第278話 寂しさと恋は違うもの(男女修羅場を傍観するオネエさん)

「サイッテー!」

 バシャーンッ

 女の声と派手な水音が、店内に響いた。

 女の向かいに座った男が、水浸しになる。

 うわあ。

 声には出さず、アタシはカウンターの中で眉を顰めた。

 ちらと横目で見た店長も、「うわあ」と言いたげに口を歪ませた。

 女は、涙目を隠すことなく、そのまま走って店を出た。

 いや、一応一言くらいこっちに謝ってから出て行きな。

 と思ったものの、昂ぶった感情では無理に決まってる。

 アタシはため息を吐いて、とりあえず布巾とタオルを手に取り、カウンターから出た。

 お客さんは、テーブル席の彼ら以外一人だけ。

 カウンターの隅で成り行きを見守りつつ、何やらメモを取っている。

 被害は軽微。良かった。

「……アンタ、これで何度目よ」

 水浸しの男は、常連客。

 長年の付き合いなので、つい口調が雑になるけれど、向こうは一切気にしない。

 ぽたぽたと水を滴らせる様は、可愛らしい童顔とあいまって、まるで雨に濡れた子犬のようだ。

「ええと、何度目だろう」

 彼が、小首を傾げる。

 ぽたた、と雫が床とテーブルに垂れた。

 アタシは顰めた眉を隠さず、ぐいとタオルを押し付ける。

 彼は、素直に受け取って頭や肩を拭き始めた。

「この店じゃ、三度めじゃない?」

 アタシの問いに答えたのは、モップを持った店長だった。

 テーブルほどじゃないが、床にも水は撒かれている。

「アタシやろうか?」

「いいわ、ついでに拭きたいところあるから」

「そう? じゃ、お願い」

 アタシはテーブルの反対側へ移って、持って来た布巾でテーブルの上を拭いた。

 乾いた布巾が、すぐさま水を吸ってびしょびしょになる。

「いやあ、水浸しだね。悪いね」

「他のお客さんにかからなかっただけいいわよ」

 ちなみに前回は隣のテーブルに別のお客さんが居たので被害は甚大だった。

「ごめんねぇ、あんなに怒るなんて思わなくって」

 男は、きょとんとした顔のまま言う。

「どうしてだろうね。僕は、初めにちゃんと断ってるのに」

 君は、身代わりだよって。

 残酷な言葉だ、と思った。

 彼には、幼いころから狂おしいほどに恋した相手が居た。

 年上の幼馴染だという。

 ずっと好きで、ずっと告白し続けたけれどフラれ続け、それでも今なお愛している。

「それなのに、どうして付き合って数ヶ月やそこらで、それが変わると思ってるんだろう」

「付き合って数年経とうが、変わらないでしょ」

 変わる気無いんでしょ、と言えば、

「うん、そう」

 よくわかってるね。

 と満面の笑みでうなずく。

「不思議だな。僕に興味の無い人にはそれがわかるのに。どうして、僕のことを好きで、興味があるはずの人がわからないんだろうね?」

「まさしく、アンタが好きで、興味があるからよ」

 心底不思議そうな顔でこちらを見上げる彼に、

「恋してる相手には、同じ気持ちを返して欲しいと思うようになるの。どうしても」

 アタシは無駄だと思いながらも説明した。

 案の定、彼は不思議そうな表情を崩さないまま、

「へえ。他人って、よくわからないな」

 そう言った。

「僕は、ちっともそんなこと思わなかったもの」

 彼は、彼女が自分を見なくても満足だったらしい。

 告白はするけれど、正直、結果はどちらでも良かったのだそうだ。

 ただ、彼女が生きてさえくれれば、それで。

「アンタねえ。死んだ片想い相手以外を好きになれないなら、もう身代わりの恋人作るのやめなさいよ」

 彼の愛した人は、数年前に病でこの世を去った。

 それ以来、彼は残酷な暇つぶしばかりしている。

「だって、寂しいんだもの」

 身体は、正直だしね。

「つくづく、アンタって最低だわ」

「うーん。それは流石に、自覚があるよ」

 同じくらい最低な人がいたら、ちょうどいいのかな。

 彼が、遠い目をして言った。

 最低同士がお互いを慰め合ったとして、そこに何か好いものがあるようには思えなかったけれど。

 どうかしらね、とアタシは肩を竦めるにとどめた。


 END.


 こちら(https://kakuyomu.jp/works/16816452220371917465/episodes/16817139557306195032)の水をかけられた人のお話でした。

 店長さんは一三かずみさんで、店員さんはジョセさんです。

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