ったガラス瓶が見える。


「じゃあ、手をどけて」


 シュテラが真面目な声音でシャルへと言った。シャルが手をどけると、目元からまた血が流れ出した。よっぽど深い傷らしい。

 シャルは傷と血のせいで右目を開けられていない。


 近くにあったテーブルに、治療道具を並べていく。シュテラはコットンを手に取ると、空いた手を空中で振った。


 するとどうだろう。なにもなかった空中に、小さな水の塊が現れた。それをコットンに染みさせると、まずはシャルの目元の血を拭い始めた。これも水の魔法なのだろう。


 一折血を拭い終えると、今度はガラス瓶に入った液体を傷口に塗り始めた。シャルは傷口が染みるのか、時折顔をしかめている。傷口にガーゼを当て、包帯を巻き付ける。シャルの右目は、包帯で完全に隠れてしまった。


「……うっし、これで大丈夫よ」


 違和感があるのだろうか。シャルは不思議そうに包帯に触れている。代わりに、イブキが問いかけた。


「えっ、これで終わり?」


「まあね。エルフ族から譲り受けた再生の薬よ。時間が経てばどんどん良くなるわ」


「傷痕が残ったりしない?」


「かなり深い傷だったからね……。でも、眼球は大丈夫そう。とりあえずは痕が残らないことを祈りましょう」


 シャルが「……ありがとうございます」と小さく告げる。イブキは自分のことのように、胸を撫で下ろした。


「良かったぁ……」


 シュテラはそんなイブキの様子をじっと眺めている。それからシュテラはベッドに腰掛けると、「ふいー」とだらしない声を漏らした。そして、どこから取り出したのか、葉巻のようなものを咥え始めた。


「――で、半年後に世界を滅ぼす《災禍の魔女》さんが、あたしになんの用?」


「そ、その前に、ズボンはかないの?」


 イブキは視線を下にずらす。すべすべの足を交差させるシュテラは、パンツ一丁だ。シュテラは「ふん」と鼻を鳴らした。


「これがあたしの正装なのよ。文句ある?」


「な、ないけどさぁ」


 イブキは口をもごもごとさせ、言葉を飲み込んだ。いくら女の子だらけとはいえ、恥ずかしくないものなのか。


 とりあえず、イブキはどこから話すべきか迷ったが、一から話す以外理解してもらう術が無いと悟ると長い道のりを語りだしたのだった。


 ――自分が異世界の住人で、気が付いたら《災禍の魔女》としてこの世界に存在していたこと。それから竜人族の予言を覆したことや、《魔女の茶会》について。そして《星火祭》で出会ったドロシーのこと……《災禍の魔女》の過去を探る力になってもらうべくここまでやって来たこと……全てを、包み隠さずに話したのだった。


 シュテラはメガネを指の腹で押し上げた後、葉巻に火をつけた。もちろん、指先に灯した炎魔法で。何度か煙をたゆたわせると、先程よりも強い炎魔法で葉巻を燃え尽くした。灰すら残さぬ火力だ。


「なるほどねぇ」


 とシュテラ。

 乾ききった反応に、イブキは目を瞬かせた。


「驚かないの?」


「そりゃあ、驚いてるわ。あなたが異世界から来ただなんて、信じられるわけがない。けど、あなたが嘘をついているとは思えない。……あなたがこっちの世界にやってきたのは、2週間ほど前なのよね?」


「うん」


「でも、《災禍の魔女》はそれ以前にも存在していたわ。会ったことはないけど」


「うーん……《紅血の魔女》――ドロシーも、《災禍の魔女》の過去を全部知っているみたいだったし。でも、わたしにはそんな記憶ないんだよなぁ」


 イブキは一度シャルの方を見た。シャルは、窓の外の景色に目を向けている。心ここにあらずと言った感じだ。


 シュテラはあくびをした後で、一度息を吐いた。


「わからないことだらけね」


「ドロシーは、わたしのことをコノアって呼んでいたの。多分、わたしがこっちに来る前の《災禍の魔女》の名前だと思う。……わたしって、こっちの世界なら本当はイブキじゃなくてコノアって名前なのかな?」


「さあね。そんな現象、聞いたこともないわ。その、竜人族の王様が調べてくれている、もう一人の転生者が見つかれば、わかるかもしれないわね」


 そして二人そろって、うーんと頭を悩ませるのだった。考えれば考えるほど、泥沼にはまっていくようだ。


(ほんと、《災禍の魔女》ってなんなのよ)


 すると、シュテラが「……そういえば」と口火を切った。


「あなた、《災禍の魔女》についてどこまで知ってるの? たとえば、二つ名持ちの魔女は、名前になにかしらの理由があるのよ。《災禍の魔女》の名前の由来は知ってる?」


 これにはシャルも興味が出たらしい。視線をこちらへ戻し、ただじっとイブキを見つめてくる。


「えっ……半年後に世界を滅ぼすから……災いをもたらすから、《災禍》なんじゃないの?」


 イブキはシャルへ同意を求める。するとシャルも、


「私も、そう思います」


 と同調してくれたのだった。

 その答えに、シュテラは意地悪な笑みを浮かべる。


「ざんねーん。ちょっと違うねぇ」


 シュテラは続ける。


「これから災いをもたらすからじゃないわ。から、《災禍》なのよ」


 イブキは情けない声をだして驚いた。シャルも初耳だったらしく、目をぱちくりとさせている。


 シュテラはシャルの反応を見て、


「まあ、わからないのも無理はないわ。この話は、限られた魔女しか知らないから」


「でも……どんな災いを?」


 これはシャルだ。フランベールの件で気を落としているのに変わりないが、こればかりは気になるらしい。


 イブキは生唾を飲み込んだ。過去に、自分が――《災禍の魔女》がなにをしていたのか、知りたい。けれど、後に引けなくなるのはとても怖い。ここからは、その罪も背負っていかなければいけないのだ。


(大丈夫。どんな過去でも受け入れてやる……)


 イブキは拳を握った。


 シュテラが一拍置く。


 そして。


「《災禍の魔女》はね……。その力で、一つの王国を世界から消し去ったのよ――」



 

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