紙はある。印刷技術はない。

 突然だけど、ハーティア国は紙が豊富だ。

 元は前世の世界と同じで、羊の皮をなめして薄くした羊皮紙が主流だったんだけど、およそ百年ほど前に東方から植物を使った製紙技術が伝わって、各地でたくさんの紙が作られるようになった。だから、読み書きができる上流階級では手紙を送りあい、文章を書き綴ることが文化として定着している。ゲーム内では、手紙に使う紙やインクに何を使うかで好感度が変化するイベントもあった。

 こんな風に素材が流通する一方、情報を広く共有する技術のひとつ、『印刷技術』はまだ確立されていない。時々、輸入品の中に版画もどきが混じっている程度だ。

 そんな状況で、学校で使う教科書のような、同じ内容の本を量産しようと思った場合、人はどうしなければいけないだろうか?


 もちろん、一文字一文字書き写すのである。

 全部手書きで!!!!!!


「うううう……」


 小屋の掃除をするディッツとジェイドの横で、私はひたすら文字を書き写していた。お手本としているのは、ディッツのものらしい、年季の入った魔法の教本である。

 これがとにかく分厚い。

 ページ数がめっちゃ多い。

 角で殴ったら人が殺せるんじゃないかっていうくらい厚い。

 内容自体がわかりやすくて、ディッツが書き込んだ注釈が適切じゃなかったら、早々に魔法の勉強を投げてたかもしれない。


「一体何ページあるのよ……これ……」

「えっとえっと……あの……218ページ、くらいだと、思うよ」

「あら、思ったより少ないのね。使ってる紙が分厚いからかしら」


 それでもやっぱり多いけどね!

 誰か! さっさと活版印刷技術を確立して!!!

 早く生まれろ、グーテンベルク!!!


「ねえディッツ、このお手本を買い取って使っちゃダメ?」

「却下。俺とジェイドが使う本がなくなるだろうが」

「誰かに手間賃を払って写させるとか……」

「それも却下だ。大筋はともかく、細かい注釈は俺の財産だからな。弟子以外に情報を渡すような真似はしたくねえ」

「ぐぬぬ……」


 ディッツに正論をつきつけられて、私はうなるしかない。

 でもさあ、さっきからちょっと却下が多すぎない?

 アンタ私に生涯の忠誠を誓ってるはずだよね?


「悪いことばっかりじゃねえぞ?」


 そう言うと、ディッツは本に書かれた魔法陣の上に手を置いた。


「さてここで問題だ、今隠した魔法陣、書いてみな」

「えー! ちょっとしか見てなかったのに、無理に決まってるじゃない!」

「だよな。だが、一回真剣に観察して、自分で書いてみたらどうだ?」

「まあ……ざっくり書けなくは……ないかも?」

「書き写す、って作業には、観察して理解するっつー過程が入るからな。ぽんと渡された本を流し読みするより、しっかり頭に入ると思うぜ」

「むう……」


 それを言ったら、印刷された教科書と、タブレットパソコンで勉強をしていた現代日本人の学習能力はどうなるんだろうか。あー……でも、タブレット使ってても、結局反復学習はさせられてたか。


「それにな、写本づくりは知識と教養が必要な専門職だ。やりかたを覚えておけば、将来食いっぱぐれねえぞ」

「えええ、えっと、師匠、お城に住んでるお嬢様は……食うに困らないんじゃ、ない、かな?」


 実はそうでもない。

 名門ハルバード侯爵家でも、娘が悪役令嬢になって、息子が他国に亡命したら、領地全体が崩壊して一家離散することもある。その未来はゲームで見た。

 そうならないよう努力してるところだけど、万一のために知識を身に着けておいても損にならないはずだ。


「しょうがないわね……たまには泥臭い努力もしてやろうじゃない」


 私がペンを手に取ると、ディッツは嬉しそうに笑う。お嬢様が手に職をつけることの、何がおもしろいのか。

 私は1ページ丁寧に書き写したあと、次のページに移る。書く前に、その内容にざっと目を通した私は、その中に妙な記述を発見した。


「ねえディッツ、これってどういうこと?」


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