ぶっちゃけトーク
「リリアーナ嬢、待て、待ってくれ!」
王子の声を背中に聞きながら、私はディッツの研究室へと全力で走っていた。
とてもじゃないけど、舞台になんかいられなかったからだ。
マジでキスしようとするとか、ありえない!
体は熱いのに、背中は全面鳥肌が立っている。
いやだ。
無理。
こんなの絶対許せない。
「待て……!」
「ご主人様に触るな!」
すぐ後ろでバチンと派手な音がした。
振り返ると、手を押さえて痛そうな顔をしている王子と、私を背中にかばうように立つフィーアの姿があった。
「この……侍女のくせに!」
王子についてきていたヘルムートが気色ばむ。
「フィーアは悪くないわ。私の代わりに王子を振り払ってくれただけだもの」
追いかけてきたのは、王子たちだけのようだ。ヴァンたちは混乱する舞台をおさめてるところなんだろう。
「王子こそ何を考えてるの? キスはフリだけって話だったでしょ」
「婚約者にキスして何が悪い」
ほう。
何が悪いときましたか。
「私は婚約者である前にひとりの人間です。許可なく女子に触るのは失礼よ」
女性の地位が低いこの世界でも、いや女性が抵抗できないからこそ、無理矢理セクハラは紳士にあるまじき絶対のタブーとされている。
婚約者とか臣下とか関係なしに、お前のやったことはただの最低行為だからな?
「俺は王子だぞ」
「それが何? あんたなんて肩書がなければ、ただの考えの甘いおぼっちゃんじゃない」
研究室へ向かう途中だったせいか、辺りに他の生徒の姿はない。王子を止める者がいない代わりに、私を止める者もいない。
もういい。
キレたついでだ、言いたいことを言ってやる。
「あんたとキスなんて、絶対嫌。また同じようなことをしたら、ビンタじゃ済まさないから」
「嫌……? どうしてだ……! 君は俺のことを好きなんじゃないのか。女の子は好きな相手にキスされたら喜ぶものだろう?」
私の拒絶が本気で理解できなかったらしい。
王子は真っ青のまま、おろおろと目を泳がせる。
「なんでそう思ったわけ? 学園に入るまでしゃべったことすらなかったじゃない」
「だ……だって……花束を渡したとき、君は泣いてくれたじゃないか。うれし涙だって……そ、それは……俺に気持ちがあったからだろう?」
「んなワケないでしょ」
ずばっと切り捨てたら、泳いでた目がそのまま凍り付いたように固まった。
「近衛兵に取り囲まれて全貴族に監視されてる中で、王子の求婚を断れるわけないでしょ? あれは、無理矢理婚約させられたことに、腹が立って悔しくて泣いてたの! その場を丸くおさめるために、うれし涙だってごまかしただけよ!」
「悔しい……? ごまかしてた……? そんな、嘘だろう……」
「本当のことよ。だいたい入学してから今まで、ずっと距離を取られてたっていうのに、どうして私があなたに気があるって勘違いできたの」
「だって……それは……君が緊張してるからだって……アイリスたちが教えてくれて……」
「勘違いもいいとこね」
王子はふらりと一歩、こっちに足を踏み出す。
「あ、あの時、好意がなかったとしても……王家との縁談だ。女の子は……喜ぶものじゃないのか?」
「どこ調べの話よ。少なくとも、私にとっては最悪だったわ」
「最……悪?」
自分の価値を保証する絶対のブランド、王家を否定されて王子は茫然とする。彼の周りはそれをありがたがる子ばっかりだったけどね。
「あの時私は家を出る兄に代わって、侯爵家を継ぐはずだったの。兄も私も望んで選んだ道だったわ。家族の将来を丸ごとぶちこわしたあんたを、私が愛するわけないでしょ」
「リリアーナ嬢、不敬だぞ!」
ヘルムートが何か言ってるけど、知るか。
「私は絶対、あんただけは嫌!」
「このっ……」
断言した瞬間、王子が激高した。ぶんっと大きく腕を振りかぶる。
腹立ちまぎれの一撃なんて、フィーアが叩き落すだけだけどね!
後ろにさがりながら、フィーアの背を見る。しかし応戦しようとした彼女は、くたりと地面に崩れ落ちた。
「フィーア!?」
「え……っ? 俺はまだ何もしてないぞ?」
「うるさい、黙って!」
私はしゃがみこむとフィーアの首筋に手を当てる。
彼女の体は燃えるように熱かった。額にはびっしりと汗が浮いていて、顔が赤い。
原因はわからないけど、明らかな体調不良だった。
「フィーア、しっかりして!」
「ご……しゅじん……さま……」
ヘルムートが前に出て、私たちに手を差し出してきた。
さすがにヤバいと判断したらしい。
「医務室まで運ぼうか?」
「触らないで」
「な……緊急事態だろう!」
「他意はないわ。この子、身内以外に体を触られるのを極端に嫌うの」
私はよいしょ、とフィーアを背負った。私も体力のある方じゃないけど、細くて小さなフィーアくらいなら、なんとかなる。幸いなことにディッツの研究室は目の前だ。
「リリアーナ嬢……」
「ついてこないで。近寄ってきたら、本気で攻撃するわよ」
王子がそこに立ち止まったのを確認して、私は研究室へと向かった。
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