幕間 朱里の計画

017 幕間:朱里の計画 前編

「朱里、そろそろご飯よ」


 紅谷聡子さとこは、二階にある娘の部屋の前に来ていた。

 手に持ったお盆の上には、腕によりをかけて作った料理がたくさん。

 どれも娘の朱里が大好きな物ばかり。


「一人で食べるから置いといて」


 扉の向こうから抑揚のない声が返ってくる。


「……そう、分かったわ」


 聡子は言われた通りにした。

 静かに涙を流しながら、階段をおりる。


「前まではあんなに明るい子だったのに……」


 朱里に変化があったのは、高校を卒業してからのこと。

 家に引きこもり、部屋の中でテレビとスマホに耽っている。

 いつもいつも部屋に籠もりきりで顔を見せない。


 何度か部屋から出そうとしたことがある。

 いつまで引きこもっているの、と怒りながら部屋に入った。

 すると朱里は、カッターナイフを振り回して発狂した。

 そう、あれは発狂という他ないものだったのだ。


 あんな朱里の顔は見たことがなかった。

 怖くなって謝り、部屋を出た。

 その後も部屋に入る度、朱里は発狂した。

 誰とも顔を合わせたくないようだ。


 いきなりそうなったわけではない。

 高校生活の終盤、3年生の頃から嫌な予感がしていた。

 目から生気が感じられなかったのだ。


 ただ、詮索はしなかった。

 高校生というのは、色々な問題を抱えている。

 自分の学生時代だってそうだった。

 親の干渉は逆効果だ。


「お母さん今からお仕事に行ってくるわね」


 扉に向かって声を掛ける。

 扉の先にいるはずの朱里からは返事がなかった。


 玄関に向かい、そのまま家を出た。

 それに合わせて、二階にある部屋の扉の開く音がした。


 家に誰もいなくなると、朱里は家の中を徘徊する。

 ご飯を食べ、お風呂にも入る。

 そのことが分かったから、聡子はアルバイトをするようになった。


 ◇


 朱里は匿名掲示板の書き込みを見てニッコリした。


『高峯雪穂はジャニューズのSと裏で付き合ってるよ、マジで』


『高峯雪穂は本当はイケメン大好きのクソビッチで有名だから』


『業界の人間なら知っているけど、高峯雪穂の中絶しまくりよ』


 それらを書いたのは他ならぬ朱里自身だ。

 最近は匿名掲示板で雪穂を叩くことにご執心だった。

 かつては握手会に参加するくらい好きだったが、今は大嫌いだ。


「あの女のせいで私の人生は狂った……。あの女さえいなければ……」


 朱里が雪穂を恨む理由は、大吉の恋人だからに他ならない。


 大吉という保険がいなくなってから、自分の人生はボロボロになった。

 男には「簡単にヤれる女」として扱われ、女からは「尻軽」と避けられた。


 大学受験にも失敗した。

 大吉と雪穂のことが頭を支配して、勉強に集中できなかったからだ。


 一方、大吉と雪穂はどうだ。

 最難関の私大に推薦入試で受かっている。

 もちろん受験勉強などしていない。


「むかつく! むかつく! むかつく!」


 朱里は思う。

 高峯雪穂さえいなければ、大吉は私のことを待っていたはず。

 未練たらしく、いつまでも、私を待ち続けていたに違いない。

 大吉が待っていたら、私は惨めな思いをせずに済んだ。


 そう、全ては高峯雪穂の存在が悪い。

 あの女がいなければ、あの女さえいなければ……。


 朱里はスマホを連打して雪穂の悪口を書きまくる。

 あることないこと、ではなく、ないことないことを書き尽くす。

 業界関係者を装うことで書き込みの信憑性を高める。

 自分のついた嘘が広まり、雪穂の人気が失墜すれば最高だ。

 鵜呑みにした大吉が雪穂と別れるかもしれない。

 そうすれば大吉は目を覚まし、私のもとへ戻ってくる――。


 ピコッ♪


 スマホに通知が出る。

 自分の書き込みに対して、誰かが返信したのだ。

 いよいよ雪穂の人気が地の底へ叩き落とされる時――。


『どうやったらお前みたいな哀れな存在になれるん?』


 朱里は発狂してスマホを床に叩きつけた。


 ◇


 その日、紅谷夫妻は驚愕した。

 自室に籠もりきりだった朱里が姿を現したからだ。

 ある平日の朝食のことである。


「お母さん、お父さん、心配かけてごめん」


 朱里はニッコリ笑った。

 その目は淀んでいるが、両親は気にしていない。


「もう大丈夫なのか?」


「あなた、詮索しないであげて」


「ああ、そうだな、すまん、気にしないでくれ」


 両親はびくびくしながら朱里に接する。

 また引きこもらないように。発狂しないように。


「大学受験に失敗したり、高校時代の友達と喧嘩したりしたのがストレスになっていただけ。でも大丈夫だよ。ごめんね」


 朱里は適当な言葉を並べてやり過ごす。

 食事が終わると、母親に代わって皿洗いを担当した。

 時計を見るとまだ9時だったので、部屋や風呂の掃除を行う。


 ようやく10時になると、朱里は動き出した。

 可愛らしい服に身を包み、外出の準備を整える。

 前に比べて服のお腹周りが窮屈に感じられた。

 太ったことを実感する。


「夕方までには帰るから。自殺とかしないから心配しないでね!」


 玄関で母の聡子に冗談を飛ばす朱里。

 聡子は心配そうにしつつも「うん」と微笑んだ。


「じゃ、行ってきまーす!」


 朱里は家を出ると、その足で秋葉原に向かった。

 GPS発信器を買う為に。

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